6 カッパ ―再会と現実
公国の、旧首都。
早めに宿へと到着した一行は、情報収集を兼ねて、自由行動と相成った。
「それでは、私たちは酒場に行ってみます」
「ああ、よろしく頼むよ」
ステンカとドミトリーは、連れだって酒場へと向かい、ハールィチは、単身で役所へと出向いていた。
さすがに旧首都ともなれば、昼間の人出は多い。
整備された通りを、様々な人が行き交う。
役人や、軍人、交易の隊商や、町の整備をする者たちなど。
国の辺境では見られない、賑やかさが、ここに集約されていた。
国の役所。
木造の大きな建物は、巨大な建材を組んで作られた、頑丈なもので、屋根や壁には、大工の手がけた、見事な飾り彫刻がびっしりと施されていた。
窓は、明かりのために大きく取られ、広い役所内を日の光で暖かく照らす。
その光の当たる先の、役所の窓口に、彼は座っていた。
白樺の樹皮から作られた書類に目を通し、ハールィチはさらさらと、鉄筆でサインをしたためる。
「相変わらず、元気そうだな、ハールィチ」
「おかげさまでな」
腕を組み、役人はふんぞり返っていた。
「お前が、この仕事を始めてから、何年になる」
そう聞かれ、彼は少し考えてから、こう答えた。
「そうだな、もう十年以上になるか」
「よく今まで、死なずにすんだものだ」
役人の皮肉に、彼は口角を上げて笑うのみだった。
「それで、言いにくいんだがな……」
「何だ」
役人は、キョロキョロと、周囲を窺うと、ハールィチを手招きして耳を近づけさせた。
「まだ不確定だが、怪物退治が、中止になるかもしれない」
「どういうことだ」
彼の目が鋭くなる。
「分からん、ただ、公の考えが変わったのかも知れない」
ハールィチは、持っていた鉄筆を静かに置いた。
「あくまで可能性だ、中止と決まった訳ではないぞ。ハールィチ」
「それは分かっている。だが何故、公がそのような考えになったと?」
「私の友人に、親衛隊のやつがいる。そいつから聞いた話だ」
情報の出所を話され、彼は椅子にもたれかかった。
親衛隊は、公に敵対している者も、混ざっている。
そのような不確かな情報を、鵜呑みにしてしまっても、いいものだろうか。
彼は悩んでいた。
公とは、この国の君主の称号だ。
そして、人々を統治し、裁きをする者の意でもある。
この地にいた原初の者たちは、内部での揉め事を解決する力を持たず、常に争い事を起こしては、外敵の侵入を招くという、愚かな歴史を繰り返してきた。
ある日、この歴史に終止符を打とうと、人々は公平に裁きを行う者を求め、はるか遠方より来た、その者を招いたのだ。
それが、最初の公であった。
公は、軍事は元より、裁判も取り仕切り、そばには、精鋭である親衛隊を置き、都市を支配し、交易路を整備し、開拓を進めてもいた。
だが、この親衛隊は、時に公にも牙を剥くことがあり、その度に、公による粛正が行われることも、しばしばあった。
役人は、ハールィチの書いた書類を引き上げると、重そうな麻袋を彼の目の前に置いた。
「気を落とすな、今月の給金だ」
麻袋を掴み、彼は席を立った。
「また、頑張ってくれよ、イズゴイ・ハールィチ」
「……私のことを、そう呼ぶのは、お前ら役人だけだな」
コツコツと、役所の床に足音を響かせて、彼はその場を去った。
「可哀想にな、あいつも」
役人の、哀れむような目が、彼の背中を見つめていた。
城壁の外側。
森の中の、拓かれた一角に、それはあった。
「また来たぞ、レフ」
片手に花を持ち、ハールィチは、かつての仲間の墓地に佇んでいた。
