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よろしくお願いします。
二日寝込んだ。
とりあえずの帰宅を許され、殿下が用意して下さった馬車に揺られ、タウンハウスに帰り着いたわたしは、エントランスに入ったところで気を失ったらしい。
二日後、ようやく目を覚ましたわたしは、呑気に寝ていた二日間のうちに、すべてが決まってしまっていることを知った。
「あー。その、なんだ。とりあえずはおめでとう、アリーナ 」
お父さまは隠しきれない満面の笑み。お父さまにもちょっとはあったのね。野心というものが。
「アリーナちゃん。お母さまにはわかっていたわ。いつかこんなことになるじゃないかって 」
こんなこととは? クジ引きで王太子殿下の婚約者に選ばれること? お母さま…… つい先日までと言ってることが違います。
「母上。たしかにそうです。うちのアリーナは可愛い。可愛すぎるのが玉に瑕なぐらいに可愛い。王太子殿下の目にとまるのも当然でしょう 」
イアンお兄さま…… 目にとまったのではなく、クジ引きに当たっただけなのを忘れてはいませんか……
「姉上、お加減はいかがです? 医師はショックで寝ているだけですなんて言っていましたが、なかなか起きて下さらないので心配しました 」
さすがアドリアン。まだ10歳なのに家族の中で一番落ち着いている。
「夢オチ…… 」
「ではない。婚約式はまだ先だが、お前はすでに未来の王太子妃として、王陛下からも王妃様からも祝福のお言葉をいただいたのだ。なに。心配することはない。レオニード殿下がすべての手はずを整えて下さるとのことだ。令嬢としてはどこに出しても恥ずかしくないよう育ててきたが、王太子妃ともなるとまた違うもの。しっかりと学び、殿下をお支えするんだぞ 」
お父さまが感極まったようにわたしの手を握りしめてくる。いったいいつ王陛下と王妃様からお言葉があったんです?!
「だが、お前が王宮に移るのは一週間後だ。もうこのように家族五人で過ごすこともなくなると思うと父さまは……いやいや、けっして殿下のなさりように不満を持っているわけではないぞ?! 」
呆然とした耳が、お父さまの爆弾発言をしっかりキャッチした。
「っ! 一週間? 」
素っ頓狂な声をあげたわたしの反対の手を握りしめるのはお母さま。
「えぇ。お母さまも最初は焦ったわ。たったの一週間じゃ、女性のお支度を整えるのは無理ですもの。でもね、アリーナ。なんの心配もいらないのよ。王宮ですべて新しいものをご用意くださるのですって。『こちらの都合で伯爵家を振り回してすまない。アリーナ嬢の支度はすべてこちらが用意するので、身一つで来て欲しい』ってレオニード殿下がおっしゃって下さって 」
お母さまは、殿下のセリフだと思しき部分をちょっと低めの声で再現すると、身もだえして頬を赤らめている。え? お母さま、いつ殿下とお会いになられたの?
「たとえ王太子妃になろうと、お前が私の可愛い妹であることは変わらないよ。殿下に虐められたらお兄さまに言いなさい 」
では、行きたくないと言ってもいいんでしょうか。
「父上、母上。兄上も。ちょっと待ってください。姉上のお気持ちはどうなるんです? ショックで倒れられるほどだったのですよ? 姉上に王太子妃のお役目など、僕には無理な気がします 」
まさにその通り。アカトフ家レベルの伯爵家の娘が王家に嫁ぐなんて聞いたことがない。わたしには無理だ。無理だけどアドリアン、そこまで言い切れるほどお姉さまはダメなのかしら……お姉さまはちょっと傷ついたわ……そんなところに足をもつれさせながら執事が飛び込んできた。
「旦那様! 王宮より、王宮より…… 」
「王宮? アリーナが目覚めたことをお知らせしたばかりだ。お返事がきたのかい? 」
執事がブンブンと首を縦と横に振る。どっち?
