1 七奈の事情
「瑠那くん。悪いんだけどちょっと資料を運ぶの手伝ってくれないかな」
三時限目のクラブ活動が始まる前、七奈から声をかけられた。
「資料?」
「体育館脇の倉庫に壁掛け地図を取りに行きたいんだ。重いから一人じゃ大変でさ」
どうやら史跡研究会の活動で必要な道具だそうだ。
瑠那は正式に在籍するつもりはなかったが、クラスメートの頼みを無下に断る理由もない。
「いいよ」
「よかったあ。さすが男の子」
ありきたりな褒め言葉だがそう言われて悪い気はしない。
女の子と間違われることの多い瑠那は男らしさを褒められるのが素直に嬉しかった。
瑠那は七奈と一緒に倉庫へと向かう。
体育館の重い扉を開けると中は誰もおらず、がらんとしていた。
「ここはどこのクラブも使ってないのかな?」
「普段はバスケとバレーボールのクラブが使ってるよ」
「たまたま今日は活動していない……ってわけじゃないよね」
隣を歩いていた七奈が足を止める。
三歩進んだところで瑠那は振り返った。
「どうしてそう思うの?」
こちらを見る七奈の顔から表情が消えている。
教室で見られたような友好の色はもう欠片もない。
彼女が何らかの感情を必死に押し殺しているのが窺えた。
「資料を運ぶというのは嘘だよね。何かボクに用があるんでしょう?」
クロスディスターの力は髪の量に依存する。
チャージ後の状態では日常生活に不便なので普段は短く切ってある。
それに応じてRAC働きも鈍くなっているが、完全に失われたわけではない。
例えばむき出しの殺意を向けられた時。
敵意を持って罠にはめようとしている人物が近づいた時。
悪意は確かな違和感となって、瑠那の身に迫る危機を知らせてくれる。
七奈が制服のポケットから何かを取り出して投げた。
瑠那は首を振ってそれをかわす。
背後で破裂音が鳴った。
瑠那は大きく横に飛ぶ。
視界が真白な煙で覆われる。
煙幕だと理解した直後、七奈が飛び込んできた。
手には艶消しの黒いナイフ。
彼女は躊躇うことなく刃を瑠那の喉元に向かって伸ばす。
瑠那は今度こそ大きく後ろに退きつつ、回し蹴りでナイフを落とそうと試みた。
しかし七奈は素早く腕を引っ込めて煙幕の中へと姿を隠す。
この娘、素人ではない。
明らかに戦闘訓練を施された者の動きだ。
気付けば煙幕は体育館中に拡がっており、すでに自分の手元すら見えない。
流石に危険と判断した瑠那は戦闘フォームに戻る。
「クロスチャージ!」
髪が地面に届くほど伸び、制服が青系の軍服風衣装へ変化する。
自動的にポニーテールにまとまり瑠璃色に染まる。
蒼色のクロスディスター、ディスターラピスラズリ。
チャージをして余裕を得た瑠那は煙幕の中に向かって問いかけた。
「説明してもらえないかな! 君は何の理由があってこんなことをするんだ!」
「ウォーリアと話すことなんて何もない!」
返ってきたのは憎悪を含んだ声だった。
普段の七奈からは想像もできない怒気をはらんでいる。
瑠那がウォーリアであることがバレている。
そして彼女はどうやらウォーリアを憎んでいるようだ。
「こんな事をしてタダで済むと思ってるの?」
襲撃自体に計画性は見られる。
だが、これは何の意味もないどころか彼女にとってマイナスしかない行動だ。
瑠那がウォーリアであることを知って危害を加えようとしたのだから、彼女はもはや三等国民ではいられないだろう。
運が良くて国外追放。
死罪も十分にあり得る。
ただし、例外もある。
例えば琥太郎の場合がそうだが……
「それとも君はウォーリアにスカウトして欲しいのかな?」
「ふざけるな!」
どうやら違ったようだ。
白い闇の中からナイフが飛び出してくる。
瑠那はそれを指先で挟んで受け止めた。
引き抜こうとする力が加えられるが、女の細腕では無理。
力では敵わないと悟った七奈は武器を捨てて再び煙に紛れる。
瑠那はため息を吐いた。
まだやる気なのか。
