5 でこ広し ―十年後、開拓民の村にて
「呪いのハゲ」
彼はいつしか、そう呼ばれるようになっていた。
彼と共に行動した者は、皆、頭がハゲて、死ぬ。
死ぬまではいかなくとも、頭は、ハゲる。
男でも女でも、容赦なく、その呪いは降りかかる事実に、人々は恐れおののき、近寄る者は、次第に少なくなっていった。
それでも、国から出ているという金目当てに、仲間になる者は少しだが、いた。
しかし、金目当ての者どもは、腕も体力もすこぶる弱く、信用も置けないということから、彼は金のことを極力隠し、死を覚悟する者だけを募って、怪物退治を続けていた。
ハールィチ・ゲルギエフ。
彼は、公国でも数少ない魔法使いであり、また風土病を治せる者でもあった。
時は流れ、森の中の開拓民の村。
焦土と化した、この村の中で、肉を切り裂く音がしていた。
「よし、集めたぞ。ハゲ!頼む!」
村の広場にて、大きな二本足の狼型の怪物どもが、一ヶ所に固められていた。
「ああ」
怪物を前に、ハールィチの杖が光り出し、詠唱の言葉に合わせて青白く輝く。
そのただならぬ気配を察したのか、怪物どもも、大口を開けて、反撃の魔法を放とうとした。
「くたばれ!」
だが彼の魔法が一歩早く、怪物どもの巨大な身体は、その放とうとした魔法ごと、赤い爆炎に飲まれ、瞬時に消し飛んでいた。
一滴の血も残さず、黒い影だけが地面に焼き付く様子は、彼の魔法の凄まじさを、皆に見せつけていた。
「ヒュー、やるねえ」
「また腕が上がりましたね」
仲間たちも、次々に、ハールィチをそう褒め称える。
だが、彼はそれらを、良しとは思っていなかった。
「ステンカ、ドミトリー。具合はどうだ」
ハールィチは、仲間に声をかけた。
「うん、今のところ、問題はないぞ」
「私も、異常はない」
ステンカと呼ばれた男は、そう言ってにこりと笑い、ドミトリーと呼ばれた男も、大きくうなずいていた。
彼らは、ハールィチの新たな仲間だった。
ステンカは、身体の大きな剣士で、その身を守るように重厚な鎧を身に着けている。
厳つい顔に、あごひげを生やし、子供が見たら泣きそうな威圧感を有していた。
一方、ドミトリーは、中肉中背の剣士で、ステンカよりも軽そうな鎧を着け、短髪に、ややくせのある毛の、パッと見で女にも見える容姿であった。
「それにしても、酷いもんだ」
ステンカは、大きな身体で辺りを見回し、眉間にしわを寄せる。
この開拓民の村は、その住民のほとんどが、怪物に食われていた。
それも一度に食ったのではなく、幾日にも分けて、じわり、じわりと食っていったのである。
彼らが、それを知り、ここに来たとき、それらは全て終わった後であった。
「村を襲うなんて、今まで無かったぞ。どういうことだ」
ステンカは剣を拭い、鞘に収める。
そうして彼は、生き残った者がいないか、探し始めていた。
「ハゲ、私たちも、村人を探しますか」
ドミトリーの言葉に、彼はうなずき、彼らは手分けして捜索を開始した。
家屋が焼け落ち、そこら中で燻る臭いが漂い続ける。
怪物どもは、人々を表へと出すために、家を焼いたようだった。
――奴らめ、少しは知恵が回るようになったな。
弱き人が扱えない魔法を、怪物どもは、易々と使いこなし、彼らを傷つける。
そうして、人を食らった奴らは、退治されないようにと、身を潜め、静かに行動をするようになりつつあった。
ハールィチは、それが気にくわないと思っていた。
こそこそと、まるでコソ泥のように動く様が、人間の行動に、よく似ていたからだ。
「おーい、ハゲ!ステンカ!ちょっと来てください!」
ドミトリーの声がする。
彼らは、声のした方に向かうと、辛うじて焼け残った瓦礫から、何かが見えるのを確認した。
「まだ、生きている。手を貸してください」
瓦礫の下には、男が一人いた。
彼は、その人にのし掛かる重い角材をどかせようと、一人でそれを持った。
「無理するな、俺がやる」
ステンカが、持ち前の腕力で、角材を一息に持ち上げると、ハールィチとドミトリーが、その男を外へ引きずり出していた。
「おい、しっかりしろ」
ほぼ無傷の彼の頬を、ハールィチがペチペチと叩く。
その刺激に、男は、ゆっくりと目を開け、ぼんやりと周りにいる彼らを見回す。
「あ、わああああ!」
突然に、叫び声が上がった。
ハールィチたちは、それに一瞬だが、驚いてた。
「た、たべ、ないで!食べないで!ああああ!」
狼狽したまま、男はがくがくと震えている。
腰は抜け、這いずってでも逃げようと、その身体を必死に動かしていた。
