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プロローグ「名も無い少女と影の魔物」

 耳元で荒野の音がする。

 乾いた風が吹き抜けて、軽い砂をさらっていく。

 砂が頬にあたる度、ざらついた感触がした。


「――は?」


 少女は素っ頓狂な声を上げる。

 荒野に座り込んだ彼女は驚きの声を上げる。

 それもそのはず。

 何も無い荒野の中、何も無い自分が居たことに、吃驚したのだ。

 問う。


 ――わたしは誰だ、と。


 しかし返す者はいない。

 見渡す限りの地平線。生命を持つものはトカゲくらいか。

 だが少女はまた驚く羽目になる。


「それは君が自分自身で見つけるものだろう?」


 どこからか男性の声が聞こえた。

 吃驚して周りを見渡すも、何もいない。

 ふと、視線を下に落とす。

 すると驚くことに、照りつける太陽と少女が作る影が、突然肩を震わせ喋り出したのだ。


「だ、だれ……!?」

「驚くのも無理はない。しかしこの世界では常識は非常識であり、非常識は常識だ。気にすることは無い」


 紳士のような口振りで、影は言う。

 その声音は穏やかで、まるで産まれたばかりの子供を落ち着かせるかのようだった。


「初めまして、お嬢さん。私はそうだね、『影の魔物』とでも名乗ろうか。気軽に呼んでくれ」

「はあ」

「暫くは君の影の中に居るつもりだからね。親しくしておいて損は無いだろう」

「えっ」


 またしても少女は素っ頓狂な声を上げた。

 影が喋り、その上暫くそこに居るという話に付いていけないのもそうだが、自分に付いてきてくれるということに驚いたのだ。

 影は首を傾げ問うた。


「不満かい?」

「あ、いえ、そんなんじゃなくって」

「?」

「その、わたしのこと知ってるんですか?」

「いや全く」


 は? と思わず少女は口にする。

 全く知らない人の影に居るのか、この影さんは。


「それなら、得体の知れないわたしなんかの影に居るなんて……」

「ははは、それなら心配ない」


 影は肩を震わせて笑った。


「私も得体が知れないからね」


 謎が謎を呼び謎を作っている。

 影の言うことが全く理解できないし、そもそも言い方が回りくどい。

 今度は少女は首を傾げる。


「じゃああなたは一体……?」

「ただの影さ」


 まるでそれ以上の踏み込みを許さないかのような声音。

 それに少女は顔を強ばらせた。


「ああ、固くしなくても良い。そうだな、少し行った先に村があったはずだ。まずは歩きながら話をしよう。立てるかい?」

「あ、はい」


 慌てて立ち上がる。

 ぱんぱんっと足に付いた砂を払って、ふと、自分がどのような格好をしているのか気になった。

 下を見る。

 白のロングコートの中に、シャツを着ている。下はショートパンツにブーツ。

 ショルダーバッグもある。中は何だろうかと開けてみる。

 かちゃり、と鎖を鳴らして懐中時計が現れた。

 なかなかのハイテクモノで、中央には日にちが書かれている。

 五月三日、午前九時。

 懐中時計以外には何も入っておらず、肩を落とす。

 さらりと横を流れる髪は亜麻色。

 手探りで長さを確認すると、どうやらセミロングくらい。

 そこで少女は振り返って影を見る。


「どうしたんだい?」

「わたし、どう見えてますか?」


 影はきょとんとした。

 そこで瞬時に察する。


「そうだね、とても愛らしいお嬢さんだ。歳は十五、六かな? コートが良く似合っている」

「そう、ありがとう」


 少し照れながら歩き進もうとした少女に向かって、影はピンッと人差し指を立てた。


「ああそれと」

「なに?」

「君はもっと笑った方がいい」


 その言葉を聞いて、少女はまた振り返る。


「面白くもないのに?」

「そうだね、普段からにこやかにしていれば自然と、面白くなるよ」

「そういうものなの?」

「そういうもんさ」


 影はケタケタと笑う。

 彼女はふうんと呟いて、また歩を進めた。


 ☆


 数分が過ぎた。

 先程まで地平線しか見えなかったのに、数分で着いた。

 小さな小さな村は、荒野の中にぽつんと家々が寄り添って存在していた。


「ここが……」

「初めまして、旅のお方」


 周りをきょろきょろと好奇心を含ませながら眺めていた少女に、ある老人が声を掛けた。

 初老の老人はにこやかな笑みを浮かべている。


「あの、ここは……?」

「ああ、君も世界に招かれてきたんだろう」

「へ?」


 おや、違うのかい? と老人は首を傾げた。

 少女は慌てて、手を横に振って取り繕う。


「そう! そうなんです! それで、この世界のことが具体的に知りたくて……!」


 招かれたとかいう話は知らないが、あながち間違ってもいなさそうだ。

 ここは話を合わせておいて損は無いだろう。

 老人は頷き、口を開いた。


「ようこそ、お嬢さん。願いの箱庭へ」

「願いの、箱庭……?」

「ああそうさ。この世界は願いを叶えてくれる。さあ君も強く願ってごらん。世界は君の願いを叶えてくれるだろう」


 それだけ言うと、老人は頭を軽く下げて行ってしまった。


「あっ……」


 そこで思い至る。

 世界が願いを叶える。

 この現象はさっき体験した覚えがあった。


(村に早く着いたのって、まさか)


