翁草《おきなぐさ》へ 思いを馳せて
ふと思いついて書いた作品を投下します(笑)
「続き」ではなくて番外とか、スピンオフと言う形でこれから投稿して行くかもしれません…
この恋が、許されないものだと分かっていた。
「じゃあな…元気で」
そういう彼の目は、どこまでも潔い澄んだ色をしていた。
これで、ずっと続いていた恋は終わる。そうぼんやりと思っていた。
「うん…そっちこそ」
ちゃんと言えただろうか。
不思議と涙は出てこない。あんなに、激しく求めたはずの恋はこうもあっけなく終末を迎える。
「……ごめん」
去り際に囁かれた禁忌。
その言葉は、口にしてはいけなかったのに。
だから、聞こえなかったふりをした。大好きな、彼の低い声を一言だって聞き漏らさないようにと、本当はずっと耳を澄ませていたのに。
遠くで、二人で数ヶ月を暮らしてきたこの部屋から、彼が出て行く音がする。
「かぎ、しめなきゃ……」
もう、彼はここの住人じゃない。
さっき彼が置いたこの部屋の合鍵がテーブルの上で寂しげに置いてある。
立ち上がれなくて、しばらくうずくまっていた。
かなわないはずの恋だった。
彼は新鋭企業の次期社長。許婚もいる。彼は元々ノーマルだから、女性の体のよさも知ってる。
僕は、親もいない、社長と結ばれることなんて法的にも不可能な男子高校生。
許婚もいて、それだけでなく言い寄ってくる女の人たちもいるのに付き合ってくれたあのときが幸せすぎただけ。
『次期社長がゲイだとなると…会社が傾いてしまいます』
そう言った、ずっと優しかった彼の秘書は気まずそうに僕から目を逸らした。
そのとき、僕はやっと気づいた。自分が、好きな人の重石になっていることに。
それからは少しずつ離れるようにして今日を迎えた。
正直、納得なんて頭の片隅だけだ。大部分は子どものような「いやだ」で埋め尽くされてる。
「行かないって…約束……」
左手にむなしく光る安物の指輪。
『高いものじゃなくていいのか?』とちょっと不満げに言った彼に笑いながら頷いたのも遠い日の思い出になっていくんだろうか。
どうしても外す気になれなくて、だけど見ていると更に涙があふれてきた。
「ぅ…くっ」
こんなに泣くのは、中学2年のとき以来だと思う。
両親と妹が、僕が塾の夏季合宿でいない間に自宅の火災で亡くなった日。
あのときには、隣で背中を優しくさすってくれる彼がいたのに。
『許婚、といっても私は結婚するつもりはないんだ』
だから大丈夫だよ、と言って頭を撫でてくれたのはいつだっただろう。
人の心変わりを責めるわけにはいかない。
好きな人が、上を目指すのに足を引っ張ってはいけない。
そう思うたびに、許婚を解消したわけでもないのにこそこそと隠れるようにして恋愛をし続けている自分に嫌気が差した。
「好き…」
小さく言っても、それに反応してくれる人がいない言葉は掻き消えていく。
受け止めてくれる人のいない寂しさを抱きしめながら、僕はいつの間にか眠りに堕ちていった。
酷く寒い闇の中にいた。
僕は誰か…あぁ、そうだ彼を待ってるんだ。
早く、早くと待ってる。
「三咲……」
そう、その声で僕を呼んで。
「…ぎゅって……」
そう呟けば、暖かい体温が僕を包んでくれる。
暖かい。この温もりがずっと僕のものだったらいいのに。
ずっと目覚めたくない、と思い始めた夢は不意に終わりを告げた。
ゆっくりと意識が浮上するのが感じられる。
「三咲…どうして泣いているの?」
その声に、まだ夢にいるのか…?ともう一度目を閉じようとする。
ここには、もう誰もいないはずだから。
恋焦がれるこの声は、きっと幻聴だからその現実を見たくない。
「三咲…一人で泣くなって言っただろう?」
優しい体温が、僕をひときわ強く抱きしめる。
その感覚に、眠りにもう一度堕ちようとしていた意識が急浮上する。
「緋崎さん…?」
信じられなくてそう言えば、彼はいつものような笑顔で俺を見てくれた。
「三咲、遅れてごめんね」
「どうして…?」
だって、もう行ってしまったはずでしょ?
許婚の所に行って、結婚して、子どもを生むんだ。
それで色んな人から注目を浴びる大企業の社長として活躍する。
そのはずなのに、なぜ?
