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he said  作者: pons
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 まず、気を逸らすことだ。


深い森の中、黒い小山のような獣の前で、紫色の髪の少女が震えていた。

赤く裂けた獣の口には、鋭い犬歯が、濡れて輝き肉食を主張している。

少女は汗ばむ右手に握った剣を確かめる。

釘の緩んだ剣柄の中で茎がカチカチと音を立てていた。

ふと頭に疑問が過ぎる。

手の中の剣の重さに対し目の前の筋肉の塊は、あまりに巨大すぎるのではないか。

そんな弱気に少女の体はリニアに反応し、重心が踵へと移動する。

その隙を獣は逃さなかった。

歓喜の咆哮に喉を鳴らし、巨大な影が襲い掛かってきた。

プリシラは失禁した。


全身を巨大な板で叩き飛ばされる衝撃が数回続いた。

痛くはなかった。

全身を心地よい痺れにつつまれ、耳の奥で重厚なオルガンが鳴り響く。

朦朧とした意識が草と土の匂いで引き戻されると、平らな重量物が恐ろしい力で自分に圧し掛かってきた。少女は恐怖と悔恨に目を潤ませながら、獣の只の一撃で打ち倒されたことを悟った。何かが圧し掛かっているのではなく、重力に抗えぬほど全身の筋肉を弛緩させ、無様に地に伸びているのだ。目の前の土に大量の生臭い液体が音を立てて撒き散らされ、もうもうと湯気を立てる。


(私の血が、父上と母上に頂いた誇り高い先祖の血が不浄な大地に流れてゆく――――――)


焼けるような悔しさが体中を駆け巡り、漸く体が動いた。

気を逸らそうなどと。

具体的な計算もなく、気後れた心のままに策を弄す余地を求めるとは。

こんなことなら一気呵成に切り掛かるのだった。

そう後悔した直後に、その結末が脳裏に閃く。

そう、今と同じように地に転がり、浅慮浮薄を悔やんでいただろう。

自らの弱さに歯を軋らせ、剣も取り落とした素手を握り込む。

せめて、この身を貪る獣の耳目を突いてやろうと首を巡らせた。

すると目に映ったのは、喉を鳴らしながら自分のはらわたをすする獣ではなく、痩身の男の黒い後姿だった。その足元に、赤く引き裂かれた黒毛の塊がもうもうと鉄臭い湯気を立てている。


「そ、其方、は…………」


男はプリシラの掠れ声を意にもかけずに、大きな斧を軽々と一振りした。

まるで掘削重機の分銅のように重く分厚い巨大な斧頭が打ちおろされる。

骨肉が潰れ、断ち切られる鈍い音と共に獣の右前足が跳ね上がった。

プリシラの上半身ほどはあるそれを軽々と拾い上げながら、男は毒づいた。


「やっと一個かよ、たりぃなあ」


昼なお暗い森の中で、大型獣の腕を頭陀袋に放り込む。

プリシラはその姿を見、男が痩せてるわけではないことに気づいた。

大きいのだ。プリシラ達人間族の成人男性と比べても、頭二つ分は背が高い。

男は頭陀袋を背負いあげ、しばらく獣の屍を物色すると、倒れたプリシラには目もくれず立ち去りかけた。


「ま、またれよ!」


託さねば。自分の死を、この男に…病床に臥す父の元まで届けさせねば。

焦がれる思いとは裏腹に男の姿は遠のいてゆく。

プリシラは残る精魂の全てを込めて叫んだ。


「またれよ、どうか…………戦士どの!」


必死の呼びかけも虚しく、男の姿は木々の間に消えていた。

プリシラは地に額を打ち付け、身の不甲斐なさに涙する。

たかが獣に打ち殺されるだけでなく、死に際の幸運さえも握ることができないとは。せめて生の最後だけは、自らの手で閉じなければならない。苦痛にあがきながら、みじめに助けを期待しつつ果ててしまうような、そんな無様な死に様だけは許されない。力なく震える手を未だ剣帯に残る鞘に伸ばし、細身の短剣を引き抜いた。


「我が国ズラトウーストよ、民と共に永遠なれ」


喉元より後頭部を刺し貫くよう、一息に力を込める。

しかし、両手は岩と化したかのように動かない。

惰弱な。死に臆し未練を絶てぬままの死に様を晒そうてか。

泣き濡れた両目を見開き、ままならぬ両手をにらむ。


両手は、大きな男の手で包まれていた。


「…………戦士どの」


自分に身を屈めた男は薄ら笑いながら、理解できない言葉をまくし立てている。その好奇に光る目と期待にはやるような口の動きに、プリシラは自分が女であることを思い出して身を硬くした。