「あれから、何年になるかな。私の方は変わらない、怪物退治はまだ続けている」
墓標の周りの掃除をし、花を供えて、彼は祈りを捧げた。
「風土病の治療も、ぼちぼちやっている。まあ、治す数より、発症する数の方が多いがな」
今は亡き仲間に、彼は語りかける。
仕事のこと、旅のこと、そして、今の仲間のことを。
現在、抱えている不安事は、一切出さず、彼は土の下の仲間を、安心させるが如く、丁寧に言葉を継いだ。
「……しばらく、ゆっくりしていくか」
すぐそばの切り株に腰掛け、ハールィチは、ふう、と息を吐いた。
見上げると、空の色は少しだけ赤みを帯び、ちぎれた綿雲が、ふわふわと流れていた。
「明日も、いい天気になりそうだな」
傾いた太陽の光を浴び、杖の先端の宝石が、キラキラと輝く。
彼は、何も考えようとせず、ただ、ぼんやりと空を見つめていた。
そうして、どれぐらいの時間が過ぎただろうか。
ふと我に返ると、人影が、こちらを見ているのに、気がついた。
――まずい、幽霊に間違われる。
あたふたと、彼は荷物をまとめ、立ち上がろうとした。
「ハゲ、のお兄ちゃん……?」
どこかで聞いた覚えのある、その呼び方に、彼はゆっくりと、その人影を見た。
「やっぱりそうだ……、ハゲのお兄ちゃん!」
人影は、白い肌に、赤い髪で、おさげの似合う、少女だ。
彼女は、持っていた桶を放り出して、彼に駆け寄っていた。
「会いたかったよ!お兄ちゃん!」
ハールィチの胸に抱きつき、少女はわあわあと泣き出した。
「き、君は?」
「忘れちゃったの?」
鼻をすすり、少女はその大きな目で、彼を見上げた。
「私、オルガだよ」
「えっ!」
そう言われて、彼はその名前を思い出す。
オルガは、彼がまだエフゲニーと一緒だったころに、ある町で出会った子供だ。
あの時の彼女は、背ももっと低く、彼が軽々と抱えられるほどの体重しかなかった。
よく彼の膝に乗っては、仲良く遊んでいた記憶が蘇ってくる。
「オ、オルガって、もっと小さかったはずでは……?」
「あれから何年経ったと、思ってるの?私も大きくなったのよ」
彼女の言葉に、彼は地味に衝撃を受けていた。
「な、何年って、その」
「十年だよ、お兄ちゃん」
――ううっ、年齢のことは、考えたくなかったのに。
彼が、怪物退治の仕事を受けたのが、二十歳前だった。
それから数年後に彼女に出会い、そしてさらに十年が過ぎた。
色々と考えたくなくなるのは、当然であった。
「でも、何故、旧首都にいる?君はあの町にいるはずでは?」
「あのね」
ハールィチに抱きつきながら、彼女は語った。
父親の病気が治った後、オルガの家族は、また以前のような明るさを取り戻していた。
ハールィチがいなくなって、沈んでいた彼女を慰めるように、父は開拓や野良仕事に精を出し、母は家事をしながら、彼女の遊び相手をしていたこと。
町の人々も、彼女の成長を見守り、家族は幸せな時を過ごしていた。
だが、風土病の魔の手は、今度は母に向けられていた。
母が病に倒れ、あっけなく亡くなった後、父はオルガのために、死に物狂いで働いた。
働いて、働いて、彼女がようやく一人前になろうかという矢先に、今度は、父の風土病が、再発した。
再発性のそれは、進行が恐ろしく早く、父は、オルガを親戚の元へ預けようと町を出て、オルガと共に、実家のある町へと街道を歩いていた。
その道中、現われた怪物に父は食われ、彼女は一人だけ、生き残った。
そして、偶然通りかかった隊商に拾われて、旧首都まで連れて行ってもらい、ここの修道院にて、雑用係として雇われながら、生活をしているのだという。