「察しの通りボクはウォーリアだ。けれど君に危害を加えるつもりはない。詳しくは言えないけど、今はとある理由があって潜入捜査をしているだけだ。黙っていてくれるなら今回のことは見逃してあげても良い」
「そんなこと……っ」
「君じゃ勝てないことはもうわかっているでしょう」
七奈はただの女子中学生ではないようだ。
だが熟練兵と言うほどでもない。
多少の戦闘技術があるだけの、身体的にはただの学生だ。
瑠那がクロスディスターになった以上、普通の人間など相手にもならない。
RACがあるから煙に紛れての奇襲も無意味だ。
「任務をつまらないアクシデントで台無しにされるのは困るんだ。頼むから聞き分けてよ」
「うるさい、そんな嘘に騙されるかっ!」
怒声と共にさっきとは違うナイフが飛んできた。
瑠那が首を動かすと刃は空を切って後方に流れていく。
「嘘? 何が嘘だって言うの?」
「本当は私を殺すために近づいたんだろう! ウォーリアがわざわざ三等国民のフリをして転校してくるなんて、それ以外に考えられない!」
瑠那は彼女の言動が理解できない。
なぜそんな勘違いをしているのだろう。
「さっきも言ったけど、ボクは君に危害を加えるつもりはない。君に出会ったのは偶然だし、そもそも君が何者かも知らないよ」
「そんな事を言って、お父さんも殺したくせにっ!」
地面を踏み込む音。
同時に七奈が煙の中から飛び出した。
瑠那は彼女が握ったナイフを避けると同時に手首を掴んで後ろに回す。
そのまま地面へとうつぶせに倒して膝で背中を抑えつけた。
「……君のお父さんは反政府活動家だったの?」
「放せ、放せっ!」
七奈は必死に暴れるが、拘束を解くことは不可能だ。
だが説得してもこちらの質問に答える意志はないらしい。
瑠那は仕方なく彼女の首筋に手を添え力を加えた。
「ぐ……は……」
短い呻き声を発して七奈の身体から力が抜ける。
もちろん殺したわけではない。
気絶させただけだ。
「ふう」
瑠那は彼女が完全に意識を失ったことを確認して膝を退けた。
煙幕はだいぶ晴れて足元程度は見えるようになっている。
結局、彼女の口から答えは得られなかったが、たぶん瑠那の推測通りだろう。
身内の不始末で二等国民から三等国民に落とされた少女。
理由はたぶん親類……父親の国家への反逆か。
反政府活動家は警察によって身元を割り出され絶えず監視される。
場合によってはウォーリアに狙われて夜も安心して眠れなくなる。
いつ襲ってくるかわからない敵に四六時中警戒を続ける生活。
親しい友人を装って近づいて来る者もいるだろう。
狙われた咎人は日に日に憔悴し人間不信になっていく。
最後には身も心もボロボロになって狩られたはずだ。
彼女がそんな肉親の姿を目の当たりにしていたとしたら?
急に現れたウォーリアが自分を狙っていると勘違いしてもおかしくはない。
もっとも、今回は完全に彼女の早とちりだったわけだが……
「反乱なんて企てたって、絶対に成功するわけがないのに」
結果として彼女の父親は娘を不幸にしている。
二等国民だろうが三等国民だろうが、最低限の生活は保障されるのに。
支配者階級の者たちだって偉そうに国民から搾取してふんぞり返っているわけではなく、この国に住む民のため日々必死になって体制を維持しているのだ。
さて、この娘はどうしよう。
ウォーリアには自分に危害を加えた国民を処刑する権限がある。
むしろそうするのは極めて一般的な対処であるだろう。
反逆者を放置するのは国家を守護する者としての怠慢だ。
しかし、瑠那は一時でも机を並べた同年代の少女を手にかけることをしたくなかった。
警察に引き渡して対応を任せれば国外追放で許される可能性もあるが、どちらにせよ過酷な人生が待っているだろう。
元々の原因が親の不始末と考えれば気の毒なことだ。
せめて命だけは奪われないで済むようフォローをしてやろう。
そんな風に考えた、その直後。
瑠那のRACが強烈な反応を示した。




