8 ずるむけ ―隔離村
翌日。
この日は、とてもいい天気だった。
ハールィチ達一行は、昨日、彼がそれを見たという場所に、立っていた。
「ここが、そうなんですか?」
なんでもない、建物の裏手を指さし、ドミトリーは声を発した。
「そうだ。ここに、大荷物の者がいた」
だがそこは、薪が積まれた、物置小屋があるだけだ。
彼らは、手がかりを求めて、小屋の間を調べだした。
「おい、ハゲ、オルガちゃんが具合悪そうだぞ」
青白い顔で、オルガがフラフラと揺れている。
その様子に、ステンカは心配気に彼女を支えていた。
「昨日の酒が、まだ残っている。ただの二日酔いだ」
ハールィチは振り向かず、黙々と周辺を捜索する。
「き、気にしないで、ください。私が、悪いんですから」
「とは言ってもよ、俺も飲ませた責任があるからなぁ」
「ステンカ、これに懲りたら、もう子供にお酒はやめてくださいね」
ドミトリーにもそう言われ、彼はばつが悪そうな顔をしていた。
オルガは、小屋の壁にもたれかかり、荒い息で深呼吸をする。
――まったく、あいつらときたら。
ハールィチは、内心、怒っていた。
昨夜のオルガは、酔いに酔って、かなりの醜態を晒していたからである。
彼に抱きついて離れないならまだしも、泣いたり、笑ったり、コロコロと感情を変え、挙げ句の果てに、嘔吐までしたのである。
しかも、それらの片付けは、全てハールィチがしたのだった。
そんなこんなで、寝不足な上に、翌朝の仲間の第一声が。
『楽しかったか?』
これでは、彼が不機嫌になるのも当然であった。
「やべぇな、ハゲ、すごい怒ってるぞ」
「当たり前でしょうが、反省しているのなら、少しは役に立ちなさい」
ヒソヒソと話す二人の事を、気づいているのか、いないのか、ハールィチはずっと背中を向けていた。
そして、しばらく経ったころ、ステンカの声が響いた。
「おーい、何かあったぞ」
その声に、二人が近寄ると、そこには木苺の生垣があるのみだった。
「生垣しかないですよ?」
ドミトリーの言葉に、ステンカは、剣を取り出して、生垣を突いた。
剣を使って、生垣を持ち上げる。
すると、その向こうには、人、一人が通れそうな幅の、一段低い通路があった。
「木苺の枝には、トゲがある。うまく考えたものだ」
一行は、その通路を進む。
ドミトリーが剣を片手に先頭を行き、その後ろにステンカ、ハールィチは、気分の悪いオルガを支えるようにし、薄暗い森の中の、生垣に挟まれた道を、彼らは行く。
やがて、道は、周囲との段差も無くなり、町の姿も見えなくなったころ、開かれた空間が、目の前に広がっていた。
「ここが、隔離村か……?」
ステンカが、驚いた声を出す。
目の前の森の中には、柵で囲われた、小さな村があった。
門の扉を叩き、彼らは大声で人を呼ぶ。
「おーい、誰かいないか!」
その声を聞きつけた村人が駈け寄り、彼らに誰何を問う。
「お前らは、何者だ?」
「我々は、旅の者。道に迷ってしまって、少し休ませてもらいたい」
村人は、彼らを一人ずつ見ると、ゆっくりと門を開け放った。
「仕方が無い、少しの間だぞ」
「ああ、ありがとうございます」
村人に案内され、彼らは中へと足を踏み入れた。
中は、普通の開拓村と変わらない、何の変哲もない造りだった。
ただ、村人の何人かは、げっそりと痩せ、死を予感させるような雰囲気を醸し出していた。
「ハゲ、この村……」
「ああ、間違いない、隔離村だ」
小さな声で話しかけるドミトリーに、ハールィチは確信をもった声で返答した。
案内人は、一軒の家の前で立ち止まると、彼らを中に入るように促す。
「ここは村長の家だ、失礼のないようにな」
それだけ言うと、彼は去って行った。
「今の人、随分元気そうでしたね」
