3 だいぶ薄 ―呪いと髪の毛
北の大地に、冬が訪れていた。
冬と言っても、雪は大量に降るわけでも無かった。
気候は、温暖期を迎えたためか、例年より冬の気温も高く、雪は雨になって降ることがほとんどだった。
相も変わらず四人は、街道に現われる怪物どもを退治する日々に追われていた。
給金で新調した武具に、身を包み、その姿は以前と変わらないように見えた。
ただ、一人を除いては。
「エフゲニー、大丈夫か」
ハールィチは、包帯姿の彼を気遣い、声をかけた。
「俺は平気だって。それより、二人を心配してやれよ」
そう言って、彼は、レフとイーゴリを指さした。
大きく肩で息をし、二人はフラフラになりながら、怪物の息の根を止めていた。
「はあ、つ、疲れた……」
剣を仕舞い、レフは汗を拭うように、髪を掻き上げた。
指の間に、ごっそりと毛が絡まる。
彼はそれを払い落とすと、イーゴリと共に、エフゲニーの元へ向かった。
「エフゲニー、具合はどうですか」
レフが、心配そうに彼の目を覗き込む。
「無理はだめだぞ」
イーゴリも、それに続くように、声をかけた。
ハールィチの腕に支えられ、荒い息をするエフゲニーは、もう息も絶え絶えの状態だった。
「俺は大丈夫だって、心配するなよ」
エフゲニーの姿は、頭も身体も包帯でぐるぐる巻きにされ、皮膚からにじみ出た血と体液で、所々が赤や黄の色に染まっていた。
「エフゲニー、もう、強がるな、もう……」
ハールィチの目に、涙が浮かんだ。
「何だよ、お前ら、そんな辛気くさい顔で」
彼の口から、血がごぼりと吹き出た。
「エフゲニー」
レフとイーゴリも、痛々しい彼の姿に、目が潤んだ。
「俺はまだまだ、やれるぞぉ。なあ、ハゲ」
「すまない、エフゲニー、私のせいで……」
うつむいたハールィチの目から、一粒の水滴が落ちた。
「お前のせいじゃないさ、ハゲ。これが治ったら、また怪物退治しような」
「ああ、そうだな」
「約束、だ、ぞ……」
「エフゲニー?」
笑ったまま、彼は動かなくなっていた。
「おい、起きろ、エフゲニー、起きろ!」
がくがくと、彼の身体を揺する。
だが、反応のない、エフゲニーの身体は、されるがままであった。
三人は、森の中にて、エフゲニーの亡骸を葬っていた。
「そんなに、落ち込まないでください、ハゲ」
レフは、そう彼の肩に手を置いた。
「……めだ」
「はい?」
「これで、三人目だ」
「どういうことですか?」
ハールィチは、少しずつ、語り始めた。
仲間が死んだのは、これで三人目だという。
最初は、病気だと思った、髪の毛が抜けて、皮膚が溶けて、血を吐き、そして死ぬ。
アレクセイよりも前に仲間になった男が、そうして死んだ。
次に、アレクセイだ。だが、彼は血を吐いた直後に、怪物に食われて死んだ。
そして、エフゲニー。彼も髪が抜け落ち、皮膚が溶け、そして血を吐いた。
皆、同じ症状で死んでいる。
これは、偶然で済ますには、あまりにも不自然であった。
「私の仲間になる前は、皆元気だった。なのに、仲間になってからは、弱っていくばかりだ」
彼の頬に、涙が伝った。
「伝染病なのだろうか、だがそれなら、私にもうつるはずだ」
ハールィチの姿は、以前と変わらず、長い黒髪を維持していた。
伝染病であれば、彼にもその症状が出ないとおかしい。なのに、彼だけは何の異常も見られない。
「レフ、イーゴリ、君たちにも、症状が出始めている。逃げるなら今だ」
そう促されて、二人は困惑した。
「逃げるなんて、そんな」
「そうだ、俺たちは仲間だぞ、今更逃げたりなんかしない」
イーゴリは、そう励ました。だがそんな彼も、薄くなった頭を隠すように、帽子を被っている。
レフの頭も、以前より大分地肌が透けて見えた。
「ハゲ、エフゲニーのためにも、怪物退治を続けましょう」
レフの言葉に、イーゴリも大きくうなずいた。
「あいつも、それを望んでいたじゃないか」
そう言って、彼は歯を見せて笑う。
エフゲニーの最期の言葉を思い出し、ハールィチは涙を拭った。
「怪物退治は、私の使命、そしてエフゲニーの望みだ。そうだ」
彼はゆっくりと、その足で立ち上がった。
「取り乱して、すまなかった。二人とも、前に進もう」
