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よろしくお願いします。
「まぁ。アリーナ様。ありがとうございます。レオ様。お聞きになって? よろしゅうございましたわね」
ほほほと軽やかな笑い声のリュドミラ様は眩いほどに美しかった。
「アリーナ様。どうかわたくしとも仲良くしてくださいませね」
なんて出来た方なんだろう。仮初めとはいえ一時的でもレオニード殿下の婚約者と呼ばれる立場のわたしに対してもこのお優しさ。この方を差し置いて他のどんな令嬢も王太子殿下の隣になど立てるわけがないわ、とわたしは再認識した。
となればまずは昨日の非礼を改めてお詫びしないといけない。ベッドの上ではあるものの、形だけでもと思い、居住まいを正した。
「殿下、リュドミラ様。このような姿勢のままで申し訳ありませんが、一言お詫びをさせてください。昨日はお見苦しいところをお見せし、大変失礼いたしました。事情も鑑みず、勝手に逃げ出したりしまして、申し訳ございません。わたしも端くれではありますが、貴族に生まれたからには、この国に尽くす義務があることはわかっております。もう逃げ出したりなど致しません。お二人が晴れて結ばれますまで、お役目を果たさせて下さいませ」
頭を下げる。と、唐突に、籤引きで選ばれたとは言え、この話に嬉しそうだった家族の顔が目に浮かんだ。胸がギュッと締め付けられるように痛む。お父さま、お母さま、期待させてごめんなさい。わかっていたけれど、わたしではやっぱりダメだったみたい。もともとこんなに似合いのお二人の間に割って入るつもりはなかったけれど、入る隙間さえもなかったことに改めて気付いたわ。
「……君は一体何を言っている?」
下げ続けた頭の上から、何故か驚いたような声が降ってきた。
「アリーナ様? 」
対して、柔らかな声に含まれているのは懸念の色?
「あの……「私とミーリャ、リュドミラが…… なんだと?」
被せるような言葉とともに、大股で歩み寄ってくる殿下の姿に、意図せず身体が縮こまる。それに気付いたのか、リュドミラ様が片方の手をそっとあげられた。
「レオ様。これは一体どうしたことでございましょう。あの日からかなりの時間が過ぎましたけれど、アリーナ様のこのご様子は一体? なにもお教えにはなっていらっしゃいませんの? 」
かあっと頬が赤くなるのがわかった。つい先ほどまで事情を理解しようとしなかった上、許可も得ずにその内容を口にしてしまったことに今さらながらに気付いた。どこでどのように情報が漏れるかなどわからないもの。リュドミラ様の言葉の端々に感じる不信の色は当然のこと。わたしは本当にダメだ。
「あ、いいえ。アリーナ様。わたくし、貴女に怒っているわけではありませんの。そこのヘタ…… いえ、王太子殿下に少々申し上げたいことがあるだけですのよ」
わたしのせいで、万一にもお二人が言い合いをなさったりなどしてはならない、その一心で必死に言葉を紡いだ。
「リュドミラ様。王太子殿下はわたしのために、あらゆる分野の教授方をお招きくださっております。わたしが勉強不足なのは否めませんので、これからももっとしっかりと学びます。お怒りはどうぞわたしだけになさってください……」
また花の香りを強く感じた。いまだ握られたままだった手を離し、腕をあげられたリュドミラ様がわたしの肩にそっと寄り添われる。
「アリーナ様。可愛らしい方。わたくしも、貴女のファンになってしまいそうよ」
「アリーナ。いい加減リュドミラから離れるんだ」
いつのまにか近くに来ていたレオニード殿下が、リュドミラ様のほっそりとした腕を掴む。抱擁が解かれ花の香りが離れていくのが少し寂しい。
「ほほほ。レオ様。妬かれていらっしゃいますの? 知りませんわ。元はと言えばレオ様のせいではありませんの。自業自得ですわ」