ああ、戦士ではなく、盗賊の類であったか。


「は、はなせ!貴様などに汚されてなるものか!」


男は暴れるプリシラから短剣を取り上げると、身を引き、理解できる言葉を放った。


「おまえか?おまえだろ、俺を呼んだのは」


プリシラは反射的に叫ぶ。


「誰がおまえなぞ!見損なったのだ、私が呼んだのは戦士だ!」


自由になった両腕で男から後ずさるように離れながらさらに追い撃つ。


「貴様のような好色な狒々親父ではないわ!」


男の顔から笑いが消え、眉間が曇る。

そこでプリシラは、男の顔が目を見張るほど端整なことに気づいた。

そして、今現在の自分が、勝手な思い込みで動転してることにも。


「まあ、まて。とりあえず落ちつけ。俺は間違いなく戦士だ」


男は奪った短剣を指先でクルリと回すと、跪いてプリシラの手をとり、その中に置いた。その所作があまりにも優雅で礼儀に適っており、プリシラはされるがままに受け取るしかなかった。


「そ………あ…………すまない、どうか許されよ戦士どの。わたしは」


「いや、いい。とりあえず用件を教えてくれ」


プリシラは絶句した。

短剣を返す洗練された動作と、婦人である自分の謝罪をぞんざいに遮る様。

そのあまりの落差に言葉を失ってしまう。唖然とするプリシラを前にして、何を思ったのか、男は顔を擦ったり頭を掻いたりしながらブツブツと呟き始めた。


「あんだよ………ヨシヒロの話と全然違うじゃねーかよ………間違えたのか?」


教養のない蛮族といったその風勢にプリシラは正気を取り戻した。


「重ね重ねすまない、戦士殿。頼みがあるのだ」


「おう、だろ?早く教えてくれ」


やっぱ当たりだよ、だの何だのと一人語地ながら男は薄笑いを浮かべ急かす。


「私の死を我が父クプリヤン、この国の王に伝えて欲しい」


「はぁ?!」


素っ頓狂で無礼な問い返しにプリシラはまたも思考が止まる。

宮中の王族、外戚達の腐臭を匂わす慇懃無礼なる振る舞いには慣れている。

しかし身分や性差を考慮しないこの男のあけすけな物の言い様にはどういった態度をとるべきかわからなかった。


「あんた死ぬの?なんで??」


「さ、先ほどな、そなたの倒した獣のひとなぎで、それで血が」


男は笑い出した。


「ああ、そりゃ熊じゃねーよ!俺だ俺オレ!NPC…………あんたに取られそうだったからバッシュかましたんだわ!」


笑いながらプリシラの剣を拾いあげる。

男の手にあると、長剣は短剣ほどにしか見えない。


「バッシュはゼロダメだしあんた死なねーよ。つーかオレ謝るべき?めんごめんご」


謝罪を匂わせつつ奇妙な呪文の復唱と共に差し出された剣を受け取り、プリシラは男の言葉の意味を解読しようとした。

まず、自分の体を確認する。

下草の痩せた地面に倒れこんだ際の土汚れがついてるのみだった。

目の前に飛んだ血飛沫はすべて獣のものだったのか。

つまり、プリシラは後ろからの男の殴打で昏倒した。

続く男の獣への斬撃による血飛沫を自の物と思い込み、情けなくも死に体を演じた。

そして、仕舞いには自らの命を絶とうとした。

国と民への懺悔とともに…………


男の顔に手袋が投げつけられた。


「ん、なんじゃこら」


男が問うようにプリシラに視線を向けると、怒りに燃える目で見据えられていた。


「そなたに決闘を申し込む!」


プリシラは激昂していた。

背後から自分を打ち倒し、そのまま獲物を奪った卑怯者。しかもその卑怯者に情けを請いながら遺言を託そうとは………なんという恥辱!

この恥を雪ぐためには、この男を殺すより他にはない。

しかし、物理的にこの男の強さは圧倒的で、とても敵うとは思えない。

つまり、振り出しに戻ったのである――――――より不利な形で。



*****



「なにこれどーなっちゃってんの?」


山田は感覚野を物理空間に退避させ隣のブースに声を掛けた。


「おいおいディフェいれて戻れよ棒立ちじゃねーか」


パーテーションの向こうでメロンパンとコーヒーの昼食をとっていたデブの鈴木が、顔を覗かせ嗜めてきた。

キャラクターは棒立ちと言われるスタンバイモードのままだ。

モニタリングスクリーンの中でプリシラという美少女NPCにいいように叩かれている。


「いや、このNPCレベル0だからディフェってるとヤバいわ」


「パリングだけで削れちまうってか」


ディフェンダーモードは攻撃を受ければ自動的に防御行動を取るモードだ。

パリングは武器や盾で攻撃を弾いたりいなしたりする防御アクションの一つで、カウンターが発生すると相手や相手の武具にファンブルダメージをバックラッシュすることがある。