「落ち着け、私たちは人間だ、怪物ではない!」
うずくまる男に、ハールィチは諭すように声をかけた。
「に、んげん?」
「そうだ、人間だ」
涙と鼻水を垂らし、その男はゆっくりと顔を上げて、彼らを見た。
「ほ、本当か?怪物では、ないのか?」
用心深く、何度もそう繰り返す男に、ハールィチは何か引っかかるものを感じた。
「し、信用して、いいのか?」
「ああ」
男は、大きく深呼吸すると、心を落ち着けたようだった。
「か、怪物、は?」
「怪物は、全て倒した。だから安心しろ」
彼は、努めて笑顔で、男に接した。
「た、倒した。倒した、のか……」
男の息が、大きく吐かれる。
「それで、この村で何があったのか、話してくれないか」
鼻をかみ、男は静かに語り出した。
それは、ある日のことだった。
降りしきる雨の中を、一人の男が、村にやってきた。
その男は、道中で怪物に襲われたと言い、傷を負った腕を痛そうにしていたという。
当然の如く、村人は、その男を不憫に思い、ある家で養生するように取り計らった。
数日経ち、男の傷は、跡形も無くキレイに治っていた。
思えば、それがおかしなことだった。と彼は語った。
傷が治った後も、男は村から出て行かなかった。
それどころか、村を気に入ったと言い、自分で家を建てて、住み着いてしまったのだ。
こうなっては、追い出すわけにもいかず、村人は、その男を新たな仲間として、歓迎せざるをえなかった。
問題は、その後起きた。
村人の家畜が、獣か何かに食い散らかされたのだ。
森の中の村ゆえ、こういう事はよくある話だと、人々はそう思っていた。
ただ、それが連日続くようになると、さすがに対策を講じるしかなくなり、見張りを立てようという結論が出て、村人は交代で家畜の番を開始した。
最初の内は、人を警戒してか、獣も何も現われなかった。
だが、何日か経ち、見張りが油断をしたころ、一軒の家で悲鳴が上がった。
皆が駆けつけると、その家には、血だけが残され、住人の姿は影も形もなかった。
目撃した者もおらず、何が起きたかも分からぬまま、人は恐怖の日々を過ごした。
そんな中、誰かが、あの新入りが怪しい、と言い始めた。
あいつが来てから、おかしな事が起き始めた、と。
村の広場で、吊し上げが始まった。
人々が口汚く罵っても、新入りの男は、何も言わなかった。
否定もせず、肯定もせず、ただ黙って、人々の声を聞き、俯いていた。
その様子に業を煮やした者が、斧を片手にこう言った。
何も答えないなら、死んでもらうしか、ない。
そう言われた段階でも、男は何も喋らなかった。
裁判は一方的に終わり、男は首を切断され、死体は広場に晒され続けた。
その遺体は、埋葬されることもなく、ただただ朽ちていくのを待つだけであった。
遺体はいつしか消え、森の獣たちが引きずっていったのだろうと、思われた矢先、野良仕事に出た者たちが、帰ってこない事件が相次いだ。
人々は、男の呪いだと言い、外に出るのを極度に恐れた。
事実、森には、人ではない気配が常に漂い、家畜も次々に殺された。
助けを求めに、村外に出た人も、二度と戻ることはなかった。
その時には、村中を怪物どもが闊歩し、我が物顔で占拠していたのである。
全ては手遅れに値し、そして、火の手が上がった。
焼け死にたくない村人は、燃える家から飛び出し、怪物に食われていった。
男や女、老人や子供関係なしに、皆が、怪物の腹へと消えた。
それが何日も続き、最後の家が燃え落ちたころ、村の話を聞きつけた、ハールィチたちが来たのであった。
三人は、絶句していた。
「な、んだよ……、怪物って、もっと単純じゃあ、なかったのか……」
ステンカが、驚いた顔で、汗を拭った。
「今までと、明かに違う、何が起きた……?」
ハールィチも、聞かされたその様子に、背中に嫌な汗が流れるのを、感じていた。
「ふ、風土病で、死ぬなら、まだしも、怪物に、食われるなんて」
怯え、震える男が、涙ながらに、言葉を発する。
「風土病?」
その単語に、ハールィチは反応した。
「この村は、風土病の、それも症状が進んだ者の、隔離村だ」
男はそう言って、自分の服を捲り上げる。
痩せ細った腹の一部に、異様な膨らみが存在していた。
「触ってもいいか?」
それが何か見極めるため、ハールィチは手を伸ばした。
男の皮膚はとても薄く、ブヨブヨとした感触だけが、指に伝わっている。
「水が溜まっているだろう。ここまで悪化したら、死ぬのは時間の問題なんだ」
男の言葉は、既に死を意識した者の言葉であった。
「ハゲ、どうにかならないのですか?」
