6 楽しい午後と終わりの夕暮れ
午後しか学校がないため、授業の時間数はわずかに二単位だけ。
一限目は数学。
これは二等国民とほとんど変わりがない授業内容だ。
すでに進路がほぼ決定している学生たちが、どこでこの知識を生かすのかはわからない。
二限目は世界学。
こちらは二等国民と違って正しい世界情勢を教えている。
この紅武凰国以外の国にSHINEはなく、大陸では三つの連合が争い合っていること。
それらの連合にはどんな国があってどんな文化があるのかなどを教わる。
実際にこの身で大陸の戦場を経験したことのある瑠那にとって、どこか他人事のように語る教師の言葉はとても薄っぺらく感じられた。
今日は数学と世界学だったが、授業は日によって現代文、数学、技術、世界学、国学(紅武凰国の政経地理)、地域学(エビナコミューンの政経地理)の中から二単位が選ばれるそうだ。
二限目が終わると三限目以降はクラブ活動の時間になる。
クラブには職能系と趣味系に別れ、前者は仕事に関わるスキルを得るための勉強をするクラブで、後者は今を楽しむための娯楽のようなクラブだ。
職能系のクラブを取っておけば将来の仕事で待遇が良くなる可能性もある。
しかし圧倒的に人気なのは趣味系のクラブらしい。
一人がいくつ所属しても構わないので、ほとんどの生徒は職能系と趣味系の両方を掛け持ちして、日によって参加するクラブを変えている。
「瑠那くん、クラブは何にするか決めたの?」
「いや……」
七奈の問いに瑠那は言葉を濁らせた。
特に何をしたいなんてアテもなかったのだ。
強いて言えば運動系はやめておこうかというくらいである。
高い運動能力を見せて目立つのはよくないし、長袖で隠しているCDリングを見られたくない。
「だったら私と一緒に史跡研究クラブに入らない?」
「うーん」
誘ってくれたのは嬉しいが即答はできなかった。
言っては悪いがクラブ内容にまったく興味が湧かない。
「せっかくだけど、ごめん。やっぱり職能クラブをいくつか掛け持つことにするよ」
「来たばっかりなのに勉強熱心だね。何か自分で選んでやりたい仕事でもあるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「ここじゃ若いうちしか好きなことを楽しめないんだから、今のうちにいろいろ経験しておかないと損だよ」
瑠那は苦笑した。
ウォーリアの息子として生まれ、小さい頃は官僚を目指して勉強。
そして幸か不幸かウォーリアの才能を見出された後は半強制的に戦士としての日々を送ってきた。
今まで好きなことを楽しんで生きた経験などない。
ここでの活動だって所詮は任務の一環だ。
「気が向いたら考えるよ。それじゃ、さよなら」
「職能系クラブなら私もいくつか掛け持ちしてるから案内するよ。もみじも一緒に来るよね?」
カバンに教科書を詰めていた分厚いメガネの少年が顔を上げる。
彼はほとんどわからないような動作で首を縦に振った。
「おいおい、せっかく授業が終わったのにまだ勉強するのかよ! それより瑠那も男だったらサッカーやろうぜ! うちの学校で一番の人気クラブだからよ!」
なぜかハイテンションな楓真が誘ってくるが、運動系のクラブをやる気はない。
「スポーツは苦手なんだ」
「教えてやるよ!」
「いやほんと、悪いけど……」
「はいはい無理に勧誘しないの。瑠那くんは私たちと一緒に勉強するんだから」
「ちぇ。気が向いたらいつでも声かけてくれよ」
とりあえずこの日、瑠那は七奈ともみじの二人と一緒に史跡研究会とやらに顔を出すことにした。
活動は主に国内外の歴史的史跡事件や施設などについて地図を見ながら学ぶこと。
クラブのメンバーはぜんぶで八人だ。
「さあて、今日の活動を始めるよー」
クラブ長が宣言し、今日の議題について簡単な講義が始まる。
内容はそれなりに本格的だった。
世界各地の文化や風習、地域ごとの特色など。
小学校時代は勉強の虫だった瑠那ですら知らなかったことを彼らは熱心に語り合う。
気付けば瑠那は彼らに混じって古代メソポタミアの遺跡群と文化について議論を重ねていた。
しかしエビナコミューンから出られない人間がこんな専門的な知識を学んで、いったい何の役に立つというのだろう?
