5 ひと時だけの転校生
瑠那は教師に連れられて教室へと向かった。
授業開始は午後一時からだが三十分前には生徒たちも集まっている。
勉強時間を削るわけにはいかないので、このタイミングで瑠那を紹介しておくとのことだ。
C2の5と書かれた教室の前に着く。
ドアがわずかに空いており、その上部の隙間には黒板消しが挟んである。
「まったく、馬鹿な奴らめ……」
教師が背伸びしてその黒板消しを外す。
教室内からブーイングが聞こえてきた。
「なにすんだよ和己先生! せっかくの新入生への歓迎なのに!」
「こんなのに引っかかるような馬鹿はお前くらいだよ。さ、瑠那くん。気にしないでどうぞ入って」
瑠那が教室に入ると生徒たちの視線が集まる。
「は……じゃなかった、瑠那です。よろしく」
思わずフルネームで自己紹介しそうになって慌てて取り繕う。
三等国民になった人間は名字を取り上げられ記憶も消されることになっているからだ。
それ以外は特に自己紹介するようなこともない。
というより下手に喋ってボロが出るのは避けたかった。
「それじゃ、そこの空いている席に」
瑠那が黙っていると教師は苦笑いしながら空いている席に座るよう促した。
まあ、口下手な人間だと思われてた方がやりやすいだろう。
窓側から二列目の後ろから二番目。
隣の窓際の女子生徒が小さく手を振った。
「七奈だよ。よろしくね」
瑠那が着席するとすぐに話しかけてきた。
髪の長い温和そうな子だ。
「よろしく。瑠那です」
クラスメイトとよしみを通じておくのは悪いことではない。
瑠那は人当たりのいい微笑みを浮かべて軽く会釈をした。
「学校に女の子って少ないから、友だちになれたら嬉しいな」
「……ボク、男なんですけど」
「えっ」
「ええっ!?」
一瞬にして教室の中にざわめきが拡がった。
教師までもが驚きの表情でこちらを見ている。
間違えられるのは仕方ないと言えば仕方ない。
元々が女顔だが、クロスディスターになってから体つきまで中性的になってしまった。
とはいえ性別を偽る理由もないので、後で問題になるくらいならハッキリさせておいた方がいい。
「ご、ごめんなさい」
「いいよ。間違われるのは慣れてるから」
「うわあマジかあ……完璧に女だと思ってたわ……」
後ろの席の男子が露骨にガッカリしたような声で嘆いている。
肩越しに振り向くと彼は慌てて両手を振って弁明する。
「あ、別に歓迎してないってわけじゃないからな! 俺は楓真、仲良くやろうぜ!」
ずいぶんと調子の良いタイプのようだ。
変に気を遣われたり変な目で見られるよりはマシか。
三等国民の若年層に女子は非常に少ない。
たぶん学校全体でも二十人といないはずだ。
健全な男子としては女の子が増える方が喜ばしいのだろう。
瑠那にはさっぱり理解できない感覚だが。
「最近は転校生ラッシュだね」
「ラッシュ?」
七奈の呟きに瑠那が尋ねる。
その応えは楓真から返って来た。
「おう、実は俺も一週間前にここに来たばっかりなんだよ。で、そこのもみじが二週間前だっけ」
彼は親指を立てて隣の席の生徒を指す。
教室の一番端の席に座るのはビンの底のような分厚いメガネをかけた少年だ。
もみじは無言でこちらを見ると控えめに手を上げた。
「相変わらず暗いなあ……挨拶くらいちゃんとしろよ」
「楓真みたくすぐに誰とでも打ち解けられる人間ばっかりじゃないんだよ。というかあなたは馴染むの早すぎ。ちょっと前まで二等国民だったなんて思えないくらいだよ」
七奈が指摘し、もみじは黙ってうんうんと頷いていた。
「過去は振り向かないのが俺の主義だからな」
実に前向きなことである。
ある意味で模範的な国民の姿勢だ。
それにしても、瑠那は別として転校生が連続でやってきたのは偶然じゃないだろう。
窓側から二列目、後から二列目というピンポイントで空いていた席。
ここはおそらく誰かが『転校』していった直後なのだ。
瑠那がこの席に座ることを誰も疑問に思わない。
三等国民が受ける記憶操作は二つ。
一つは三等国民になった時に名字を忘れさせられること。
もう一つは誰かが三等国民ではなくなった時、全員がその人物に関する記憶を消されること。
おそらく前の人間は体制に反抗するような愚挙を行ったのだろう。
行く末は国外への棄民か、あるいはブシーズによる処刑か。
瑠那も任務が終われば当然『転校』する。
そうすれば彼女たちの記憶の中に自分のことは一切残らない。
こうして会話している時間も、やがて彼女たちの中から『なかったこと』ことになるのだ。
「はいはいお喋りはそこまで! 一時限目の授業を始めるぞ!」
教師がぱんぱんと手を叩く。
タイミングよくチャイムが鳴った。
「転校生はまだ教科書を持ってないから七奈が見せてあげてくれ」
「はーい。あらめてよろしくね。瑠那くん」
七奈は自分の机を動かして瑠那の机とくっつけ、間の窪みに教科書を置いた。




