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誰に説明させようかと悩みました。でもこの人がいちばん客観的かもと思い、選びました。いつもより長いですが、よろしくお願いします。
重厚な扉が、その両脇に立つ近衛兵の手によって恭しく閉じられた。その音を背中に聞きながら、目的地に向かって王宮内を進む。気持ちは急いているけれど、いかに自分を優雅に見せるか、ということにかけては、わたくしの右に出る令嬢はいませんわね。内心でそう独り言ちながら歩みを進める。脳裏に浮かぶのは、大事な幼なじみとその想いびと。
元王女であった母の影響で、幼い頃から王宮に入り浸っていたわたくしが、従兄であるレオ様と兄妹のように育ったのは自然な成り行きだった。
王妃様譲りの際立った美貌と、王族としての気品、生まれ持った天賦の才。なにもかもを手にしていたレオ様の黒い瞳は、しかしいつもどこかひどく冷めていた。今思い返せば、あの頃のレオ様は、なにもかもを持ちながら、なにも持っていないのと同じだったのだと思う。自ら努力して成したものでないものを人から褒めそやされ、たいした努力もせずに手にしたものが、他の人にとっては喉から手が出るほどに望むもの。こんなものか…… その黒い瞳にはいつも諦念が宿っていたように思う。
憂いた両陛下から、母を通じてレオ様の遊び相手になるように言われていたけれど、レオ様はそんなもの必要としていなかった。なのでわたくしはわたくしの好きにした。恐れ多いことだけれど、レオ様へは家族としての親愛の情があったし、なんの努力もせず、自身の能力を持て余しているのが可哀想だと思ったから。従妹とはいえ、王族ではないわたくしのレオ様への奔放な振る舞いは、けれど、ずっと周りの大人たちから許容されていたように思う。誰よりも王を継ぐものとしての能力を持ちながら、その能力が枷になってしまっているレオ様を、誰しもが案じていたから。
かといって、幼いわたくしに特別な何かなどできるはずもなく、ただただ一緒に時を過ごしていただけだった。そんな中、忘れもしないあの日がやってきた。レオ様とわたくし、それぞれがそれぞれの運命と出会ったあの日。
それは、王妃様が、そろそろわたくし以外の同じ年頃の子供たちとレオ様を引き合わせようとなさったあのお茶会でのこと。いずれやってくる代替わりの未来、その時に殿下を支える者たちをそれとなく見定めるため、上位貴族のみならず、中位貴族の子供たちも王宮の庭園に集められた。レオ様とわたくしは、そこであの兄妹に出会ったのだ。
「ミーリャ、私は行かない 」
「まぁ、そんなこと仰っていると王妃様に叱られましてよ? 」
はぁーっとため息をつきながらレオ様が髪をかきあげる。
「このような面倒なことを、嬉々としてやっている母上の気が知れない 」
「あら。レオ様のためではありませんの。王位を継がれた時に、おそばでお支えする者たちに会っておくのは大事なことではありませんの? それにいずれお妃様もお迎えにならないとなりませんし、今のうちに親交を深めておけば…… 叔母様の親心ではありませんの 」
まただ。普段ならなんの感情も感じさせないレオ様の黒い瞳に諦めの色が宿る。
「父上と母上の子供は私しかいない。私が王位を継ぐことが避けられない未来であるのと同様に、貴族の子供たちも同じだろう? 宰相の子は宰相になり、将軍の子は将軍になる。今知り合ったところで何になるんだ。どうせいつかはそれぞれの決まった立場で顔を合わせる。そこに友情が必要なのか? 結婚相手にしたって同じだ。父上や母上が貴族たちの均衡を保てる相手をいずれ私の隣に置かれる。それだけだ。 そもそも皆、王太子に対し本音で接してこようとするものなどいない。そんな中で友人などできるはずもないだろう? まぁ、王太子なんてどこの国でもそんなものだろうから今更だが。あぁミーリャ、君がその第一候補だろう? まぁ、気心知れた君なら私も受け入れるだろうとのお考えは親心かもしれないな 」
たしかに両陛下もバランコフの両親もそれをまったく考えていないということはないにしても、まるでわたくしで手を打ってもいい、とでも言いたげなレオ様の発言は失礼極まりない。
何度目になるかわからないため息を吐くレオ様の、憂いを宿した横顔はとても美しかった。滑らかな頬に驚くほど長いまつ毛が影を作る。これでいてなんの手入れもしていないのだから嫌になる。肌の手入れ、髪の手入れ、プロポーションを保つ努力…… わたくしは常に努力しているというのに、レオ様はずるい。
「では『王太子殿下』ではなく参加されてみては? 」