※
下校時間を示すチャイムが鳴るとクラブ活動は終了だ。
居残りなんてことは許されない。
「あれ、そういえばメガネの彼は?」
柄にもなく議論に熱中してしまった瑠那は、いつの間にかメガネの少年がいなくなっていることに気付いた。
「もみじ君はいつも途中で帰っちゃうんだ」
「全然気付かないうちにいなくなるの。まるで忍者みたいだよね」
そういえば彼の声もほとんど聞いていない。
最初の議論が始まった時点でいなくなってたのだろうか。
「さあ、それじゃ帰ろうか」
「うん」
七奈と一緒にクラブルームを出て、二人並んで歩きながら昇降口へと向かう。
その途中、彼女が何故か嬉しそうに話しかけてきた。
「でも、良かった。瑠那君が落ち込んでないみたいで」
「え?」
「えっとね、二等国民から三等国民になった人って、みんなしばらく落ち込んでここの生活に馴染めないんだよ。でも君はそういうのはないみたいだね」
「ああ、そういうこと」
二等国民は紅武凰国という存在すら知らない。
東京の民は自分が日本人だと思い込んで偽りの自由を謳歌している。
真実を知らされた者は普通、自由が極端に制限された新生活に大いに戸惑うことだろう。
もちろん任務で一時的に三等国民を演じているだけの瑠那にそんな葛藤は微塵もない。
少しは馴染めないフリをした方がよかっただろうか。
しかし今さら態度を変える方が不自然だろう。
「そりゃ思うところはあるけど、受け入れるしかないからね」
「強いんだね」
「そんなことないよ。それを言ったら後ろの席の彼の方が……」
「おっ、俺のことを話してんのか?」
汗まみれのユニフォームを着た楓真が後から声をかけてきた。
「楓真君、サッカークラブも終わり?」
「おう奇遇だな。二人も今から帰りか」
「うん。っていうか、下校時刻はみんな同じなんだから奇遇もなにもないでしょ」
「ダッシュで着替えてくるから一緒に帰ろうぜ」
楓真はこちらの返事も聞かずに運動系クラブの更衣室のある棟へと走って行く。
「まったく。一緒に帰るって言っても話せるのはほんの数メートルじゃない」
七奈は呆れたように肩をすくめたが、律儀に彼を待つつもりらしい。
少し遅れてサッカークラブの他のメンバーたちがぞろぞろとグラウンドからやってくる。
なんとなくだが、楓真は下校のタイミングを七奈に合わせようとしていたのだと思った。
彼女に気があるのだろうか、どうせ何もできやしないのに。
その辺りまだ彼も二等国民の感覚を忘れられないようだ。
一分ほどで着替えを終えた楓真がやってきた。
「お待たせ。んじゃ帰ろうぜ」
「はいはい」
三人で並んで歩く。
楓真は今日のクラブは疲れたと楽しそうに喋っている。
七奈は適当に相づちを打っていたが、わずか数歩のところで会話は中断された。
目の前には学校の校門がある。
「はい、今日はここまで。それじゃまた明日ね。楓真君、瑠那君」
「……ああ、またな」
そして二人は同時に腕時計型PDAを操作する。
学業モードから通常状態に戻し、口うるさい女王の監視下に戻るのだ。
「……」
「……」
「……」
三人は並んで歩く。
全員が無言だった。
すぐ外にはバス停がある。
十人近くの生徒が並んでいるが、誰ひとり口を開く者はいない。
やがてバスがやって来たので彼らは黙々と乗り込む。
奥の二人がけ席に瑠那と楓真が並んで座る。
通路を挟んで反対側に七奈が座る。
夕暮れ時のエビナコミューンを学生たちを乗せたバスが走る。
二つ目の停留所で七奈が席を立った。
「さようなら、親友楓真。さようなら、親友瑠那」
さっきまでとは打って変わって抑揚のない無機質な喋り方。
「……さようなら、親友七奈」
「…………さようなら、親友七奈」
楓真と瑠那もそれに習って別れの挨拶を返す。
軽く頭を下げた七奈はくるりと踵を返すと、そのまま振り向かずにバスの外へと歩いて行った。
これが三等国民の本来の姿。
体制に逆らわぬよう管理された者。
働くためだけに生きる人々のあるべき態度。
七奈の後も何人かの学生が同じように近くの生徒に挨拶をして降りていく。
彼らが帰る先は女王の監視を受ける狭い部屋。
楽しく学んで遊べる学生の特権時間は校門を潜った瞬間に終わりだ。
さらに一〇分ほど進んだ先の停留所に停まったところで、今度は楓真が席を立った。
「さようなら、親友――」
彼は瑠那の方を向き、感情を殺した声で挨拶をしようとして、
「また明日な、瑠那!」
「48384562! 挨拶は丁寧に行いなさい!」
女王の叱責が車内に響いた。
車内の学生たちがギョッとして彼の方を一斉に見る。
楓真はしてやったりの顔で「以後気をつけまーす」と言ってバスを降りていった。
瑠那は窓からそんな彼の後ろ姿を目で追った。
確か彼はまだここに来て二週間程度と言っていたか。
早いうちに反骨精神を捨てて染まらないと後で苦労するのに。




