表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

文学に暗い。

作者: 月野 後歩

小さい頃はよく、「死体ゴッコ」をしたものだ。

蒲団の中にうずくまって、「死んだ!」と呟く、ただ、それだけの遊びだったけれど、

何故だかこれが、幼心には大変面白く、一度ならず何度もやった覚えがある。



個人的な見解だが、「死体」は「したい」に繋がっていて、wishの表れなのではないか、と思う。

たかがスノッブの邪推でしかないのは明白だけれど、

不思議と、どうして青年が自殺してしまうのか、これもよくよく見通せるようで、この見解には自画自賛だ。



欲求不満に陥るからこそ、死体ゴッコなんてするのだろう。

けれど、ゴッコはゴッコでしかないわけで、例えば子どもが遊んでいて、報酬がもらえないのと同じこと。

自殺志願者には申し訳ないが、自己満足が社会に対して貢献した、という験しは中々見当たらないし、まして、損害にすらならないのが実情だ。

誰も、生命は尊いと言うのは、結局、自分が同じ立場に立った時のための保険であって、裏で何を考えているやらは、口にこそしないが想像は容易かろう。

だからこそ、誰もそこにお金を支払ったりしないのである。

「したいゴッコ」は容易く出来る。勝手にやっていておくれ、と、皆が思っているからだ。



ただし、自己満足には少なからず、上達が存在するのは言うまでもない。

告白すれば、私にも自殺未遂の経験があるのだけれど、これはその、上達とやらに他ならないだろう。

母も遊ばせとけば良いや、と、私の死体ゴッコをほったらかしているうち、

十数年後になって、本当に「死体ゴッコ」を始めてしまったわけで、

仏教徒の悟り澄ました顔つきで、業が巡った、とか、運命だ、とか言うのは簡単だが、

これを上達しただけだ、と見るほうが簡単に思えるのだから、全く世界が比喩法を間違えているようで面白い。








だから、「書くこと」が自己満足だと言われる方々も、めげることはないと思うんだな。

めげずに書けば、自然に上達するんだし。

大体、自己満足の段階、っていうのは一つの通過点であるし、また、これなしに続けるってのも、何だか心もとない。

自作の一番最初の読者は、筆者自身なんだから。


もし、自分の書いたものに納得できなくなったなら、納得できるものを書くように努力する。

こんなに簡単なことは無いでしょう?

書けないなら、諦める。

聖書にね、こんな言葉がある。

「地獄に堕ちるくらいなら、右目をえぐって捨てちまえ。

全身が堕ちるよりはマシだ」って。

「書く」という全体に比べれば、「一作品」なんて小さい、小さい。

諦めて、再び原点に戻る、これ以上に重要なことはないと思う。






と、言うことで、


私もあらためて、蒲団の中にうずくまって「死んだ」と呟いてみた。

それが、私の記憶する中での、一番最初の「したい」からこそやった遊びであったような、そんな気がしたから。

でも、私ももう、いい加減に歳を重ねてしまって、色々と考えてしまうのだから、少し哀しくなった。



「お墓、蒲団の中、子宮回帰願望、精神分析、自由連想、フロイト、ラカン……暗がりの中へ、暗がりの中へ……




そうか、私はこれから、生まれようとしているのかなぁ」


あなたの誕生日は、いつですか?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