「おそらく、世話人なのだろう」
彼らは、小さい声で話し合うと、村長の家の扉を叩いていた。
村長の家。
彼らは中へ通されると、挨拶もそこそこに、今度は別の部屋へと連れて行かれた。
家は、木造のもので、大きな丸太を幾重にも組み重ねた、頑丈な造りになっており、壁には、いくつもの人形が飾られ、それは魔除けの意味も込められたものだった。
「イコンもある。生活様式は、私たちと変わらないようですね」
部屋の中を、ドミトリーは辺りを見回して、そう言っていた。
「だけど、建材の臭いがまだする、建てて間もないみたいだ」
天井や壁の木材の切り口から、ステンカは、建物が新しいと判断する。
ハールィチは、オルガを寝台に寝かせると、窓から外を窺った。
表には、農具を持った村人と、白い服の者が数名いて、隊列を組んで、村外に出ようとしているところだった。
「見たところ、普通の開拓村のようにしているな」
眼光鋭く、彼はそう言った。
「どうします、ハゲ」
「村人に、話でも……」
その時、部屋の扉が叩かれた。
「失礼します、そちらの方に、村長からご用があるそうです」
そう、指し示された先の、ハールィチが声をかけられる。
「私か」
「ええ、そうです」
三人を部屋に残し、彼は村長の元へと向かった。
村長の部屋へと通された彼は、そこに、男がいるのに気づいた。
「では、儂はこれで……」
そう言って、村長は部屋を出て行った。
広い部屋の中で、ここにいるのは、ハールィチともう一人の男だけだ。
「来ると思っていました、ハールィチ・ゲルギエフ」
笑顔を見せ、その人物は彼の名を呼んだ。
部屋に立つ、そいつは、金髪を短く切り揃えた男で、裾の長い衣服を着た、どことなく不気味な空気を持つ者だった。
「私の名を知っているとは、お前何者だ」
「ふふ、私が何者でも、いいではないですか。イズゴイ・ハールィチ」
その呼び方に、彼は不快感を示していた。
「おや、この呼び方は嫌ですか?捨て子のハールィチ」
「お前も、役人だな?」
沸き上がる怒りを抑え込み、彼は、努めて冷静に言葉を発する。
「そうですね、役人です。それもこの計画のね」
男はそう言うと、椅子に腰掛けた。
「計画?お前ら、風土病の者を集めて、何をしている?」
「さあて、どこから話しましょうかね」
ハールィチに、椅子に座るよう促し、男はゆっくりと語り出した。
それは、今から三、四年前の事だった。
国内で増え続ける風土病に対して、民衆は、彼らを穢れたものと見なし、患者を排除する動きを見せていた。
街道の一つの村で、その運動は発生し、次第に隣の村々へと飛び火のように広まっていた。
排除された人々は、最初のうちは、怪物にただ食われるだけであったが、お互いに団結し、力を合わせて、森の中を開拓して共に住まうようになる。
かくして、最初の隔離村は出来上がった。
その頃の、怪物どもは、まだ街道で暴れているだけであり、彼らの村は、細々とだが生活を維持できていた。
だが次第に、村民の数と、税の帳簿の変動が激しいというのが、お上に知られ、何が起きたのか、国の調査が及ぶことになっていた。
秘密裏の調査の末に、隔離村は発見され、そこに住まう人々を見て、国は、村として管理するよりも、実験場として管理した方がいい、との結論を出した。
そうして、風土病患者を対象とした、実験が開始された。
最初の実験は、何故、風土病は発生するのか、からであった。
様々な検査と、人体実験の結果、風土病は、あるものが原因で発生するのが判明した。
あるものとは、この国内を流れる、一筋の川の水だった。
それは、『呪われし禿山』と言われる場所から、流れいずるものだった。
そして、その水を大量に投与した、患者の中から、不可思議な者が現われた。