「失礼する 」
神々しいまでの美貌の持ち主が、煌々しい笑みを浮かべて、豪華な花束とともに入ってきた。
「顔色が良くないな。まだ身体が辛いのか? 」
「いえ…… 元気です…… 」
沈黙が痛い。なぜ二人きりなのだろう。しかも寝室で。わたしは一応未婚の令嬢のはずなのに、家族は全員(アドリアンを除く)用を思いついてさっさと退出してしまった。お母さまは、「あとは若いお二人で〜 」と顔を赤らめたまま、アドリアンはイアンお兄さまに口を押さえられて引きずられながら行ってしまった。二人きりとか緊張しすぎて気持ちが悪い。
「髪が下りている 」
「…… 申し訳ありません 」
穴があったら入りたい。たしかに無作法ですみませんとしか言いようがない。けれど、いきなり寝室まで入ってこられたのは殿下だし、わたしはついさっき目覚めたばかりで、ベッドから出られない、いわば病人。どんな貴族のご令嬢でも、寝る時には髪は下ろすはず! いきなりやって来て、支度もさせなかった殿下のせいです! と言ってやりたい…… が、言えないわたしは、黙って俯いた。
「…… 不思議な色だ 」
わたしはいつも寝る時は銀色の長い髪を片側に寄せてもらい、ゆるく編んでもらっている。寝ていた間に侍女がやってくれたのだろう、いまもその髪型だ。色はというと、たしかに珍しいかもしれないが、北のほうの国には多いと聞く。この国では明るい色の髪が多いのだから、どちらかというとわたしのより、殿下の黒髪のほうが珍しいのでは…… と思いつつ、所在無げに髪を指に絡めた。
「なっ! 」
突然、すっと伸びて来た手が、わたしの長い髪をちょこんと摘んだ。そしてそのまま口元に引き寄せたのだ。
「柔らかい。 そしていい香りがする 」
「な な な なっ! 」
「ん? いきなり顔が赤くなったな。熱があるのか? 」
当たり前でしょうが! 美貌の王太子殿下に髪に触られた挙句、匂いを嗅がれ、感想を言われたのだ。わたしだって家族でもない男の人に髪に触られたことなどないほどに箱入り令嬢ではあるのだ。全身の血液を顔に集めながらわたしは叫んだ。
「わたしでは無理です! もっと相応しいご令嬢がいらっしゃるではありませんか! どうぞその方をお召しになってくださいませ! 」
殿下の眉がぴくりと上がる。と、自身の指に絡ませたわたしの髪に視線を落とす。
「拒むことは許さない、と言ったはずだが? 」
「それは伺いました。ですが、現実的に王太子殿下のお相手として、わたしでは力不足なのはお分かりのはずです。わたし自身もそうですし、我が家には殿下の後押しができるほどの力も財力もございません 」
長い指がつまらなさそうに髪を弄ぶ。
「私が、妃の実家に頼らねばならぬほどの無能な男だと? 」
なぜそうなる! そうではなくて、わたしもアカトフ家も王家との縁組に相応しくない、と言いたいだけなのだ。
「まさか! 違います。王太子殿下が英邁な世継ぎの君であることは、国中が存じております。その方のお隣に立たれる方もまた、才も美も併せ持つ方が相応しいと国中が期待をしているのです 」
「君はそれになれないと? 」
「…… 恐れ入ります 」
「なれないのではなく、なりたくないと言っているように聞こえるのは私の気のせいか? 」
どちらでもいいではありませんか! なれる、なれないの問題ではないのだから。『なってはいけない』が、一番しっくりくる。
「何故、私の妃を決めるにあたり、クジ引きなど馬鹿げたことをしたと思う? 君はそれについては考えなかったのか? 」
考えましたとも。クジとはいっても、高位貴族のご令嬢の中から選ばれるのだと。まさか招待した令嬢全員を母数に入れるなどと考えるほうがおかしいと。
「王陛下や殿下がお決めになったとしたら、現在の勢力バランスが崩れてしまうため、と考えました 」
殿下の口元にうっすらと微笑みが浮かんだ。どんな表情であれ、殿下の美貌を損うそれなどないのではないだろうか……
「まったくわかっていないな。君は。君と、このアカトフ伯爵家には『可』がないとすれば、特段の『不可』もない。それだけだ。不可にならぬ相手。私が必要としているのはそれだ。その点、君を選んだことは私の『可』になるとも言えるが 」
メリットもなければ、デメリットもない。空位にしてはおけない地位を埋めるためだけの存在…… なるほど。それならわかる。女性としてはかなり落ち込むけれど。
「それに君が呑気に寝ていた間に、君の父上には承諾をもらったし、私の父上母上にも報告済みだ。よって君が私の妃になることは決定事項だ。一週間後に迎えをよこす。それまでに覚悟を決めておくことだ 」
唇を噛みしめるわたしに、反論の余地はなかった。
「あぁ、それに才も美も、ある程度は努力で磨けるもの。期待をしている 」
残ったのはとどめを刺されたわたしだけだった。
ありがとうございました。