2 ちょい薄 ―旅立ちと新たな仲間
この国は、世界の北方に属する、森林の多い国だった。
比較的、開けているところと言えば、君主である公のいる都市か、交易の中継地の町ぐらいで、後は、針葉樹林の多く残る、自然豊かな土地が、国のほとんどを占めていた。
それは未開発と言えば、聞こえは悪いが、その呼び名とは裏腹に、獣皮や、木材に果実、蜂蜜や鉱物資源などが豊富に採れる、人々にはとても魅惑的な場所でもあった。
だが国は、気候の安定期を迎えたことにより、未だ開拓されていない、北東方面へと、その食指を伸ばし、森を切り開いて、農地を次々に増やしていた。
そんな矢先に、森の中から、怪物が現われだした。
怪物は最初も、人間を恐れるようにしていたのだが、次第に人間が弱い者と認識したらしく、森の中に開拓や採集で入る人を捕らえては、食らうという蛮行をしていた。
その時代は長く続き、ようやっと人間が対抗できる力を手に入れた時には、すでに遅く、奴らは手に負えない存在にまで、成長してしまっていた。
森の中の、開拓民の町。
「ハゲのおにいちゃん、あそぼうよ」
オルガの父親の治療を終えたハールィチは、今日もオルガと外を歩いていた。
道行く人々も、楽しそうにしているオルガと彼を、皆が優しく見守っていた。
「オルガ、今日もハゲさんと一緒かい」
「仲がいいねえ、まるで本当の兄妹みたいだねえ、ハゲさん」
「ハゲさんのおかげで、お父さんも良くなって、よかったねえ」
いつもオルガが、彼をハゲハゲと言っていたせいなのか、町の人々までもが、ハールィチのことを、いつの間にかハゲと呼ぶようになっていた。
――誤解されている。
彼は、笑顔が引きつるのを自覚しながら、酒場へと足を向ける。
町の酒場には、仲間のエフゲニーが共に戦う人を探して、足繁く通っていたからだ。
「よう、ハゲ!」
「エフゲニー……」
「だめだぞぅ、こんなところにオルガちゃんを連れて来るなんて」
昼間だというのに、すでに彼の顔は真っ赤になっていた。
「エフゲニーおにいちゃん、おさけくさーい」
「あーはは、そうか、そうかあー」
エフゲニーは、げふぅーと臭い息をオルガに吹きかける。
その匂いに、彼女は、鼻をつまんで不快な顔をして見せた。
「お兄さん、その子、こっちで預かるよ」
カウンターの向こうで、オルガと顔なじみの店主が、そう言うと、彼女はいそいそと店主のもとへと移動していった。
「で、何の用だ?」
杯の酒を飲み、エフゲニーは、ハールィチに問いかけた。
「エフゲニー、目星はついたのか?」
「ああ、それならもう話はできている」
わいわいと賑やかな店内で、彼らはオルガに気づかれないように話し始めた。
「剣士と弓使いだ、腕は確かだぞ」
「私のような、魔法使いはいなかったのか」
その言葉に、エフゲニーは難しい顔をした。
「いないな。そもそも魔法使い自体が少ない上に、お前ほどの腕のヤツはもっといない」
「参ったな……」
ハールィチは、髪を掻き上げ、眉間にしわを寄せた。
「何だ、同士が欲しいのか?」
「いや……、ちょっと気になることがな」
「気になること?」
「いい、また次の機会にするよ」
そう言って、彼はちらりとエフゲニーの頭を見た。
この間まで、ツルツルだった頭頂部に、うっすらと毛が生えている。
「変なヤツだな。それで、そっちはどうなんだ」
「こっちは順調だ、明日にも完治しそうなところだな」
「ふーん、良かったじゃないか」
「それでだ、オルガの父親が治ったら、すぐにでも出立したいと思う」
彼の言葉に、エフゲニーの酒の手が止まった。
「どうしてだ」
「うまく言えないが、これ以上、オルガの家族に迷惑をかけたくない」
「ゆっくりすれば、いいだろうに」
ハールィチは、頭を振った。
「それに、オルガにも影響が出かねない」
二人が、この町に滞在して、十日が過ぎようとしていた。
翌日、ハールィチは最後の治療を終えていた。
「よし、これで大丈夫ですね」
首飾りを身につけ、彼はにこりと笑顔を見せていた。
「顔色も良くなりましたね、最初の時とは全然違う」
オルガの父親は、血色のいい肌艶を取り戻し、再び身体を動かせる状態になっていた。
「ありがとうございます、なんとお礼を言ったら良いか……」