風土病を克服した者が、いたのである。
初めのうちは、何かの間違いだと思われた。
元々、風土病にかかっていない者だったのかと、皆は指摘し、話は揉めた。
しかし、その者は、発症していた者であると、後に確認がされる。
さらに喜ばしいことに、病を克服した彼は、魔法の力も有していたのだ。
これに気をよくした国は、彼のような者を大量に生み出そうとするが、その後の実験は、失敗続きで、彼のような者は、なかなか出来なかった。
出来ても、風土病の病巣が肥大化し、肉塊になること多数だった。
肉塊になった者は、怪物の餌として、村の外に捨てられるのみとなった。
実験は次の段階に移る。
克服した彼を使った、実地調査だった。
彼の持つ魔法は、吸収、自己回復の魔法だ。
その名の通り、他のものを、自分に移す魔法である。
他人の風土病の病巣を、己の身に移し、回復で治してしまう。それが彼の特性だった。
幾度も実験は行われ、安定した結果が得られるようになると、彼は、新しく作られた、二つ目の隔離村へと送り込まれることになった。
だが、そこで予想外のことが起きた。
他の患者が、彼を排除する動きを見せていたのだ。
さらにタイミングが悪く、風土病患者だったものを食べた怪物が、村の周囲を嗅ぎ回っていた。
集団ヒステリーを起こした村人は、彼を血祭りに上げ、死体を埋葬もしなかった。
これが、いけなかった。
彼の肉を食った怪物は、それが大層美味であると覚えたらしく、その村の者たちを、次々に食らいだしたのである。
怪物の頭は、人を食えば食うほどに知恵をつけ、村を襲い、住民を食らった。
それも、風土病の者を、好んで食った。
あの村にいた怪物のほとんどは、ハールィチ一行に倒されたが、一部は生き残り、身体を変化させつつ、村を狙うようになっていた。
「あなたも、ここに来る前に、見たでしょう?頭が二つのを」
その言葉に、ハールィチは昨日、街道で見たものを思い出していた。
「あれはね、食い過ぎたんですよ、人を」
男の、にやけた目が、彼をますます不愉快にさせる。
「怪物は、人と違って変化の周期が早い。ああなるのも、当然ですよ」
くすくすと、男は笑った。
「つまり、この村で、お前らは……」
腕を組んだ、ハールィチの顔が引きつる。
「ええそうですよ。そして、あなたもね」
「……どういうことだ」
意味ありげな問いかけに、彼の眉が僅かに動く。
その反応に、男の口角が、いびつに上がった。
「あなたは、風土病で、一度、死んだのですよ。イズゴイ・ハールィチ」
男の言葉に、部屋の空気が凍り付く。
彼の目が、大きく見開かれ、心臓の鼓動が早くなった。
「覚えが無いのですか、幼少時のあなたは、風土病にかかり、生死を彷徨ったことを」
彼は、必死に昔のことを思いだそうとしていた。
最初の記憶は、腹に違和感を覚えているものであった。
違和感は、次第に大きくなり、それは彼の身体の半分以上を、占めるようになっていった。
そして彼はある日、真っ白な光に包まれて、意識を無くした。
次に目覚めた時には、横たわる彼に泣きつく母と、見知らぬ老人の姿があった。
「そうだ、私は、一度死んだ。そして、魔法の力に目覚めた……」
長い髪を掻き上げ、震える身で、彼はそう話した。
「風土病を克服した者は、魔法の力に目覚める。だが、あなたはかなり特殊なようだ」
「特殊……?」
「ええ、あなたの風土病は克服されていない。むしろ、釣り合っている状態ですね」
ハールィチの目が、男を見据える。
男は顎を撫でつけ、珍しいものを見るかのような顔をしていた。
「その杖と、腕輪と、首飾り。一体誰から貰いましたか?」
その手にある、長い杖を、ハールィチは握りしめた。
