7 Anti RAC Ring
「よう、おかえり」
割り当てられた自室に戻るとマコトがいた。
自分で持ち込んだのか朝はなかったソファに腰掛けてカップ麺を啜っている。
部外者が侵入していることを差し引いても明らかに女王の叱責が飛んでおかしくない態度である。
だが例の口うるさいモニターの中の女王は暗闇の中で沈黙を守っていた。
「これ、消せるんですか」
「消せるよ。パスワードを打ち込めば」
以前にナリタコミューンで反乱鎮圧を行った時に引っかかっていた疑問が解けた。
プライベートを完全に監視される女王システムの下では民衆が結託することなど不可能だと思っていたが、こういう裏技があったのか。
琥太郎も三等国民を脱した時はこんな風にしたのだろうか?
「どうした?」
「いえ、それより要件を」
マコトは食べかけのカップ麺をすべて飲み干すと、容器をゴミ箱に投げ入れて服の袖をめくった。
ウォーリアの証であるNDリング。
そのすぐ下に一回りほど小さいブレスレットがある。
「食べ終わった容器は洗ってから棄てて欲しいんですけど……」
「悪かったよ。それよりこれをよく見てみろよ」
言われるままに顔を近づける。
瞬間、横っ面を殴られた。
「ぐっ!?」
痛み自体はたいしたことはない。
しかし突然振るわれた暴力に瑠那は慌てた。
「な、なにをするんですか」
思わず抗議の声を上げる。
カップ麺の容器を洗えと言ったのがそんなに気に喰わなかったのだろうか?
「おう。効いてるみたいだな」
「何が……あっ」
「RACが反応しなかっただろ」
言われて初めて気付いた。
瑠那は叩かれるまでマコトの害意に気付けなかった。
クロスディスターのRACを阻害する道具。
まさかこんなにも早く開発してしまうとは。
「それじゃこの試作品のテストをしつつ、赤い奴を探してくれ。これひとつしかないから壊すなよ」
マコトは腕のリングを外して瑠那に渡す。
「まだ量産体制は整ってないのですか」
「試作品をつくるのに一つのコミューンの操業を完全に止めた。おかげで北関東は大幅な物資不足で配給削減に踏み切ったんだぜ。これが続けばガチの反乱が起こる」
「反乱なんていつものようにウォーリアが鎮圧すれば良いのでは?」
「計画外の反乱は死活問題だぞ。同時多発的に起こればあっという間に生産体制が滅茶苦茶になって、二等国民も含めた国家全体が食糧不足になる」
「たしか食料供給には常に十分な余剰があると聞いていますが……」
「どこのデータを見たんだよ。お前が思ってるよりこの国はギリギリで成り立ってるんだぞ」
初めて聞く話だった。
外に向けてはウォーリアという圧倒的武力。
中に向けては高度な監視システムで完璧に統制された国家。
それがわずかな綻びで崩れてしまうなど、にわかには信じられることではない。
「言っておくがこいつはトップシークレットな。各コミューンの地域女王のお側付きや東京都議会議員ですら国内経済の全体把握なんてしていないんだぜ」
裏を返せばそれだけシステムが細分化されて効率的に運営されていると言う証左でもある。
しかし何らかのきっかけで狂いが生じれば、そこから一気に崩れる恐れもある。
例えばウォーリアすら凌駕する力を持つクロスディスター。
野に放たれた害獣は一刻も早く打倒、もしくは捕縛するべきだ。
「ローカル女王は切ったままにしておく。さっそく今夜から調査を始めてくれ」
「わかりました」
国家の安全保障に関わる任務である。
かつて大陸の戦場から逃げ出した汚点を持つ瑠那。
彼は再び国のために働ける栄誉を授かったことを心から嬉しく思っていた。
※
RACを阻害する道具、仮称『ARリング』を装着した瑠那は、夜のエビナコミューンへと繰り出した。
昼間あれだけ監視の目を光らせていたローカル女王の映像はすべて消えている。
自室の監視さえ誤魔化して外に出てしまえば夜中に町を歩き回っても咎められることはない。
もちろん夜警のための警察は各所に配置されているが、別に熱心な見回りをしているわけでもない。
彼らが主に監視対象としているのは二等国民が運転する流通トラックである。
「クロスチャージ!」
瑠那がそのワードを口にした瞬間、クロスディスターの力は最大限に引き出される。
異常なほどに伸びた髪は自動的に束ねられて巨大なポニーテールに。
一瞬で着替えた蒼色の軍服風衣装の裾を靡かせながらマンションの屋上へと駆け上る。
「さて、チャージはしたものの、これからどうしようか」
敵のRACを封じたとはいえ、現状で赤いクロスディスターはわずかな目撃情報を残すのみ。
依然として手探りで捜索しなくてはいけない状況に違いはない。
そもそも本当に赤い奴がこのエビナコミューンにいるという確証もない。
ただ奴は近隣の複数のコミューンに渡って出没した形跡があるという。
南多摩地方で暴れていた緑色の奴と違い、積極的にウォーリアに攻撃を仕掛けてくるわけでもない。
長丁場になりそうな予感に気分が些か滅入り気味になった瑠那であったが、
「……ん、これは?」
ほんのわずかだが、ぞわっとする感覚があった。
悪い予感と言い換えてもいい。
それはまだ明確な形ある脅威にはなっていない。
どこかに自分を害する何者かが存在しているという薄い危機感である。
……いる。
この空の下、かなり離れた場所のどこかに、彼の敵となりうる人物が。
瑠那自身のRACが敵の存在を知らせているのだ。
この感覚に逆らうように進めば敵と遭遇できる可能性が高い。
緑色を探し出した時とほぼ同様の予感、十中八九これは『赤い奴』だ。
瑠那は感覚を研ぎ澄ませた。
向かっては行けない場所はどこなのか。
脅威となる敵がいる場所をはっきり探るために。
しかし。
「くそっ、ダメか……」
どれだけ意識を集中しようとも、正確な場所はわからない。
あまりにも遠すぎると大きな危機にならず『ここにいれば安全』と認識してしまうのだ。
せめて方角だけでもわかれば絞り込むことはできる。
緑の奴はこの感覚を利用してウォーリアを探り当てていたはずだ。
クロスディスターにも能力の得手不得手で差があるということなのか。
あるいは単純に技量の問題で瑠那にRACを使いこなす力が足りないのか。
ともかく、わからないことを嘆いていても仕方ない。
敵と近づけばまた何か変化があるはずだし、移動しながら探してみよう。
そして瑠那はどこかにいる赤いクロスディスターの捜索を開始する。
屋根から屋根を伝い、蒼色のクロスディスターは夜の町を飛び回った。