母親も涙を流し、夫と共に、彼に礼を述べていた。
「ありがとう、ハゲさん。あなたのおかげで、家族が助かったよ」
「いえいえ、風土病を治すのも、私の役目ですから」
彼はにこやかに微笑み、立ち上がろうとしたのだが。
「ハゲのおにいちゃん」
足元のオルガが、寂しそうに、ハールィチを見上げている。
「……ハゲさん、この子と遊んでくれないかい?」
「いいですよ」
娘の様子に、何かを察した母親は、二人を外へと送り出していた。
町の中にある、屋台の並ぶ広場で、二人は仲良く遊んでいた。
時刻は昼前で、家々の窓から、おいしそうな匂いが漂ってくる頃だ。
「ハゲのおにいちゃん、きょうのおひる、なにかなー?」
「何だろうなぁ、オルガのママは料理上手だからな」
ハールィチは広場に置いてある石に腰掛け、その彼の膝にはオルガが乗り、嬉しそうに笑っていた。
「ぱぱもね、まえみたく、ごはんおいしいって、いっぱいたべるようになったの」
「良かったな、いっぱい食べたら、パパもすぐ元気になるぞ」
「うん!」
他愛も無い会話だった。
だが、彼は、もうすぐ別れの時が来ることに、一抹の寂しさを感じていた。
「ほら、あの鐘が鳴る時間だ」
広場の中心にある鐘を、ハールィチは指さした。
それと同時に、鐘は、昼の時刻を告げるように力強く鳴り響いた。
「おひるだー」
「よーし、ご飯を食べに帰るか」
オルガの小さな手を握り、彼らは家へと戻っていった。
昼食も済ませ、ハールィチはオルガの家の前に佇んでいた。
「それじゃあ、ハゲさん、気をつけてね」
オルガの母が、彼を静かに見送る。
「はい、お昼、ごちそうさまでした」
彼も頭を深々と下げ、今まで世話になった礼を示していた。
「また、この町にも来てちょうだい。あの子にも会いに来ておくれ」
「……分かりました。では」
くるりと身体を翻し、彼は背を向けた。
「さようなら、ハゲさん」
「さようなら」
名残惜しい気持ちを振り切り、ハールィチは家を、町を後にした。
町の外では、エフゲニーが、新たな仲間と共に彼を待っているところだった。
「お、やっと来たな」
長い杖を持ち、歩くハールィチの姿を見つけた彼は、大きく手を振った。
「悪い、待たせたな」
「気にするなよ、手こずったんだろう?」
エフゲニーの言葉に、彼は軽くうなずいた。
「ああ、オルガが昼寝している隙に、出てきた」
「仕方が無いさ、子供はそういうもんだ」
そう言って、エフゲニーは、傍らの二人を紹介し始めた。
「ハゲ、新しい仲間だ。大きいのがイーゴリで、こっちのがレフだ」
名前を呼ばれ、身体の小さい男が、ハールィチの前に進み出た。
細身の身体に、銀色の、少し格調高い鎧を着け、セミロングの髪を後ろで束ねた優しそうな顔立ちの男だ。
「はじめまして。私はレフ、剣士です」
続いて、体格の大きな男も進み出る。
三人よりも頭一つ大きく、赤毛の髪が、もみあげからヒゲまで繋がった、居丈夫な男だ。
「俺は、イーゴリ。弓の扱いは任せてくれ」
「二人とも、はじめまして、私は……」
「ハゲでしょう?彼から聞きましたよ」
レフと名乗った男は、そう言ってエフゲニーを指し示した。
「頭がフサフサなのに、ハゲなんて、変わってるな!」
イーゴリは、がっはっはと大笑いした。
「エフゲニー、お前」
ハールィチは、思わず彼を睨み付ける。
「言いづらいんだって、お前の名前」
「……もういいよ、ハゲでいい」
「お、ついに観念したな?」
――何か、負けた気がする。
薄く毛の生えた、エフゲニーの頭を見ながら、彼はがっくりと肩を落としていた。
一行は四人となり、再び街道の怪物退治に取りかかる。
昼間だというのに、怪物は唸りを上げて飛び出し、彼らに襲いかかった。
今、彼らの目の前で雄叫びを上げるのは、二本足の、熊のような怪物だ。
体は大きく、イーゴリの倍以上もある巨大なものであった。
「さあて、お手並み拝見だ」
ハールィチは後衛に下がり、レフとイーゴリの動きを注意深く見守った。
やや短めの剣を振るい、レフは勇猛にも、怪物の懐深く斬り込んでいく。
そのレフを援護するように、イーゴリの弓が、熊の弱点である、鼻先を狙い澄ましていた。
レフの剣が、怪物の関節に突き刺さった、その時、ヤツの口が大きく開かれる。
――魔法だ!