「つーかこのクエこれでいけんの?忘却の森で助け手となれ、だっけ」


「んだよそんなん中でジャーナルで確認できんだろ」


「UIがバカ過ぎて視覚野をズラッと占領するから読みにくいんだよ。知覚に直出しとか今時ねーわ。テキスト情報は言語野に出力するかアイテム化しろっつーの」


「言語野だと中毒化して文字だけじゃなく思考まで音声出力するようになるらしいぞ」


「もう紙でくれよ紙で」


「紙なんて高級品、プログラマーだって使ってないぜ」


言語情報に限らず記録や再生などを行う情報はすべて仮想区間で行うようになり、紙という物質で情報を手にする贅沢は一般市民の手には届かなくなって久しい。


「とにかくヨシヒロ情報だとここでキーキャラに会えば発生するってことだから」


ヨシヒロというのはこのゲームを二人より先に始めたプレイヤーだ。

二人は彼から、この森でキャンペーンクエストのスターターに遭遇するはずだからクマの右手でも狩ってフラフラしてればいいという情報を得ていた。


「いいからクエのジャーナル確認しろよ」


「へいへい」


ジャーナルを物理空間へアウトプット。

イラストと簡単なテキストが宙に立体で描き出される。


――――――魔獣に襲われし姫、ジャクリーヌはこと切れる瞬間、君に最後の希望を託す。リュネヴィルを救って、みんなの未来を守って――――――と。



「…………なんかちがくね?」


「でも封蝋割れてるしこれだよな…………」


「死んでないし」


「…………殺す?」


「うーむ…………殺した相手に”みんなの未来を守って”とかこねーだろ」


「つーかどこで失敗したの?会話?」


「たぶんバッシュじゃね」


「あーあ」


キャンペーンクエスト(以下CQ)といったゲーム内のムーヴメントには、どんな形であれ参加はできる。

しかし、NPCというゲーム内の人物や怪物から参加動機を発生させると物語的にCQが進行してゆき、様々なボーナスを得ながら有利にゲームを進められるようになるのだ。

たとえば、姫を助け王に気に入られれば客将として兵や物資を借りれるとか。

歩いて魔王の城へ向かうところ、馬車や航空手段で運搬してもらえるとか。

etc…………

しかし、この参加動機の発生が曲者で、プレイヤーの関り方次第では他プレイヤーからのPKに正当性を与えてしまう形になることもあるのだ。


たとえば、今の山田のキャラクターの状況。

モニターの中では、美少女NPCが涙ながらに拙い撃剣を山田のキャラに繰り出している



「貴様に生きていられては私はもう終わりだ!」


「我が恥は父の恥、ひいては国の恥!」


「我が恥を理由にわが国、我が民が嘲笑を受けるとなればこの身を千回引き裂こうともその罪は贖えぬ!」


気勢か泣き事か、必死を主張し打ちかかる美少女をせせら笑いながらあしらう山田の戦士。こんなところに自分よりもレベルの高いプレイヤーキャラクターが現れれば、このNPCから偶発的なPKクエストを発券されかねない。

そんな所に――――――


「どうしたんだい子猫ちゃん」


鼻にかかったような虫唾の走る男の声が聞こえた。


「おい山田新手だ。戻れ、じゃない入れ」


「やべ、やべ」


他プレイヤーのキャラクターが現れたのだ。

山田は慌ててゲーム空間へ緊急ダイブ。

知覚と時間をシンクロさせる。



もはや腕も上がらず疲労困憊で体で膝を震わせるプリシラは、新たな第三者の出現に驚く。

ここは肉食獣や妖魔が徘徊する深く危険な森なのだ。

盗賊や犯罪組織でさえ外周に踏み込むのもためらうこの森の、こんな奥地で二人目の人間と会うことなど想像もしていなかった。


「月明かりに涙を煌かせる可憐な姫と、薄笑うばかりの下衆い首長賊。どちらが正義かなど斟酌するにも及びませぬ。さあ、姫。私にお命じください」


森の暗闇に長く煌く銀の髪をなびかせ、男は細く白い刃を抜き放つ。


「このケダモノを殺せ!と」


剣を戦士に向ける男の端整な横顔を見ながら、プリシラは覚悟を決めるしかなかった。

これが運命というものか。

深く暗い森の中、差し込む一条の月明かりの下に少女は長剣を肩に背負う。

そして、自らの頸に刃を走らせた。

灼熱の苦痛が走り、気が白く遠のいてゆく。


月光に鮮血のアーチを描きながらプリシラは倒れ、半ば開いた口から血泡を吐きつつ絶命した。


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