「それは……」
「それは、誰ですか?」
彼の頭から、大量の生ぬるい汗が噴き出る。
それを思い出そうと、唇が震えた。
と、その時。
「大変だ!ハゲ!」
大きな音を立てて、部屋の扉が開かれた。
「オルガちゃんが!」
慌てた様子で、そう叫ぶステンカに、ハールィチは思わず席を立っていた。
寝台の上で、オルガは喘ぐような息づかいで眠っていた。
「オルガ!」
扉を開け、ハールィチは、彼女の元へと駆け寄った。
「ハゲ、オルガちゃん、急に血を吐いて……」
慌てた様子のドミトリーが、彼にそう伝える。
「オルガ、どうした!」
彼女の肩を掴み、揺するも、反応はない。
「何故だ、オルガ。私の首飾りは、お守りだと……」
「それは、お守りなどではない」
部屋の入り口に、男が立っていた。
「さっきも言いましたよね、あなたの身体は、釣り合っている。と」
男が、部屋に入ってくる。
「この首飾りは、あなたの身体を維持するためのもの、他人に効くわけがない」
二人を見下ろし、男は冷徹に言い放った。
「娘の服を脱がせなさい」
会ったばかりのこの男は、嫁入り前の娘に、下劣な言葉を吐いた。
その言葉を聞いて、ハールィチの腹に、怒りがわき上がる。
「お前のような男に、オルガの肌を見せるわけには、いかない」
「いいから、脱がせなさい!この娘が、死んでもいいというのか!」
拒否しようとする、彼を、男の声が一喝する。
「……ステンカ、ドミトリー、少し外してくれないか」
「分かりました」
二人は連れだって外へ出て行くと、静かに扉を閉めた。
その扉が完全に閉じたのを、彼は確認すると、彼女の服に手をかける。
「オルガ、許してくれ」
首飾りを取り、胸元を閉じている紐をほどく。
淡雪のような白い肌が、日の光の下に、露わとなった。
だが、その繊細な彼女の肌に、赤い帯状の熱傷が、刻まれている。
それは、ちょうど首飾りと同じ幅のものだった。
「ああ、やはり……」
男が、つぶやいた。
「ど、どうして、だ。首飾りが……」
「急性の障害です、もう間に合わない、か」
眠るオルガを抱きしめ、ハールィチは、己の所業を悔やんでいた。
「オルガ、すまない、私のせいで……」
肩を震わせて、彼は涙を流していた。
その様子に、男は何かを感じ取り、声を発した。
「イズゴイ・ハールィチ、取引といきましょう」
彼の背後から、得体の知れない空気が、近寄る。
「取引、だと」
「私は、転移魔法が使えます、回復魔法は使えませんがね」
その言葉遣いから、男は、風土病を克服した者と察せられた。
「その娘の傷を、他人に移し、助けることが出来るのですよ」
ねっとりと粘つく空気が、二人を、ハールィチを取り囲む。
「助けて欲しい、ですか?」
男の口角が、上がった。
彼は、思案し、髪の隙間から、汗が流れる。
――この男の言うことは、本当なのだろうか。
彼女を助けられる、その言葉に嘘偽りはないのか、彼は悩み、そして決断した。
「できるものなら、助けて欲しい」
絞り出すような声で、求めたその意志を、男は空虚な笑いと共に受けていた。
「では、私からも」
男は、ハールィチの杖を指さした。
「その杖と、首飾り、腕輪を渡した者は誰か、今度こそ正直に言いなさい」
彼の身体が、強ばった。
「あなたの装飾品は、人間が立ち入れない場所の石が使われている」
杖にはめ込まれた宝石が、キラキラと光る。
「その石は、あなたのような魔法使いを大量生産できる、神秘の石なのです」
彼の呼吸が荒くなる。
それを思い出そうとするが、声が出ない、喉はカラカラに渇き、ゼイゼイと音がする。
「さあ、言え!」
周りの景色がぼやけ、暗闇が周囲を飲み込んでいく。
そして、全てが真っ暗になった時、彼の意識は途絶えて、いた。