語りながら、泣き出した彼女を、ハールィチは優しく抱きしめてやった。
「辛かったな、オルガ」
昔のように、彼はオルガの頭を撫でていた。
オルガがようやく落ち着いたころ、辺りは夕日で赤く染まっていた。
「そうだ、私、お墓のお掃除……」
城壁の外側にあるのは、この墓地だけだ。
彼女は、そこの掃除を頼まれたらしく、慌てて周囲を見た。
「それなら、私がやっておいた」
彼の言うとおり、墓地の雑草はキレイに抜き取られ、供えられた花も、まだ瑞々しい色を留めていた。
「お兄ちゃん、ありがとう」
少女らしい、無垢な笑顔を向けられて、彼はまんざらでもない気持ちになっていた。
「それじゃあ、修道院まで送っていくよ」
「えっ」
「嫁入り前の女の子が、私のような男といたらいけない。誤解されるだろう?」
ハールィチは、それだけ言うと、彼女を送ることにした。
修道院の前で、二人は名残惜しそうに佇んでいた。
「それじゃあ、オルガ、元気でな」
彼女に、そう言い、ハールィチは宿へ戻ろうとした。
「お、お兄ちゃん」
別れ際に、オルガの声が、彼を引き留める。
「また、会えるよね?」
その言葉に、彼はにこりと微笑んだ。
「ああ、また会える。必ずだ」
「うん、お兄ちゃん」
お互いに手を振り、ハールィチは、その場を後にした。
黒髪の、十年前と変わらない、その後ろ姿を、オルガはずっと見送っていた。
その日の夜。
宿の部屋にて、三人は、情報の整理と、今後について話し合っていた。
「それで、何か分かったことはあったのか?」
ハールィチが、二人の様子を見ながら、問いかける。
「俺は、隔離村の存在が、わずかだがあるという話を聞いたな」
と、ステンカが言う。
「私は、怪物の出現場所が、変わってきたというぐらいしか……」
ドミトリーも、そう答える。
「ステンカ、その隔離村について、詳しく聞かせてくれ」
彼に促され、ステンカは大きくうなずいた。
ステンカが言うには、この旧首都から、伸びている街道は、全部で六本ある。
そのうち二本の街道筋に、問題の隔離村は存在しているらしい。
その数は三ヶ所だという。
一つは、昨日の件で壊滅したので、残るは二ヶ所となる。
「場所は、分かるか?」
彼の問いに、ステンカは首を振った。
「分からない。街道のどこかにあるということしか……」
「困りましたね」
ドミトリーも、ため息をつく。
「皆、存在をないものとしたいらしい。何度聞いても、場所は言わなかった」
「風土病患者を、排除したいわけか……」
手を頭の後ろに組み、ハールィチは、天井を見上げた。
「ドミトリー、君の情報は?」
「あ、はい、怪物の出現なんですが、街道ではなく、村周辺に出るようになったそうです」
天井を見つめたまま、彼は耳だけをドミトリーに向けていた。
「と言っても、姿は見せないそうで、気配だけが村の周囲にするらしいのです」
「なんだ、そりゃ?」
ステンカも首を捻る。
「街道は、我々のおかげか、出現頻度は下がったようですがね」
「こっちは、村に被害が出そうなのか……」
そう言って、ハールィチは眉間にしわを寄せた。
「ハゲは、何か情報はありましたか?」
ドミトリーの言葉に、彼はさらに難しい顔になる。
「私は、特に……」
「珍しいな、ハゲが何もないとか」
ステンカはそう言って、少し微笑んだ。
「さて、今後はどうしますか」
「そうだな」
ハールィチは、しばし考えた。
「とりあえず、その隔離村に行ってみよう。何か手がかりがあるかもしれない」
その言葉に、二人ともうなずき、一行は、街道の捜索を始めようとしていた。
翌日。