 地平線に唐突に現れた村。

 陽炎の如く現れたそれは、少女の『早く着きたい』願いを叶えたのだ。

 老人だってそう。

 現れる数秒前に、『誰も居ないな』と思ったばかりだ。


「言っただろう。常識は非常識、非常識は常識。ここでは願い以外は何一つ要らない」


 影が笑う。


「君の願いは箱庭が叶えてくれる。自分のことを知りたいと思えば、それは必ず実現するだろう」

「影さんは、自分のこと知りたい……?」

「そうだね、私は叶えてもらえる存在ではないからね」

「?」

「願いの箱庭にも、優先順位というものがあるんだよ」


 優先順位。そう口の中で呟く。


「『ふしぎの国のアリス』を知っているかい? 有名な童話だ。君はまさにそのアリスだね。世界に愛されている」

「? ごめん、分からない」

「まあ、君の優先順位が高いということだよ」


 影はまるで全てを知っているかの様に語っている。

 やはりこの影は自分のことを知っているのか。

『それは君が自分自身で見つけるものだろう?』

 最初に言われた言葉だ。

 確かにその通り、少女は教えてもらうことを嫌う。

 真実は、自分で見つけ出してこそ真実だから。

 他人の真実と自分の真実とではまるで意味が違う。彼女はそういう考え方をしていた。


「わたしを見つける前に、まずはこの世界を知らなきゃ」


 ぽつりと口に出す。

 その声色は決意を新たに固めたようで、影は頷き囁く。


「地図を望んでご覧」

「地図?」


 ふわり、と突然空から羊皮紙が舞った。

 そしてぱさりと地面に落ちる。

 彼女は足元のそれを拾って、書かれたものを見た。

 地面があり、海がある。

 割と広大なこの世界には、幾つもの土地名が記されていた。

 山の名前、街の名前、海の名前、平野の名前。

 中心には世界で一番大きいと思われる大都市があった。

 ちなみに現在地は割と近い。


「目指せ、ってこと?」

「さあ。君次第だよ」

「歩いて行ける距離かな」

「望めばすぐに着く」


 そっか、と呟いて、そして彼女は望んだ。



 午前九時半。

 それからの道のりは不思議なことばかりだった。

 小腹が空いたな、と思うと目の前にテーブルがあり、クッキーとジュースが置いてあった。

 座りたいな、と思うとソファがあった。しかも座り心地がとても良かった。

 そんなこんなで荒野の中に用意された家具類は異様な雰囲気を放っており、いまいち馴染めて無かったものの、とても助かっていた。

 どうも願いの箱庭は願いを叶えたいらしく、何かを思うと待ってましたと言わんばかりに叶えてくれる。

 ようやく丘を超えた向こうに大きな街が見えてきた。

 ようやく、と言っても今は九時四十五分。

 本当に少ししか経っていない。

 街にはぐるりと囲うように存在している大きな壁があった。

 入口にも当然分厚い扉があって、数人の人が入場審査を受けている。

 と、少し人だかりができている場所があった。

 中心の方には甲高い少女のような声がぎゃーぎゃー何か騒いでいる。


「あたしは外へ出たいの!」

「困ります! せめて護衛を幾人か付けてからにしてください!」

「嫌よ! あたしは一人であの子を迎えに行かなきゃならないもの!!」

「ですが!」

「あたしの願いの優先順位はそれなりに高いわ! そこらへんの野蛮な奴に負けたりなんかしないわよ!」


 何やら言い争っている様だった。

 片方の男性は困ったような表情を浮かべている。

 軍服に槍を装備している辺り、恐らく兵士だろう。

 もう一方の少女は、彼女と同じくらい、もしくはそれ以下のとても愛らしい少女だった。

 太陽の光を反射してキラキラと輝きながらカーブを描くその金の髪は、気品のある白い肌によく似合っていた。

 一目で位の高い者だと思わせるほどの、真紅のドレスもとても綺麗なのだが、少女の存在自体は荒野には全くと言っていいほど似合っていない。


「なんなんだろ……」

「さあ。それよりも君、並ばなくていいのかい?」

「でも身分を証明するものなんて……」

「君は大丈夫だよ」


 見ると入場審査待ちの列は、結構空いてきている。

 彼女は何とかなるかな、と思い慌ててそこに並んだ。

 すると。


「あーーーーーーーー!」


 先程ぎゃーぎゃー騒いでいた少女が、こちらを指さして大声を上げた。