いろいろと面白くなくて、そんな発言が口から滑り出してしまった。
「王太子ではなく? 皆が私を知っているのにそんなことができるわけないだろう? 」
「たしかにそうですわね。そのままでは…… 変装するにしても…… 変装ね…… そうだわ! レオ様! わたくし、妙案を思い付きましたわ!」
レオ様が胡散臭いものでも見るかのような視線を投げてよこした。
「ミーリャの妙案…… 絶対いい案じゃない気がする 」
重ね重ね失礼な。でも知っている。レオ様はとんでもなく賢いけれど、突拍子もないわたくしの言動が読めないからこそ、知りたくてわたくしをそばに置いていることを。なので今も絶対に聞きたいはず。
「女装ですわ。レオ様、女の子の格好をいたしましょう! 」
「はぁっ?! 」
レオ様は、もともとそんじょそこらの女の子よりよっぽど可愛らしい顔立ちなのだ。(もちろんわたくしのほうが可愛いけれど)そうと決まれば腕が鳴る。抵抗するレオ様をのらりくらりと説き伏せながら、ドレスを着させ、化粧を施す。決して面白がっていたわけではないけれど、一度やってみたかったことはたしかだ。レオ様には言わないが。
「化粧とは恐ろしいものだな。どこから見ても女に見える…… 」
抵抗はするけれど、自分にも周りにも興味のないレオ様は、こだわりも無い上に、絶対に無理なものもないから、その抵抗もたいした抵抗ではない。こういうところを周りの大人たちは心配するのだろう。でもほんとにきりっと美しい女の子に変身したレオ様に、少々やりすぎた感がちらりとよぎったのをかぶりを振ってやり過ごした。
バシャン! 大きな水音と、微かな悲鳴。はっと我にかえったわたくしが見たのは、銀色の少女を追って、ドレスのまま泉に飛び込んだレオ様の姿だった。わたくしも慌てて立ち上がり泉に駆け寄る。レオ様は泳ぎも得意なはずなのに、わたくしが着せたドレスのせいで身動きが取れない。その奥で、銀色の糸が水面に流れるのが見えた。
「だれかっ! だれか来てーっ! 」
わたくしの悲鳴より前に、水音を聞きつけたのだろう、近衛兵が何人か駆け寄ってくるのが見えた。
「レオ様と女の子が泉に! 」
わたくしの言葉に近衛兵の顔色が変わる。帯剣していたベルトを外し投げ捨てた近衛兵が二人、泉に飛び込んだ。当然のことながら最初に引き上げられたのはレオ様だった。ゴホッゴホッと咳き込むレオ様に駆け寄る。
「アリーナは? 私のことはいいから、はやく助けてやってくれ! 」
こんなに取り乱すレオ様を初めて見た。わたくしはおろおろするばかりで何の役にも立たなかった。銀色の女の子が泉から引き上げられた瞬間、レオ様はそちらに向かおうと、もつれながらも足を動かす。が、水を吸って重くなったドレスがそれを阻む。差し出された近衛の手を払い、何度も転びそうになりながらも、レオ様が女の子のところへたどり着いた。蒼白な彼女はピクリとも動かない。横たえられた彼女の上にレオ様が覆いかぶさるのが見えた。
「何を! 」
レオ様は、あろうことか少女の唇に自らの唇を押し当てていた。次に平らな胸に両手を当て、力一杯押し始める。交互にそれを行うレオ様の鬼気迫る表情に周りの者たちは手を出せなかった。レオ様の顔は何度もそれを繰り返すうちに、苦しげに歪み、息が上がり始めた。ゴボリという音とともに、少女の口から大量の水が溢れたのはそんな時だった。水を吐いた少女は苦しいのか何度も咳き込み涙を流していた。それを横で支えながら、女の子の小さな背中を何度もさすっていたレオ様の顔が泣きそうに歪むのが見えた。
「アリーナ!? 嘘だろう!? アリーナぁっ! 」
悲鳴のような声とともに、わたくしの側を銀色の何かが走り抜けた。女の子と同じその色。レオ様の腕の中から女の子を奪い取るとしっかり抱き上げ、荒い息を吐きながらへたり込むレオ様を見下ろす少年。
「レオ様のせいじゃないわ! 寧ろ、レオ様が助けたのよ 」
わたくしは何を言っているのだろう。
「レオ様? …… まさか王太子殿下? なぜそのような姿を…… 今、あなたは妹になにをしていた? 」
ギリギリと歯がみをする銀色の少年が、その視線をレオ様からわたくしに移した。真っ直ぐに向かってくる銀色の矢がわたくしの胸に突き刺さりわたくしは息を飲んだ。
「あなた方はお遊びかもしれない…… けれどたとえ王族だとしても、たとえ高位の貴族令嬢だとしても、人の命を弄んでいいわけがない! 」
「控えよ! 無礼であるぞ! 」
近衛兵が先ほど投げ捨てた剣に手を伸ばす。
「待て! この事態は私に責がある上、この者の言い分に理がある。そなたアリーナの兄か? 」
「私はアカトフ伯爵家嫡男イアン。王太子殿下、妹になにをされたのだ! ことと次第によっては…… 」