「はい」
「ああ」
再び、歩み出したハールィチの姿に、レフとイーゴリは安堵の表情で後を追っていた。
草原の中の、小さな町。
一行の本日の宿は、酒場にも近いところにあった。
ハールィチは、二人を宿に残し、単身酒場にて情報収集と仲間探しに奔走していた。
「ああ、疲れたな」
イーゴリは、寝台にどかりと腰を下ろし、頭の帽子に手をかけた。
「今日は、怪物も多かっ……」
「ん、どうした?」
突如、レフの言葉が止まる。
帽子を脱いだイーゴリの頭を見て、彼は驚きの顔をしていた。
「イーゴリ、頭が、その」
そう言われて、イーゴリは、頭を触った。
ぺた、ぺた、ぺた。
大きな彼の手が、ぴたりと地肌に触れる。
「な、ない、俺の髪……」
イーゴリの頭には、フサフサと生えていた、赤毛の髪があるはずだった。それが、一本残らず抜け落ちて、ツルツルの地肌が剥き出しになっている。
そして下を見ると、脱いだ帽子には、ごっそりと赤い髪の毛がくっついていたではないか。
「う、ああああ!お、俺の髪がああ!」
「落ち着きなさい、髪が抜けただけじゃないですか!」
悲鳴にも似た声が、宿に響いていた。
「ハゲの言った通りだ。俺も、血を吐いて死ぬんだああ!」
「そんな訳ないでしょう、偶然ですよ、偶然!」
「これが偶然なもんか!レフ、お前だって髪が抜けているだろう!」
指摘されて、レフは思わず怯んだ。自覚はしていたが、彼の頭も、以前よりは薄くなっているからだ。
窓から差し込む夕日に照らされて、地肌がより鮮明に光っている。
「抜けていますけど、これは違うんです!」
「ああああ!もう、終わりだああ!」
大きな身体を丸くさせ、イーゴリは恐怖の中で、震えていた。
夜も更け、月の明かりが煌々と町を照らす頃、ハールィチは宿へと戻ってきていた。
「ただい……」
扉を開けて、彼は驚いていた。
「……おかえり、なさい」
憔悴しきった顔のレフが、寝台に腰掛けていた。
「何があった?」
なんとなく起きたことが推測できるが、彼は確かめるためにも、そう問いかけた。
「イーゴリが、出て行きました」
散らかった部屋を見回すと、彼の荷物だけが、キレイに無くなっていたのが分かる。
「……そうか」
ひっくり返った椅子を、元に戻し、彼は静かに腰を下ろした。
重苦しい沈黙が、部屋を包んでいた。
レフの頭が、明かりに照らされて、肌色に光る。
その様子に、ハールィチは、イーゴリが出て行った理由をなんとなく察していた。
おそらく、自分と共にいることで、髪が抜け、皮膚が溶け、やがて死ぬというという恐怖に耐えかねて、一方的に離脱したのだろうと。
「やめても、いいんだぞ」
ハールィチの言葉に、レフは顔を上げた。
「レフ、君も耐えられなければ、出て行くといい」
「そんな、私は、仲間を見捨てるなんて、できません」
「だが、このまま私といたら、君も血を吐いて死ぬんだぞ」
レフは首を振った。
「それでも構わない。私はこれでも、元従士団です。約束を違えることはしません」
力強い言葉だった。
その言葉に、ハールィチは励まされたような気が、していた。
「……ありがとう」
彼は、そう返すので、精一杯であった。
翌日の夕方。
彼ら二人は、酒場にて、仲間探しに奔走していた。
「そっちはどうだ、レフ」
「うーん、なかなか賛同してくれる人が、いませんね」
「できれば、弓使いか、槍使いが欲しいところだ」
「槍使いは、軍属か、開拓民に行きますからねえ。難しいですね」
酒をあおりながら、二人は眉間にしわを寄せていた。
酒場は、わいわいと賑やかである、そこで小難しい顔をしている二人の元に、足音が近づいていた。
「おにーさん」
コツン、と足音が止まった。
「仲間、探してるの?」
二人の目の前には、キレイな金髪の若い女が立っていた。
長い髪をきっちりと編み込み、簡素な胸当てを身に着け、素朴な化粧だが、元が美人なのか、それでも男を振り向かせるには、十分なぐらいに顔立ちが整っていた。
「私を仲間にしてくれない?」
「君は?」
レフが、問いかけた。
「私?私はリュドミラ。こう見えても、弓が使えるわよ」
彼女は、自信満々にそう答えた。
白い肌に、輝くような笑顔が、なんとも美しい。
