ガラスの靴で靴飛ばし
靴飛ばしってわかる人います。懐かしくなって、書いてみました。都会で生まれ育った人には分かりづらいかもしれません。
小学生のころ、靴飛ばしが流行ったことはないだろうか。靴を飛ばし、距離を競う。私は、名前こそ女の子らしい薫だが、男勝りの女の子で、いつも男子と混ざり、外で遊ぶことばかりしていた。遊ぶ場所は、近くの川や、山、広めの駐車場、小学校のグラウンドで、私の住む場所は公園もない田舎だった。娯楽のない田舎だから、遊び方も原始的で、平成という時代なのにも関わらず、昭和を感じさせる遊び方が流行ることが多かった。鬼ごっこ、ケイドロ、缶蹴りとどれもアナログな遊び方で、上京した現在ではあの時間は贅沢だったと思う反面、そんな遊びしかできなかった後悔を、大人になって噛みしめている。ただ靴飛ばしの思い出は、忘れることのない出来事で、昭和のセピア色でも、令和の4Kの映像でもないが、鮮明に今でも覚えている。
私は、私を含めた近所の4人のグループで遊びまわっていた。靴飛ばしは学校のグラウンドでいつも競っていて、いつも勝つのは決まって3人だった。背の高い田村君、足の速い鈴村君、そして私の3人で、背の低い小川君がいつも負けていた。というより、どんな遊びをしても小川君は不利だった。田舎の遊びは体格や身体能力がものを言う遊びが多く、今思うと少し酷だったと思う。それでも小川君はいつも私たちについて回っていた。仲間外れにされるのを恐れているのだろう。女の私に負けて、罵られることもあった。田村君は、「男のくせに情けない奴」、鈴村君は「チビの短足は走るのが遅い」とマウントをとる。私はその現場を見ても助けないという状況が長い間続いていた。やはり、今思えば子供ながら残酷、いや子供だから残酷なのか。田舎という環境が悪いのか。でもそれは言い訳で、私が弱いだけだったのだろう。私は、背の高く、外で遊びまわっているから並みの男子より力が強かった。それで怪力女だとか、デカ女だとか言われていた。笑ってごまかし、女心を押し殺していた。小川君を助ければ、また言われないことを吐き捨てられる。わが身可愛さゆえに、小川君を見殺しにした。近所の悪友というというのが余計に悪い。切っても切れない関係というのは、本当に質が悪い。そしてなにより、小川君も泣きもせず、言い返すこともせず、ただ笑って誤魔化していた。ゲームは小川君の独壇場だったからこそ、田村君、鈴村君は逃げていた。しかも、私たちの親に根回しをし、ゲームを小川君から奪うという徹底ぶりを見せる。小川君は頭がよかったので、馬鹿になるから外で遊んであげると方便を使っていた。子供の関係というのは、親の関係縮図なのだと子供ながら思ってしまっていた。田舎だから、親たちは村八分という私刑を恐れる。都会にも同じような状況はあるのだろうが、田舎はそれがもっと濃い。だから上京したのだ。
でも小川君は本当に頭がよかった。靴飛ばしの攻略法を思いついたのだ。小川君は突然ブランコを漕ぎだした。そう、ブランコの遠心力を利用したのだ。今までの距離を大きく塗り替えるもので、大記録を樹立させた。だが、田村君、鈴村君は、「うわ、セコイやつ」と言い放つ。どの口が言っていると思った。悪ガキ2人は同じことをすれば小川君なんて簡単に勝てると踏んでいたのだが、ブランコの遠心力を利用するためには靴を一番飛距離が出るタイミングで靴を蹴り出さなければならない。私も挑戦してみるものの、綺麗な放物線を描くことはなかった。やっぱり、小川君は頭がよかった。ただ、子供というのはやはり経験が足りないのだろう。このブランコを使った靴飛ばしの「失敗」を考えることができなかったのだ。