イアン様はどこから見ていたのだろう。レオ様が妹に無体を働いたと勘違いされてもおかしくはない。
「そなたの案じることはなにもしていない。が、そなたの思いはよくわかる。咎めは後で必ず受けよう。だがまずはアリーナを医者に診せなければ! 医者はまだか! 私は後でいい。アリーナを先に診てやってくれ!」
アリーナ様は、わたくしがまったく張り合う気にもなれないほどに美しい女の子だった。まだあどけなさの残った当時は愛らしさのほうが優っていたが、遠くない将来、国一番の美姫になることは誰の目にも明らかだったほど。流れる糸のような銀の髪は、まるで月の光を紡いだかのように陽の光に煌めいていたし、銀色のまつ毛に縁取られた大きな紫の瞳は、初めて王宮に来たのだろう、好奇心と感動とでキラキラと輝いていた。あのレオ様が一目で興味を持つほどに。いいえ、あのレオ様が一目で恋に落ちるほどに。
アリーナ様に出会ってからレオ様は劇的に変わられた。冷めたような瞳にははっきりとした目標が宿り、堅固な意思を持って重ねられた努力は、知も武も他の追随を許さないほど。全てはあの銀色の少女を手にするために。父王であらせられる陛下の出された条件をクリアするためだった。
陛下の出された条件は三つ。
一つ
アカトフ伯爵家の王家への地に落ちた信頼を回復し、その忠誠を得ること。
一つ
中位伯爵家から妃を娶り王太子妃とするなら、妃の実家の力など必要ないほど、王位継承者として国中の全ての貴族、全ての民から認められること。もしも他家から婚約の打診が来た際は自らが対処すること。
一つ
先の二つの条件をクリアするまで、アカトフ伯爵令嬢本人に決して私的な繋がりを持たないこと。
泉に落ちた後、アリーナ様は寝込まれ、目覚めた時には泉に落ちたことも、レオ様のことも覚えていらっしゃらなかったと聞く。その上、王家に不信を持った伯爵家の手配で、移動できるようになってすぐ遠い領地に引きこまれてしまった。逢いに行きたいのに、それを抑えられていたレオ様は、時折城のバルコニーからアカトフ領の方角をじっと見つめていらしたものだ。
レオ様は年月をかけて伯爵家の皆様のお心を解かれた。イアン様がごらんになった出来事が、決してアリーナ様を貶めるためのものではなかったこと。拙いながらも蘇生させるための行為だったこと。咄嗟の判断だったとはいえ、未婚の令嬢の身体に触れてしまったことに対し、真摯に何度もあらゆる手段で誠意を示され続けた。王宮の医師や、国内の識者から説明を受けた伯爵は、レオ様の判断がなければ、アリーナ様の命が危うかったことを知り、その謝罪を受け入れず不敬を働き続けたことを陳謝したと聞く。その後も王太子殿下のアリーナ様への想いと覚悟に心を動かされた伯爵は、今となってはレオ様の良き理解者となられている。あの日のお茶会に参加され、幼い妹君が王太子殿下に辱めを受けたかのような出来事を目の当たりにし、ショックを受けられたイアン様とも長い年月をかけて話し合われ、時を過ごされ、尊敬と友情とを勝ち取られた。そして今、名実ともにカーティスの王太子として、多くの貴族の心、民の心を掌握され、その忠誠を手にされたレオ様。陛下の出された全ての条件に素晴らしい成果をあげられたレオ様。
しかし今、そのレオ様は、ただの初恋を拗らせた残念な男に成り下がってしまっている。先ほどのお茶会でもアリーナ様以外目に入らない勢いで穴が開くほど凝視し続けた結果…… アリーナ様から怯えられる始末。先日、アリーナ様が雨に打たれて熱を出された時、なぜこんなにすれ違ってしまっているのか、レオ様を問い詰めたけれど、項垂れてかぶりを振るばかりで要領を得ない始末。アリーナ様がわたくしとレオ様のことを勘違いされ遠慮がちなのは、十中八九、レオ様がアリーナ様になにも伝えていないからだと思う。散歩中にきちんと想いを伝えられたらいいけれど…… あんなになんでも完璧に立ち振る舞われるレオ様が、恋愛に関してはこれほどまでに初心でいらしたとは…… それが少し可愛らしいと思っているのは、大事な幼馴染には内緒。なぜなら、レオ様へ協力するのはわたくしにとっても人生をかけた大事なことだから。レオ様が運命と出会われたように、わたくしもあの日、運命と出会ったのだから。
三日ぶりの逢瀬にわたくしの胸は弾む。銀色の髪を風に靡かせ佇むその人が、わたくしを待っているのは、ただただ妹を心配しているからに過ぎない。わたくしを通して王宮で過ごす妹の様子を知りたいから。今はそれでも構わない。けれど近い将来、わたくしは必ず貴方を振り向かせてみせますわ。
ありがとうございました。