ハールィチが、そう思った瞬間、イーゴリの放った矢が、ヤツの口内を深々と貫く。
魔法を封じられた怪物は、エフゲニーとレフの手によって、あっさりと倒されていた。
「ふう、以外と簡単でしたね」
レフが、血糊のついた剣を拭っている、その背後で、何かが光る。
「危ない!」
そこには、彼を食らおうと、別の狼のような怪物が大口を開けていた。
「わ、あ、あ!」
ハールィチは、素早く詠唱を終えると魔法を放ち、その頭部を木っ端微塵に粉砕する。
吹っ飛んだ衝撃に、レフの髪が風に靡いていた。
「ケガはないか、レフ」
青白く光る杖を片手に、ハールィチは彼らに走り寄った。
「ああ、びっくりしました」
未だ動悸が収まらぬ胸を撫でつつ、レフの頭から大量の汗が流れ落ちた。
「レフ、油断するな、相手は獣よりもずる賢いんだぞ」
「すみません、迂闊でした」
二人の会話を聞き取る限り、レフは元軍属か、それに近い者らしい。
そしてイーゴリは、身なりと弓の腕から、狩猟を生業とする者なのだろう。
ハールィチは、そう推測していた。
「いやあ、ハゲの魔法もすごいな。あんなの見たことねえや」
「そうですね、この腕前は、私のいた町でもいなかったですね」
イーゴリとレフも、揃って彼の魔法を絶賛する。
「だろう?この調子なら、すぐに怪物退治も終わるぞ」
エフゲニーは、なんとも楽観的な態度で、笑い出していた。
「三人とも無事なようだな。では旧首都に行こう、そこで給金をもらう手筈になっている」
給金と聞いて、三人の目が色めき立った。
「やった、これで鎧が新調できる」
と、エフゲニー。
「仲間になったばかりで、お給金をもらっていいのでしょうか」
と、レフ。
「いいんじゃねえのか、細かいことは考えっこなしだ」
と、イーゴリ。
一行は、足取りも軽く、その場所へと向かっていった。
公国の旧首都。
ハールィチは、手続きを進めに役所へと出向いていた。
残された三人は、宿で暫しの休憩と相成り、めいめいで寛いでいた。
「それにしても、国からお給金が出るなんて、すごいですねえ」
「俺も、税は取られたことはあるが、国からもらうなんてなかったぞ」
レフとイーゴリは、武器の手入れをしながら、そう語らっていた。
「エフゲニー、あのハゲは何者なんだ?」
そう問われた彼は、毛の少ない頭を拭いつつ、ハールィチについて考えていた。
「何者と言われても、ある村で魔法使いをしていた、としか……」
「本当にそうなのか?一介の自由民にしては、おかしいぞ」
「そうですよ、怪物退治で国からお給金が出るなんて、軍属でもない限りあり得ません」
レフの言葉に、皆疑問が浮かんでいた。
「ハゲのやつ、軍にいたとか言ってないぞ。そういや不思議だな?」
「あなた、正体も知らずに、一緒にいるんですか」
「仕方がないだろ、あいつ、自分のことはほとんど喋らないんだ」
三人は、そう言い合い、悩んでいた。
「怪物退治、だけど、その裏で風土病の治療もしているって……」
「ますます変ですね。魔法使いが、医者の真似事とは」
必要以上を語らないハールィチの事に、皆、首をひねる。
だが、イーゴリがぽつりとつぶやいた。
「謎は多いが、悪いやつでは無さそうだ」
その言葉に、二人もなぜか納得したらしく、うんうんとうなずいていた。
と、そこへ、部屋の扉が叩かれる音がした。
「遅くなってすまない」
重そうな麻袋を手にした、ハールィチが戻ってきていた。
「今月分の給金だ、皆で分けよう」
「待ってました!」
「おかえりなさい、ハゲ」
「楽しみにしてたぞ」
さっきまでの雰囲気はどこへやら、三人は彼を笑顔で出迎えていた。
その日の夜、ハールィチは木造の城壁から、外の世界を眺めていた。
冷たい夜風が、彼の身体を撫でつけ、幻想的な公国の夜を吹き渡っていた。
「魔法、か」
それは、遠い昔に、彼がまだ幼かったころ目覚めた、不思議な力だった。
この力を、最初に理解し、指導してくれた人物は、彼の力を評してこう言った。
『この力は、毒にも薬にもなる』
それは事実であった。
彼の魔法は、怪物を倒す力もあれば、人々を蝕む風土病をも治す力もある。
まさに、万能とも言える能力であった。
彼の持つ杖が、月光に反応して、青白く光る。
その光に吸い寄せられるように、小虫が集っては、ぽとりと落ちていた。
「虫除けには、ちょうどいいんだがな」
動かなくなった小虫を見下ろし、彼は自虐めいた笑みを浮かべた。
「イーゴリも、レフも、いつかは、ああなるのだろうか」
彼は、仲間のエフゲニーの頭を思い出しながら、ため息をつく。
エフゲニー、そして、死んだアレクセイも、元々髪はあった。
それが、仲間になってしばらくした頃に、髪が薄くなり始めたのだ。
最初は、アレクセイ。次いで、エフゲニー。
髪の抜けるのは留まるところを知らず、彼らの頭はいつしかツルツルになっていた。
ハゲるような歳でもないのにである。
「普段、私のことをハゲハゲ言っていたからか?」
よく分からない結論に至り、彼は夜空を見上げていた。
国からの給金は、そのほとんどを三人にあげてしまった。
彼は少し残った金で、酒を一本買い、早々に捧げ物として大地に振りまいた。
それは、死んでしまった仲間への鎮魂なのか、それとも、殺めた怪物の命のためなのか、彼にも、よく分からなかった。
ただ、そうしなければいけない。
それだけが、心にずっと引っかかっていた。
――今頃、酒場では、三人が盛り上がっている頃だろう。
彼はそう思い、城壁を後にした。
公国の夜は、静かに更けていった。