「弓か……」
あまり乗り気ではなさそうに、ハールィチが彼女を見た。
「どうします、ハゲ」
「どうするって……、女は……」
「あら、女だからって、見下すつもり?」
彼女の言葉に、ハールィチは困った顔をした。
「見下すつもりはない、ただ、私たちは怪物退治をしている。それでも仲間になるというのか」
彼は、自分たちの仕事の内容を、正直に話した。
街道の怪物退治なのだが、それがとても過酷なこと、ケガをしても自力で治す、万が一、死んでも文句を言わないこと等々。
「それに、女だからといって、特別扱いなどしないぞ」
「それでいいわよ、私も狩人だもの」
彼女の返事に、二人は目を合わせて、うなずいていた。
「よし、君の仲間入りを認めよう」
ハールィチの決断に、レフはほっと胸を撫で下ろし、彼女は小躍りして喜んでいた。
「やったぁ、おにーさんたち、話が分かるぅ」
「それでは、こちらも自己紹介しますか。私はレフ、こっちが……」
レフの手が、彼を指す。
「ハールィチ・ゲルギエフだ」
「言いにくいわね、あだ名はハゲでいい?」
悪気無く言ったその言葉に、二人は吹き出し、大笑いする。
「な、何よ、何かおかしなこと言った?」
「何でも無い、こっちの話ですよ」
笑いを堪え、レフは必死にその場を取り繕っていた。
翌日。
三人は、街道へと繰り出していた。
「ハゲ、怪物って、どんなのが出るのよ」
弓を肩にかけ、リュドミラが問いかけてきた。
「どんなのって、色々だな」
面倒くさそうに、ハールィチは答えた。
リュドミラは、美しい女だ。そして胸もそこそこ大きい。彼女と会話していると、視線が自然に胸へと移動してしまうので、彼は気恥ずかしかった。
そういう感情を持つことは、男として、何の変哲もないことなのだが、今の彼にとって、それは酷く邪魔なものに思えた。
「もう、具体的に言いなさいよ」
「うーん、多いのは、四つ足の、狼をもっと大きくしたヤツとか、トナカイとか……」
「それぐらいだったら、私も仕留めたことがあるわ」
自信あり気に、彼女は胸を張った。
「それに魔法も使う、油断はできないぞ」
「だったら、ハゲの魔法で先に倒しなさいよ」
「あまり、使いたくない」
それだけ言うと、彼は足を速めていた。
「レフ、来るぞ!」
彼の合図に、レフは剣を抜き放った。
「リュドミラ、用意してください!」
彼女も、弓をつがえ、臨戦態勢へと入る。
だが、何かの気配を察したハールィチが、慌て始めた。
「二匹いるぞ!」
その言葉と同時に、レフとリュドミラに、怪物が襲いかかっていた。
レフの目の前には、大きな角をもった、トナカイのような怪物がいる。
リュドミラには、巨大なヤマネコ状の怪物が、行く手を阻んだ。
「きゃああ!」
至近距離から、強烈な一撃を食らった彼女は、軽々と吹き飛ばされた。
「リュドミラ!」
「ハゲ!援護を、お願いします!」
一方レフも、怪物の角をすんでの所で躱している状態であった。
ハールィチは、素早く詠唱を終えると、前方と後方の怪物へと同時に魔法を放つ。
杖の宝石が、一段と強く光り輝き、周囲を青白く照らしていた。
リュドミラを狙っていた、怪物の身体は、一瞬で消し炭と化し、レフに襲いかかっていたものも、あっという間に爆散していた。
「リュドミラ、大丈夫か?」
ハールィチは、横たわる彼女に、声をかけた。
「平気よ……、それより魔法、すごいじゃない。なんで出し惜しみするのよ」
「それは……」
彼は、不安気に、レフを見やる。
剣を仕舞い、レフは笑顔でこちらに近寄っている。
その頭から、髪が一房、ごそりと、抜け落ちて、いた。
あくる日は、朝から雨が降っていた。
彼ら三人は、表に出ることができず、ずっと宿にて待機していた。
レフは、鎧と剣の手入れに余念が無く、リュドミラは市場へ買い物に出かけている。
ハールィチは情報収集に、酒場を訪ねと、皆、待機と言いつつ、忙しい日々を送っていた。
「あー、ただいまぁ」
「おかえりなさい、リュドミラ」
買い物から帰ってきた彼女は、全身ずぶ濡れ状態であった。
「どうしたのですか、そんなに濡れて」
「途中で転んじゃったのよ。ちょっと着替えるから、こっち見ないで」