「じょ、女王……! もっと振る舞いを正していただかなくては……!」

「いいのよそんなもん。そんなことより!」


 女王と呼ばれた少女はつかつかとこちらに寄って来た。

 彼女の足元の影からは小さく舌打ちが聞こえてくる。

 思わず彼女は一歩だけ後ずさりをしてしまう。

 しかしそのままの勢いで少女はガシッと彼女の両手を同じく両手で掴んだ。


「やっと会えたわ! あたしのノーネーム!」

「へ?」


 感動と感激とその他諸々を含んだキラキラの瞳で少女は彼女を見据えた。

 一方彼女はと言うと、困惑し過ぎて目がぐるぐる回っている。

 頭にはクエスチョンマークが三つ程浮かんでいた。


「……女王、その手を離してもらいたい」


 影がぽつりと少量の敵意を込めて言い放つ。

 それに対抗するように、先程の純粋な瞳を一転させ、少女は冷たい目で彼女の影を見下した。


「あらシャドウ。貴方またこの子に付いているの?」

「君には関係ないだろう」

「関係あるわ。あたしのノーネームですもの」

「この子は誰のものでもないよ」


 彼女を挟んで敵意剥き出しのトゲトゲしい言葉達が行き交いする。

 挟まれている方はもろに両者の敵意が刺さって痛い。

 謎の状況に不快感を覚え、ついに彼女は静止の声を上げた。


「す、ストップ!」


 ぴたり。

 まるで時間が止まったかのように両者は動きを止める。

 女王と呼ばれていた少女の方は、どっちが女王なのか分からないという程命令に忠実に従った。

 彼女は恐る恐る幼さの残る、自分より背の低い少女に声を掛ける。


「あの、貴方は……?」

「あっ、そうね自己紹介を忘れていたわ! あたしは太陽の女王(サニークイーン)。この王国をまとめているの」

「えっ、まだ結構幼いのに……」


 心底心配して声を掛けたのだが、女王はあっけらかんとして笑った。


「あっはっは、見た目の話をしないで!」

「はあ」

「中身は昔より成長してるわよ。ところで」


 女王は一旦言葉を切って、再度凍るような絶対零度の瞳で影を見る。

 そして手首をくるりと回した。瞬きをする内に鋭利な鎌が現れ、遠心力を利用し地面の影の中心をザクッと刺す。


「太陽は影が嫌いなのよ」

「その影を作るのは太陽だよ」


 ヒュッ。

 少女の横を風が通り過ぎる。

 何事かと思って女王を見ると、その柔らかな白い肌に赤い線が垂れていた。


「ほんと、貴方って大ッ嫌いだわ」


 憎悪と嫌悪を込めて女王は頬を拭いながら言い放つ。

 真紅のドレスの袖が、更に赤黒く染まった。

 そのままの瞳で女王は次に彼女を見た。

 一瞬背筋に悪寒が駆け巡る。

 しかし一転して女王はころりと表情を変え、元のあどけない笑顔を浮べた。

 態度が変わり過ぎである。


「さて、じゃあ入りましょ? ノーネーム!」

「あ、待って」

「何かしら?」

「その、ノーネームって何?」


 女王はきょとんとして彼女を見据える。


「貴方のことよ、ノーネーム?」

「でも、わたしには名前なんか……」

「ええ、だから名無し(ノーネーム)

「ここでは名前が無い人は珍しくないからね」

「貴方は黙ってなさい」


 少女は声の変わりようにむしろ感心していた。

 自分には甘く元気な声を出して、影さんには冷たい声を出す。

 少し慣れてきた身としては、目の前の金髪少女は面白く思う。


「じゃあわたしみたいに名前が無い人って沢山いるんだ」

「そうね。あたしもそこのシャドウも名前なんか持たないわ」

「その代わりに通り名みたいなものが出来たけどね」


 ふうん、と頷く。

 しかし自分にはまだ通り名が無いことに気が付いた。

 一応この世界に招かれたばかりとしては、やはり最初は何も持たないのだろうか。


「君は名無しでいいんだよ」

「そうね、貴方はこの世界唯一のノーネームだわ」

「ど、どういうこと……」


 名無し名無しと言われ過ぎて、まるでお前には名前など必要無いと言われているよう。

 すると、女王が幼い子供が母親を連れ回すかのように手を引いた。


「行きましょう?」


 少女はこくりと頷いて、素直に女王に付いて行くことにした。

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