私の靴は、誕生日に買ってもらった私にしては可愛いものだった。スニーカーだったものの、ピンク色だった。でも履くと速くなれるという靴を選んでいた。お母さんに、せめて女の子らしい色にしなさいと言われ、私には似合わないピンクのスニーカーだった。でも履くと速くなれる靴は男子に羨ましがられた。だから、私にとっては自慢の靴だったのだ。そんな靴をブランコの裏手に飛ばしてしまったのだ。悪ガキ2人は「だっせ!そんな靴履いてるからだ」と笑う。小川君にも勝てる見込みがないので、2人は帰ると言って帰ってしまった。ブランコの裏手はフェンスがあるものの、土手になって草が生い茂り、探すにもどこに飛んで行ったのか分からない。もう帰る時間なのだ。もうすぐ、夕焼け小焼けの町内放送がなってしまう。なにより、手元が暗くなり探すにも探せなくなる。私は、焦り、泣きながら、自慢の靴を探した。でもどこにもないのだ。せめて、どの方向に飛んだのかが分かれば、見当がつく。でもそれも分からない。ただでさえ、探す面積は広いのに、小さな小学生女の子の私には広すぎるのだ。聞きたくもない町内放送が鳴り響く。夕日が落ちる。ついに手元が暗くなり始める。私は、諦めて片足が裸足のまま、泣きながら、靴下を汚して、みじめな思いをして帰った。
帰ったら、お母さんは慰めてくれなかった。物を大事にしないこと、ブランコ靴飛ばしなんて女の子のやることではないことを逆に叱られてしまったのだ。泣きっ面に蜂というのはこういうことだ。泣きながら夕飯を食べたが、半分しか食べれなかった。なによりおいしくなかったのだ。今でも、あの日の夕食の味は覚えている。涙を飲んでいるのか、味噌汁を飲んでいるのか分からなかったなぁ。悪ガキ2人がいっしょに探してくれなかったことを思い出し、悔しくなり泣いた。自慢の靴を失くしてしまったことでまた泣き。涙が止まらなかった。その日ばかりは、女の私が出ていた。確かに、女の子がする遊びではない。でも近所の悪友は男しかいない。環境を呪った。男でない私が悪いのかとも思った。女の子らしい遊び、可愛いものなんて、周りが許さない。それをお母さんが理解してくれないのも悲しい。一人ぼっちで遊んでろと言われた気分になる。しかし、そこで玄関をノックする音が鳴った。おとうさんは、玄関をノックしないし、こんな田舎では夜7時を回れば、来賓なんてくることがない。お母さんは、怪しみながら引き戸を開けた。
そこには泥だらけになった小川君が立っていた。私の自慢の靴を手に持っている。小川君は小さな声で
「夜遅くに、御免ください。薫ちゃんの靴を届けに来ました。薫ちゃんいますか。」
と言った。確かに、声は小さかったが玄関のほうからそう聞こえたのだ。
私は急いでグズグズになった顔をタオルで拭くも、腫れた目を気にしながら小川君の前に勇気を出して、出て行った。
「あ、薫ちゃん。薫ちゃんのピンクの可愛い靴見つけたよ。あとごめんね。僕がブランコなんて使うから。これは僕のせいだから。じゃあね。」
小川君は、鬼ごっこの時よりも速く、小川くんの家に向かって走って逃げてしまった。お礼も言えないまま、いやお礼よりも「可愛い靴」で言葉を失ってしまった。もう恥ずかしいと嬉しいが同居し、あれだけ泣いていたのに涙が止まらなくなってしまった。
お母さんが「ちゃんと後でお礼いうのよ。」と言ったが、どうお礼を言えばいいかわからない。ただ、靴を見つけてくれただけじゃなく、私を救ってくれた。ありがとうという言葉では伝えきれないと思ってしまう。私は靴を抱きしめた。
そして、現在の私は東京で、女の子らしくメイクをし、流石にヒールを履いている。市役所で手続きは済んでいて、私の苗字も変わった。ガラスの靴を見つけてくれた小さな男の子の苗字になっています。
靴飛ばしなんて、田舎の子しかやらないだろうなと思いながら、書いてみた。都会で育った人はあまり共感を得られないだろうけど、田舎の子供社会ってこんな感じなんですよね。田舎がいいのか、都会がいいのかわかりません。
俺が小学生のころ、女の子が靴飛ばしで靴を吹っ飛ばして、大捜索しても見つからず、学校で靴飛ばしが禁止になった事件があったので、それを題材にロマンチックに書くとこんな感じでした。運動神経が無い陰キャにとっては、田舎は地獄だと思います。田舎の陰キャ小学生、強く生きろ。俺には何もできん。