「分かりました」
彼女は敷布で目隠しをすると、いそいそと服を脱ぎだした。
濡れた服を、室内に張った縄に干して、髪を乾かし始める。
編み込んだ長い髪が解かれ、金色の髪は、そのまま彼女の柔肌に垂れていた。
と、その時。
「ただいま」
「きゃーっ!」
「え?」
扉を開けて戻ってきたのは、ハールィチだった。
彼は、何が起きたのかも分からぬまま、入り口の側にいた彼女の、平手打ちの餌食になっていた。
「え、え、何だ、一体?」
「何、見てるのよ!このスケベ!」
ブリブリと怒るリュドミラの姿を見て、彼は慌てて目を反らした。
「す、すまない、着替えてるとは、知らなくて」
「わざとでしょ、もう!」
二人の様子に、レフは口を押さえて、肩を震わせていた。
落としてしまった荷物を拾い上げ、ハールィチはその場を逃げようとして、気がついた。
彼女の胸元に、例のものがあることに。
「リュドミラ、少し胸を見せてくれないか」
「な、何、変なことする気?」
「見せるだけでいい、変なことはしない」
いつになく真剣な彼の言葉と、眼差しに、彼女はおとなしく従うことにした。
胸を隠していた腕を放し、ハールィチの前に、その素肌を晒す。
彼女の身体には、大きく柔らかそうな乳房がある。だがそこには、乳房とも違う、異様な膨らみが一つあった。
「これはどうした」
「ハゲの仲間になる、大分前から出てきたの」
「痛みは?」
「たまに、チクチク痛むぐらい」
ハールィチは顎に手を当て、暫し考え込む。
触れていいものか、彼は悩んでいる様子だった。
そんな彼を見て、彼女は声を出していた。
「触っても、いいわよ」
その言葉に、彼はドキリとした。
「今度は叩かないから、本当よ」
ハールィチの手が、伸びた。
「悪く、思わないでくれ」
指が、リュドミラの肌に触れた。
触れてすぐに、それは分かった。胸の膨らみの内部に、ゴツゴツのものが隠れていたからだ。
「これは……風土病だ」
それを聞き、リュドミラは涙を流した。
「やっぱり、そうだったのね」
「なぜ、黙っていた。もっと早く言ってくれれば……」
「言えるわけないじゃない、こんなところのなんて。私、女よ!」
ハールィチは、頭を振った。
「特別扱いはしない、と言ったはずだ」
そう言うと、彼はリュドミラを抱え上げ、寝台の上へとそっと寝かせた。
「レフ、むこうを向いててくれ、これから治療にかかる」
「はい」
ハールィチは、首飾りを取り外すと、彼女の胸の上に載せた。
じんわりと暖かな感触が、リュドミラの胸から、全身へと広がっている。
彼女は、恐怖で震えていた。
「怯えるな、まだ間に合う」
「もう、無理よ、風土病は治らない。私も苦しんで死ぬんだわ」
涙を浮かべる、リュドミラの目を、彼は言い聞かせるように見据えた。
「風土病は治る、私が治す!信じろ!」
ハールィチの詠唱が始まった。
彼女の胸に手をかざして、彼の神経が手の平に集中する。
腕輪のある右手が、熱を持った冷たさを帯び、彼女の胸を刺激した。
部屋に、彼の詠唱の言葉と、首飾りの立てるカリカリという音だけが延々と響く。
長い時間が、過ぎたように思われた。
彼は突如、詠唱を止めると、リュドミラに服を着るように促した。
「これで、治ったの?」
「いや、少しずつ治している。一度に治そうとすると、危険すぎるからな」
首飾りをつけ、立ち上がろうとしたハールィチだが、彼女がいつまでも裸でいることに気がついた。
「どうした?」
「ふ、服、濡れているから……」
部屋に干された、未だ濡れたままの服を見て、彼は黙って己のマントを彼女に渡した。
「服が乾くまで、それでも着ていろ」
「あ、ありがと……」
顔を真っ赤にして、彼女はハールィチのマントを被ると、男どもに背を向ける。
だが、彼はそれを見ること無く、レフの元へと近寄った。
「お疲れ様ですね」
「ああ、まったくだ」
彼の隣に腰を下ろし、ハールィチは疲れた顔をして見せた。
「ハゲも隅におけないですねぇ」
レフが笑いながら、彼のことをつつく。
「何がだ」
「今ので、彼女、ハゲに惚れましたよ」
「そんな訳ないだろう」
男二人は、ひそひそと、そう話し合う。
部屋には、不思議な空気が漂っていた。