見えるという事
多分3話ぐらい、もう本筋 出来てるので今日中にやりたいです。
「見る事を考えてみよう」
見るとは識別の要素の一つ、触れば質感が解るように、嗅げば匂いが解るように、音もそうだ、目の見えない君に説明しよう。
「触る事と聞く事」
触ると言う行為は多くを知ることが出来る、形、質感、温度、しかしそれは手の届く範囲だ、危険な物はもっと早く知りたいだろう?次は聞く事を考えよう、音は離れててもわかる、得に動きがある物、危険な物はだいたい音を出す。触った経験と合わせれば、触らずに世界を想像出来る。素晴らしいね、次は匂いだ
「匂い」
匂いは音とおんなじだ、触らなくても解るのだし、しかも動かない音が無い物にも匂いはある。更にすごいのは、今無くても、在った物も匂いを残す…過去が残るんだ凄い事だろ?
そしていよいよ、見る事さ、目の無い君に伝えよう。
「見る事」
見るとは音や匂いと同じ、触らないでも感じる力さ。見えるのは顔の前の方だけだし、ずーっと遠くまででは無いけれど、触らないのに形がわかる。音と違って動きがあっても無くてもさ、だけど温度や硬さは解らないね、触った経験と合わせて想像するぐらいだよ。
言ってしまえばそれだけの力さ…感じる力を考えようか
「感じる力」
人は色々な物に囲まれている、危険な物、安全な物、恐ろしい物、優しい物。人は好ましい物に手を伸ばし
恐ろしい物からは逃げないと行けない、だから耳や鼻があるし、ついでに目を持つ人が多い、音で気付き目で見て匂いを嗅ぎ指先で突き掴むのだ。」
目がない君は杖を持つだろ?
そうさそれで済む話だ最後に幸福と不幸の話だ。
「幸福と不幸、美しさと醜さについて」
知ると言う行為にはこの2つと一つさ、手を伸ばせば温もりに心地良さを覚え、或いは痛みに焼かれる事もある、匂いは安らぎを運んでくるか、悪臭を運んでくるか、音は親しいあの人の声か、誰かの罵声かもしれない
目で見る幸福を<美しさ>と呼ぶ
目で見る不幸を<醜さ>と呼ぶ
君が一時間かけて指でなぞる形、大きな愛しいその存在が一瞬で心に飛び込んでくる。
見るとはそういうものなんだ、一瞬で心満たされて人は美しいと呟くのだ。
君の鼻をつく悪臭や指先を痛めつける痛みの化身が、不快な存在の巨大な形が群れが、一瞬で心に飛び込んでくる、それを人は<おぞましい>という。
あなたが手に出来なかった幸福は、あなたが触れずに済んだ不幸でもある。
さて、今日はおしまいだよ。明日は<色>について話しをしよう。
先生がカーテンを閉める音がした。カーテンとはひらひらした布で、朝と夜の間で閉めたり開いたりする物だ。そう…今は夜が訪れたんだわ。
「おやすみ先生」
「おやすみナデル」