ドミトリーが、哀れむように、男を見た。
「もう、無理だ。ここまでになってしまったら、私の力でも治しようがない」
力なく、彼はそう答えた。
触れた時の感触は、異質なものであった。
水が溜まるほどの症状の進み方は、末期も末期である。
男の言う、時間の問題とは、もうすぐという意味でもあった。
「とりあえず、近くの町まで戻ろう、ここは危険すぎるぞ」
ステンカがそう言い、男にも、手を差し伸べようとする。
だが、男は、黙って首を振った。
「ここに、置いて行ってくれ」
「何故だ、助かりたくないのか?」
焼けた村を見回し、男は、俯いた。
「言っただろう、ここは隔離村だ。私たちは、この村で死ぬことを、約束されて、いる」
風が吹き、木々がざわめいた。
「私たちは、家族にも、見捨てられた。この村にしか居場所が、ないんだ」
ハールィチたちは、お互いに顔を見合わせた。
「静かに、死なせて、くれ」
男の言葉に、一行は、黙ってその場を離れた。
ここは、風土病の隔離村だ。
家族に捨てられ、地域からも孤立したこの村で、男は一人、残ることを選んだ。
風土病は不治の病ではある、だが、伝染病ではない。
それでも、人々は恐れ、患者を排除する傾向になりつつある。
肉親までもが、見捨てる、冷酷な現実であった。
街道沿いの町。
ここの酒場で、ハールィチたち一行は、助けを求めてきた人物を捕まえていた。
「おい、ちょっと話がある」
体格のいいステンカが、凄んだ目でその人物に声をかける。
蛇に睨まれたカエルの如く、そいつは彼らにされるがままであった。
酒場の一角で、彼らは色々と情報を聞き出そうとしていた。
「お前、あの村が隔離村だって、言わなかったな?」
そいつが逃げないよう、両足をステンカとドミトリーが踏みつける。
「い、痛っ、そんなに踏まないで……」
「うるさい、何故隔離村だって言わなかった、ええ?」
ぐりぐりと、足が踏まれる。
「んぎぃ、そ、そう言ったら、あんたたちだって行かないだろ」
「じゃあ、何故助けを求めた?」
ステンカの目が、みるみるうちに怒りのものになる。
「お、俺だって、あいつらと死にたくないんだ」
「はあ?どういうことだ」
「俺は、風土病ではない。あいつらの末期の世話をしているだけだ」
男の吐いた言葉に、三人は言いようのない気色悪さを感じていた。
「あの村には俺以外にも、世話をしている者がいる。俺はそいつらだけ助かればいいと……」
「風土病の者は、死んでもいいというのか」
「当たり前だろ、あいつらは、はらわたが腐って死ぬ運命。怪物に食われても同じことだ」
ステンカの足に、力が込められた。
「あぎゃ、いだいぃ、やめ……」
「もう、いい」
男の足が、折れようかというところまで、体重がかけられた時、ハールィチが、二人を制していた。
「二人とも、宿に戻ろう」
そう言って、彼は踵を返し、その場を後にする。
「けっ」
「命拾いしたな」
ステンカとドミトリーも、そう吐き捨てながら、男を解放していた。
町の宿。
三人は、部屋につくなり、寝台に腰掛けたまま、動かなかった。
「ドミトリー、あいつの言葉」
ステンカは、頭をぼりぼりと掻いた。
「胸糞が悪い、あれが人の言葉なのですか」
ドミトリーは、信じられないものを見たという顔をしていた。
ハールィチは、杖を片手に、床を見つめたまま、微動だにしない。
「自分だけが助かりたい、そう思っても、口に出すなんてな」
手に絡まった髪を、床に払い落とし、ステンカはハールィチを見やった。
「ハゲ、気にするなよ。世の中荒んでいるんだ」
「そうです、それに隔離村の者も、人を殺めた。お互いに悪かったのです」
二人にそう、話しかけられるも、彼の耳にそれは届いていなかった。
――何故だ、何故、怪物は村を襲った?街道ではなく、村を?
今までの怪物は、皆、街道か森に出現していた。
それが、村に。人々が暮らす村を襲撃し、食らったのである。
――しかも、隔離村、風土病の村だぞ、それに、不思議な男も気になる。
彼の頭に、不可解なことがぐるぐる巡る。
あの村での出来事は、謎が多かった。
隠された村と、世間から排除された人々、そこに現われた男に、そして怪物の影がある。
彼が、この仕事を任命されてから、長い年月が過ぎ、様々なことが起きてはいた。
だが、今回の一件は、異質としか言いようのないものであった。
――悪い、予感がする。
沸き上がったその考えをかき消すように、彼は頭を左右に振った。
「……明日は、旧首都に行こう。情報を、集めねば」
窓の外には、夕闇が迫っていた。