宿を発ち、三人は街道の一つへ向けて、町中を歩いていた。
と、広場の一角で、なにやら騒ぎが起きているのを、彼らは目撃する。
野次馬の集まる中の、騒ぎの中心は、昨日、ハールィチが訪れた修道院だった。
そこの門前で、修道女が誰かを酷く打ち据えているのを、町の人々は、遠巻きに眺めていた。
「ここからでは、見えないですねえ、ステンカは見えますか?」
持ち前の背の高さを生かし、ステンカは、人々の頭の上から、それを覗いていた。
「うーん、女の子が、修道女に叩かれているなあ」
「……女の子は、どんな格好をしている?」
ハールィチの頭に、嫌な予感がよぎる。
「赤い髪の、おさげの……」
「まさか……!」
彼は、野次馬をかき分けて、突き進んだ。
「お、おい!」
仲間の声も耳に届かず、彼は走った。
人垣の向こうには、アザだらけの彼女の姿があった。
「オルガ!」
彼女の名を叫び、ハールィチはオルガの元に駆け寄った。
「やめろ!」
打ち据えられた彼女を庇うように、彼はそのまま覆い被さる。
「オルガ!しっかりしろ!」
「お、おにぃ、ちゃん」
彼の姿を見たオルガは、涙を流し、力なく微笑んだ。
突如現われた男に、修道女はひるみ、持っていた棍棒を振り上げたまま、硬直している。
「な、なんだい、あんた」
「私は、この子の身内だ。お前こそ、何だ、公衆の面前で、こんな仕打ちを……」
ハールィチの言葉に、修道女の怒りが再燃する。
「身内なら、この売女の躾は、きちんとしておいておくれ!」
修道女とは思えない、その汚い罵り言葉に、彼は怒りがこみ上げるのを感じていた。
「この娘は、昨日、男と一緒にいたんだよ。修道女の小間使いのクセしてさ!」
オルガの目から、涙がこぼれた。
「男に色目なんか使って、いやらしい娘だよ、まったく!」
修道女が、吐き捨てるようにそれを言った時、オルガの口が震えながら動いた。
「ご、め、ん、な、さ、い……」
アザと、擦り傷だらけの、彼女の手が、ハールィチの服を掴む。
その無垢なる顔も、痛々しい打撲痕がいたるところに複数あり、この修道女の仕打ちが如何に酷かったか、皆に物語る状態であった。
「そんな理由で、ここまでのことを、するか」
彼の口が、静かに詠唱を始めた。
腹の底から沸き上がる、静かな怒りの感情が、無意識に文言を紡いでいた。
「い、いけない!ハゲ!」
人垣をかき分けて、ドミトリーが、ステンカが止めに入る。
「ハゲ!やめろ!」
その言葉と同時に、修道女の持つ、棍棒が瞬時に弾け飛んだ。
何が起きたか分からず、修道女も、野次馬も、皆、呆然としていた。
「この子は、私が引き取る」
ぐったりとしているオルガを腕に抱き、ハールィチはその場を立つ。
「ハ、ハゲ……」
「二人とも、宿へ戻ろう」
彼が先ほどまでいた場所の板材が、粉々に割れていた。
再び宿の一室。
オルガを寝台に寝かせ、ハールィチは献身的に傷の手当てをしていた。
「ハゲ、その子は……」
ドミトリーが、疑問を投げかける。
「この子は、私の古い知り合いだ」
「じゃあ、身内ではないのか?」
ステンカの問いに、彼は黙ってうなずいた。
「昔、立ち寄った町に住んでいた子だ。私を兄と呼んで慕ってくれていたよ」
濡らした布で、患部を冷やしてやると、彼女の顔は少し和らいだように見えた。
「色々あって、孤児になってしまったようだがな」
短い手足を懸命に動かして、彼の後を追っていた、幼い彼女を思い出し、彼は悲し気な顔をしていた。
「出立は、しばらく止めよう。この子の傷を治すのが優先だ」
彼の言葉を聞いたのか否か、オルガの目から、涙がこぼれていた。