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「ね、アリーナ様。レオ様のお顔についてどう思われて?」
リュドミラ様から唐突に受けたそんな問いに、わたしは思わず目をパチクリさせてしまった。
「え? レオニード殿下のお顔ですか?…… あの。とても素敵だと…… 思います」
「具体的には?」
「ぐ、具体的に、ですか? 」
涼しい顔でお茶を飲まれているレオニード殿下を目の前にして言うんですか?
「そ、そうですね。とても、お、お美しいかと…… 」
わたしが熱で倒れてしまってから数日して再開した勉強…… その合間になぜか毎日お茶の時間が持たれるようになった。メンバーはレオニード殿下とリュドミラ様とわたしの三人。リュドミラ様は一緒に授業を受ける日もあれば、お茶会から参加の日もある。政務でお忙しい殿下のために、リュドミラ様と二人、殿下の執務室へと通うことになり、毎日奥宮から表宮へと移動してお茶会…… をしている。三日目の今日もまたそうだ。そしてそのお茶会の話題は、なぜか今のようにお答えしにくいものばかり。初回はイアンお兄さまのことについてだったし、昨日は、好みの異性のタイプについて。そして今日はレオニード殿下の容姿がテーマのようらしい。語る内容を決めていらっしゃるのはリュドミラ様なので、文句は言えない。メンバーの一人である殿下は、テーマに対しての文句は口にされないものの、昨日は機嫌が悪くなるし、お茶会自体をどう思っていらっしゃるのかよくわからない。それなのにリュドミラ様とのお時間をとるためか必ず出席されるのだ。
花のような香りを振りまきながら、リュドミラ様が身を乗り出されてきた。
「えぇ。お美しい。そうですわよね。我が国の誇る完璧王太子殿下ですもの。世の女性が喉から手が出るほど欲しがっていらっしゃるものをあっさりお持ちなの。実を申しますとね、わたくし、初めて殿下にお目にかかったとき、女の子だと思いましたのよ」
お、女の子? 思わず殿下の顔を見てしまった。なぜかバチリと合った視線に固まっていると、殿下の切れ長の目尻が一瞬さがり、優しく口元が綻ぶ。艶やかな美貌に浮かぶ笑みを目の当たりにし、心臓が意味もなく早鐘を打った。美しくはあるけれど、男性であることは間違いないこの方が女の子に間違えられていたなんて……
「わたくし、自分より美しい女の子を見たのが初めてでとてもびっくりしましたわ。ほほほ。その後、他にもわたくしより断然美しい女の子に会いましたから、今ではもうそんな傲慢な思いは捨ててしまいましたけれど。わたくしも随分と鼻持ちならない子供でしたわね」
ほほほ、と笑われるリュドミラ様より美しい女性なんて絶対にいるわけがないと思う。
「今でこそ、このようにどこから見ても女性に間違えられることなどはございませんでしょうが、当時のわたくしはそう思ったのです。なので、殿下にドレスを着せましたの」
リュドミラ様…… 今なんと仰いました? 恐る恐る殿下を盗み見るとまたバチリと視線がかち合った。なぜいつもこちらを見ているのかしら。普通なら男性は女装させられた過去など思い出したくもないどころか他人にバラされてしまうことを嫌うはずだから、聞き流せ、とそういうことなのかしら。
「女装なさった殿下はまるで天使のように可愛らしかったですわ。アリーナ様もご覧になっていますのよ? 覚えておいでではありません?」
え? 文字通り目が点です。
「いいえ、まさかそんな…… わたしが王宮に上がったのは、三年前のデビュタントの時が初めてでしたので」
リュドミラ様がさらにこちらに身を乗り出して来られ、思わず仰け反ってしまった。
「三年前ですわね。わたくしもはっきり覚えておりましてよ。アリーナ様が入場された時、その銀の御髪がシャンデリアの光を受けてキラキラ輝いていらっしゃったのを。月の女神はかくあらん、と思わせるようなお美しさに当てられ、会場がしんと静まりかえったのですわ」
どなたか他の方とお間違えではないかしら。
「初めて訪れた王宮の壮麗さと、初めての煌びやかな夜会に驚いてしまって、惚けてしまっていたのは覚えておりますが、リュドミラ様の仰るようなことはありませんでした」
同じデビュタントの令嬢たちと、友人になれたのは嬉しかった。
「それに、どなたからもダンスを申し込まれたりはしませんでしたし」