レオニード殿下の刺すような視線が痛い。それがリュドミラ様に近づきすぎたせいであるとわかった今は、できるだけ距離をとる。それほどまでに想われているリュドミラ様を羨む気持ちには気づかないフリをした。
「ね、アリーナ様。先ほど仰られたお勉強のことですけれど、毎日授業がありますの? 」
仮初であるけれど、本来ならばリュドミラ様の立たれる位置にいるわたしの出来栄えが気になるのは当たり前のこと。そう思ったわたしは、こちらに来てからの毎日をかいつまんで説明をした。
「……まぁ。では、アリーナ様。王宮に来られた翌日から、肝心なお話はなにもなく、勉強三昧でいらしたの? ほほほ。まるで監禁、のようですわね。ねぇレオ様 」
こころなしかリュドミラ様の笑顔と声音が固くなったような気がする。部屋の隅にあった椅子をベッドのそばに寄せ、長い足を組まれていたレオニード殿下が気まずそうに顔を背けられるのが見えた。
「リュドミラ様。たしかに毎日の勉強は大変でしたが、今までのわたしでは学べない授業が数多くあり、とても有意義に過ごさせていただいております。いずれこちらを辞することになりますが、学ばせていただきましたこと、今後に活かせれば、と思っております」
ガタン、突然、レオニード殿下が音を立てて立ち上がった。驚くわたしをひと睨みすると、踵を返した。
「私はそろそろ政務に戻る。アリーナ、君は2、3日休養するように…… リュドミラ、よろしく頼む」
「はい…… 」
何を言っても殿下を怒らせてしまう自分が情けなく下を向いた。
「承知しましたわ。レオ様。曲がりなりにもあなた様のたっての願い。謹んで引き受けさせていただきます。ですが、わたくしにできることは限られておりますわ。あとはレオ様ご自身がなさらなければなりませんわよ? そして再び間違えれば、手に入れることが叶わなくなること、お心に刻まれませ」
殿下の大きな背中がぴたりと止まる。
「…… あぁ。わかっている」
わたしの言葉で不快になられたのだと思ったのに、その声はなんだか切なさを含んでいるように聞こえた。気のせいかもしれないけど。
「アリーナ様」
殿下が扉の向こうに姿を消されると、リュドミラ様がまたわたしの手を握られた。あまり近くに寄ってしまってはまた殿下に怒られることになると思い、戸惑っていると、リュドミラ様が華やかに微笑まれた。
「わたくしとこうしているのがお嫌?」
びっくりして首を振る。
「いいえ。まさかそのようなことはありません。わたしのような者にもそのようにお優しくしてくださって感謝しています。ただ…… 」
「レオ様のことが気になられる? 」
「はい。これ以上、殿下のお怒りに触れてしまっては、と心配です」
リュドミラ様の青い瞳がきらりと煌めいた気がした。
「お怒り…… というか、あれはただの焼きもちですわ。レオ様は遅くやってきた初恋を拗らせていらっしゃるの」
「初恋、ですか? 殿下とリュドミラ様は幼い頃から仲睦まじくていらっしゃったのではないのですか?」
「えぇ。わたくしとレオ様は、恐れ多いことですが歳の近い従兄妹同士。幼馴染でもありますわね」
小さな頃から一緒に遊んでいた女の子が、いつのまにか美しい女性になり、恋をされたということ? リュドミラ様がおかしそうに笑われるのが不思議で首を傾げてしまう。
「ところでアリーナ様。先ほどレオ様と、わたくしにご協力くださるっておっしゃったわね? 」
こくりと頷く。
「はい。リュドミラ様が王太子妃になられる……」
リュドミラ様が唇の前で人差し指を立てられた。戸惑いながらもわたしは言葉を切った。
「ね、アリーナ。ご協力くださるんでしょう。レオ様とわたくしの幸せのために」
再びこくりと頷く。
「ふふ。そのお言葉、絶対にお忘れにならないでね」
ありがとうございました。




