6 触れてはならぬ者
大陸に向かって台風が進んでいる。
もはや気象予報技術など紅武凰国にしか存在しないため、その異常さに気づく者は少ない。
大陸沿岸で漁を行っている漁師が嫌な予感をおぼえて陸へ引き返す程度のこと。
その台風は日本の九州地方を掠めた後に西に逸れた。
嵐の夜よりも遥かに暗い闇を拾い、その胎内に収めながら。
進行方向の先には清華民国、上海。
※
秋山陸玄は上海マフィアの統領の側近と暗黒街を歩いていた。
不思議な水色髪の清華美人、陸夏蓮。
タクトが言うにはどうやら男性らしい。
容姿も立ち振る舞いもまったく女性にしか見えないけれど。
「あなたはシンくんに会ってどうするつもり?」
夏蓮は隣を歩きながらまっすぐ視線を合わせてくる。
嘘を付く理由もないので陸玄は素直に目的を話した。
「紅武凰国打倒の力になってもらいたいと思っています」
「どうして今頃になって」
「三大連合の和平が間もなく成るからです」
紅武凰国のウォーリアによって戦場を支配され、泥沼の憎しみ合いを続けていた三大連合国家。
東亜連合、ユーラシア連邦、オリエンタル同盟の各連合国家についに終戦の目途が立った。
「我々の特殊工作員が大陸で暗躍するウォーリアを多く抹殺することに成功しました。もはや紅武凰国に戦場をコントロールする力はなく、現在は各連合首脳の水面下での停戦交渉が始まっています」
初期は自称『異世界帰りの魔王』、ショウ。
間を置いて入れ替わる様に翠たちクロスディスター。
彼らの活躍によって大陸で暗躍するウォーリアの数は激減した。
陸玄が上海に潜入を開始した時点で三連合の交渉は始まっていた。
上手く交渉が進めばそろそろ終戦宣言が出される頃だろう。
その次は三連合が強力して紅武凰国に攻め入ることになる。
だが、その前に紅武凰国本国に残ったウォーリアや『天使』を排除する必要がある。
打倒天使の切り札であったショウが消息を絶った今、この地球上で唯一天使に対抗すると言われる男、ザオユンこと荏原新九郎の協力が必要なのである。
「こちらからも質問をよろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「なぜ、貴方たちは大陸のウォーリアを放置していたのでしょう」
ザオユンは天使にも匹敵する力を持つと言われる。
そんな人物が本気を出せば大陸のウォーリアなどあっという間に掃討できただろう。
しかし彼は東亜連合に与することも、独自の勢力を率いることもなく、こんな治外法権の都市に長く引きこもり続けている。
ハッキリと言えば陸玄は疑っているのだ。
「貴方たちのボスは本当に噂に聞くほどの人物なのでしょうか」
ザオユンという男が紅武凰国から非常に恐れられているのは間違いない。
ショウが捕らえられた後に彼の協力を得るよう陸玄に命令を出したのは畔木であるから、彼からも期待をかけているのはわかる。
しかしこんなアジアの片隅の一都市のマフィアのボスに……
言ってしまえばお山の大将に、それだけの力があるとはどうしても思えないのだ。
「君がどんな噂を聞いているのかは知りませんが」
夏蓮は足を止めてこちらを見る。
にこりと微笑む美しい顔が逆に空恐ろしい。
「彼は興味のないことはしません。それだけの話です」
「興味がない? それは大陸に平和を取り戻すことがですか。それとも紅武凰国の支配を打倒することですか」
「どちらもです。より正確に言うなら、そのために貴方たちが行っている無駄な努力のことです」
「聞き捨てなりませんね」
紅武凰国打倒のために動いている陸玄としては面白い発言ではない。
大陸のウォーリアを倒すことで、少なくとも無益な戦争が長引くことはなくなる。
その上で世界中が協力して紅武凰国に挑めば今の一方的な支配体制が変わる希望が持てるだろう。
「このまま紅武凰国にコントロールされる世の中が続いても良いというのですか。貴方たちはここで自分たちだけが平穏に暮らせればそれで構わないと」