リュドミラ様の瞳がきらりと光って、レオニード殿下の顔にちらりと視線を送った。
「それは、まぁそうでしょう。そこのヘタ…… いえ、きっとそのような根回しが…… いいえ、なんでもありませんわ」
見ると、手にした扇でトントンと反対の手のひらを打ち付けながら言い淀むリュドミラ様に、レオニード殿下が微笑みかけられていた。三人でこうしていると、こういうことがよくある。お二人だけで視線で会話をされているというか…… やはり想い合うお二人には独特の空気が生まれるものなのだろう。当然のことなのに、目の前の光景がなぜか心に影を落とした。
「君には私が申し込んだはずだが? こんな風に」
するりと席を立たれた殿下が、わたしの目の前に大きな手を差し出した。頭で考えるより早く、反射的にその手に自分の手を重ねてしまった瞬間、そっと引き上げられ、流れるようなエスコートを受ける。驚いて目を見張ったわたしを、殿下は今まで自分が座っていらした席に座らせ、わたしが座っていた席に腰を下ろされた。席替えである。なぜ? 疑問はすぐに解けた。わたしが今まで座っていた席のほうが、リュドミラ様に近いのだ。それで殿下は…… さっきより強く胸が痛んだ気がした。
「…… まったく心の狭い方ですこと」
はっ、としてリュドミラ様に目をやると、その青い瞳は、わたしではなく殿下に注がれていた。そしてその視線に呆れたようなものを感じ、わたしは首を傾げた。わたしの心の中がリュドミラ様にわかってしまわれたのかとヒヤリとしたが、そうではないようでほっと胸を撫で下ろす。
「まぁ、いいですわ。焼きもちは恋のスパイスですものね。アリーナ様。レオ様のことは放っておきましょう。それより先程のお話の続きですわ。デビュタントの時ではなく、もっと前ですの。王妃様主催の年頃の令嬢が集められたお茶会を覚えていらっしゃいません?」
リュドミラ様に促され、記憶を辿る。王妃様主催のお茶会。子供の頃……
「チョコレートファウンテン……?」
パチン! リュドミラ様が扇を鳴らされる音がした。
「そうですわ!令嬢といってもまだ小さな子供たち。それ用に様々な趣向が凝らされていたお茶会でしたの。チョコレートファウンテンもありましてよ。あとはコットンキャンディなどもありましたわね。思い出されたのですね?」
そんなことがあったような気がする。虹色のフワフワしたキャンディ…… を落としてしまった?…… そこまでしか思い出せないわ。でも黒と青の2対の瞳に迫られるように、特に青い瞳には期待されているかのように見つめられ、言い出せない。
「リュドミラ、忘れていた記憶をいきなり思い出せというのは酷だ。アリーナ。気分転換に庭を散歩でもしないか? 」
ふ、と口元を綻ばせたレオニード殿下が、再びわたしの前に手を差し出した。
「いいですわね。お天気もいいですし。行ってらっしゃいまし」
まるでリュドミラ様は来られないような言い方に驚いていると、いつのまにか取られていた手を握られ、立ち上がると、反対の手が腰に添えられた。慌ててリュドミラ様を振り返る。
「リュ、リュドミラ様はいらっしゃらないのですか?! 」
にっこりと微笑みながら、ひらひらと手を振られてしまった。
「だって、絶対付いてくるな、と睨まれるんですもの。それにわたくしこの後、父に呼ばれていますので、そろそろ失礼させていただこうと思っておりましたの。アリーナ様、また明日。どうぞ楽しんでいらしてね。レオ様ほどほどになさいませよ」
美しく礼を取られたリュドミラ様が扉の向こうに消える。に、睨んでなどいない。ご、誤解されてしまったのだ。さぁーと顔が青くなるのが自分でもわかった。
「アリーナ、顔色が悪い…… いきなりどうした?」
腰に触れていた手に力が入り、ぐいっと引き寄せられる。顎に長い指がかかり、くいっと持ち上げられた。見上げると、びっくりするほどの近さにレオニード殿下の秀麗な美貌があった。滑らかな白い頬に落ちるまつ毛の影さえもくっきり見える。こんな近くに寄ったのはあの日以来。あの日の口付けが頭に蘇る。
「…… 薔薇色に戻ったな」
殿下の手がわたしの頬をそっと包んだ。宥めるような色を浮かべた黒い瞳に魅了され、視線をそらすことができない。やっとの思いで下を向く。耳までが熱かった。ふっと微かな笑い声が聞こえると、そっと僅かに身体を離された。腰の手はそのままで、気づくと既に流れるようなエスコートを受けていた。
ありがとうございました。