「平たく言えばその通りです」
夏蓮は表情ひとつ変えずにハッキリと告げる。
「私たちは街の外の出来事と関わるつもりはありません。シンくんには会わせて差し上げますけれど、協力が得られるとは思わないで下さいね」
「……心得ておきましょう」
天使を倒し得る力を持ちながらも決して自分から動くことはない男。
それ故に紅武凰国もザオユンをアンタッチャブルとしているのだ。
だとしたらなおさら、何があっても説得して味方に引き入れなくてはならない。
逆に噂が単なる誇張とわかればすぐにでも引き上げてしまおう。
すべては本人をこの目で見てから判断することだ。
「……ん?」
どこかで人の叫ぶ声が聞こえた。
それも一人や二人ではなく複数の声が重なっている。
「ケンカか暴動でしょうか。この街では珍しくもありませんけれど」
夏蓮は声のした方に足を向ける。
「少し寄り道をしても良いでしょうか」
「はい」
案内してもらう立場で文句を言うわけにもいかない。
陸玄が頷くと夏蓮はにこりと笑って、跳ねた。
「ではお先に」
「!」
たった一度のジャンプで彼はビルの屋上に飛び乗った。
ビルの高さはおそらく十五メートル弱、四階相当の高さがある。
軽く膝を曲げ跳躍しただけ。
ほとんど力を入れた様子もない。
何らかの能力を使ったわけでもない。
見た目に寄らず、ただ者ではないようだ。
とはいえ黙って置いて行かれるような陸玄ではない。
陸玄は周囲を見渡してルートを定め、看板や窓枠を足場に駆け上がる。
この程度のことなら秋山の技を使えばなんということはない。
屋上まで駆け上がった陸玄を夏蓮が笑って迎える。
「……お待たせしました」
「いえいえ、それでは行きましょうか」
二人は建物の屋上から屋上へと飛び移り、声のした方角へ向かって走った。
※
「だからよぉ! ザオユンって野郎はどこにいるんだって聞いてんだよォ!」
「し、知らない……本当だ、助けてくれ……」
悲鳴を上げるスラム街の住人たち。
その一角で女がくたびれた格好の浮浪者を掴み上げていた。
女の名前はキルス。
紅武凰国の大陸担当ウォーリアである。
「ああそうかい。んじゃ死ねや」
「ひ、ひぎゃあああああ!」
キルスが冷たく言い放つと同時に、彼女の手から炎が吹き上がった。
炎は掴んでいた浮浪者の全身を激しく燃え上がらせる。
「ちっ!」
炎を自在に操る固有能力である。
彼女は燃え続ける浮浪者を床に投げ捨てた。
浮浪者は叫びながら転がり回り、やがて動かなくなる。
傍には黒焦げになった別の死体が転がっていた。
「うわあぁ! 人殺しぃ!」
「誰か、助けてくれぇ!」
二人ほど派手に殺したことで周囲は完全にパニック状態だ。
どこにいたのかわからないほど無数の浮浪者たちが算を乱して逃げ惑う。
「やっぱ簡単に見つかるモンじゃねえか……」
キルスが上海にやってきたのは完全に独断であって上からの命令ではない。
その理由は同僚の大陸ウォーリアが次々と変死を遂げているからである。
「まあいい。片っ端から住人をぶっ殺して回りゃあ、そのうち姿を現すだろ」
戦場を支配するはずのウォーリアを狩る謎の存在。
そいつのせいで今や指揮系統はズタズタに引き裂かれた。
下手人の正体はまるでわからない。
殺されたすべてのウォーリアが戦闘の形跡すらなく一方的に暗殺されている。
本国からの指示は帰国命令を含めて一切なく、誰もが次に殺されるのは自分ではないかと怯えてしまっている。
こんな状況は決して許されることではない。
キルスは腑抜けた上役を殺して脱走し、独自に情報を集めた。
そして、この上海に『ウォーリアを殺しうる恐るべき存在』がいることを知った。
情報の真偽は不明だし、そいつがウォーリア暗殺者かどうかもわからない。
とにかくキルスは鬱憤を晴らすため暴れられる場所が欲しかった。
「そんじゃ手当たり次第にブチ殺しまくって……あん?」
「そこまでにしてくださいね」
そんな彼女の前に水色の髪の女……に見える人物。
陸夏蓮が降り立った。