「恋人が泣いているのに、友達と喋ってるわけがないだろう」
「え…?」
意味が分からなくて見つめると、緋崎は頭を撫でてくれた。
「大丈夫、俺は三咲と一緒にいるよ。」
「そんなっ、だって…緋崎さんはっ」
「…もともと、秘書の山内と数人の友人と一緒に新しい会社を立ち上げようとしてたんだ、数年前から。それが早まっただけのことなんだ。」
なんであの人の名前が出てくるんだろう。
だって、あの人は僕に緋崎さんから離れるように言っていたのに。
「山内にはわるいことしたな。いろんなものを背負わせてしまった。
俺と、俺の親父の現社長という肩書きの野郎に板ばさみにされて……ぎりぎりまで、俺をスパイさせてたんだよ、親父は。」
「は?」
「報告書に、俺が会社を継がないつもりだ、なんて書けないだろう?
それで、許婚と結婚できるように現在身辺整理中です…なんて報告させて。
今日、会社へ行ったら俺にも言わずにすでに退職してしまっていた。
絶対に山内のほかにもスパイがいると思ってな……今日、辞表出すまで身辺整理中らしく離れてることになったんだ。」
何?
じゃあ、これは最初から仕組まれていたことなの?
こんなに…こんなに苦しかったのに。この数ヶ月間。
「俺は…お前が俺といて幸せになれるか分からない。
この数ヶ月間でお前の気持ちが変わるならそれでも、仕方ないと思った」
まっすぐな視線は逸らされることはない。
彼は…僕の何を見てきたんだろう。
無性に腹立たしくなる。
「緋崎さんに幸せにしてもらわなくたって!僕は緋崎さんと一緒にいられればいいんです!
僕が…自分で、つかむから、そんなの……。」
くしゃりと顔をゆがめれば、何故か彼もひどく切なそうな顔をした。
僕は一生懸命に、引き剥がされないようにと彼の服のすそを握り締めた。
「だけど…緋崎さんがいないとつかめないよ…」
優しさを知っている。
家族がいなくなったとき、預けられた「アイノイエ」という酷く横暴な園長がいた施設。
まだ家族がいなくなったのに泣けていなかった僕は、早く泣けないともう感情がなくなってしまうのではないだろうかと心配になった。
それでも、あそこにいたら痛みに泣けても家族のために泣けなかった。
はじめてした家出は大失敗だった。
ろくに下調べもしていなかった僕は見知らぬ土地で見事に迷った。
暗くなってきて、どうしたらいいのか分からなくなって、更に雨も降って。
途方にくれていたときに、急に目の前に止まった高級車。
訳がわからないうちに車に乗せられ、ちょっと乱暴に頭を拭かれて。
そのあと何も言わない僕をマンションに連れて行ってくれて、急に熱を出した僕を看病してくれた人。
久しぶりに与えられた、憐憫から来るものなんかじゃない優しさに、本当に久しぶりに息をした気がした。
「三咲…俺はもう、金持ちでもないしお前を裕福な環境に住まわせられない」
「お金目当てなわけないでしょ…」
「ん、知ってるよ。
ただ、ちゃんと幸せにするよ。三咲の将来を縛るんだから」
「うん…ちゃんと、縛ってね…」
きっと、この人に束縛されるなら僕は嬉しいだけだ。
許婚はどうしたのか、とかいろんなことがとても気になるんだけど。
僕は思い切り緋崎さんを抱きしめた。
「三咲、どうした?」
そう聞いてくる声は、このあいだ僕に別れを告げた声。
僕は甘えるように言った。
「緋崎さんを、一人占めしたいなぁ…って思って。
だけど、緋崎さんを自慢したい。許婚の人には悪いけど」
僕の言葉に、緋崎さんが静かに笑う。その振動が心地よくて目を閉じた。
「いや、彼女も相手がいるんだ。それも同性のね」
その言葉にびっくりしたのが伝わったらしい。
彼は僕の髪を撫ぜている。
「だから私と彼女は仲のいい友人にはなれても恋仲にはならないよ。
彼女も、新しい道を選んだ。」
あとから聞いた話では、彼女は駆け落ちしたらしい。
今は海外で籍をいれ、睦まじく暮らしているそうだ。
「僕は…緋崎さんの未来にいてもいい?」
囁いてみると、彼は飛び切りの笑顔で答えた。
「当たり前だろう、三咲」
だから僕も、心からの笑顔で答える。
「ありがとう、……結弋さん」
数日後、僕らのもとに福島県のある地方から手紙が届いた。
差出人は、行方が分からなかった山内さん。
「私も大切な人を見つけました。
○月×日に新しい会社の面々で会いましょう、そのときには恋人と共に」
それだけ書かれた手紙。
だけど便箋の中には他に3枚、写真が同封されていた。
一枚は、仲良く映っている僕と緋崎さん。
もう一枚は、山内さんと、見知らぬイケメン…おもわず緋崎さんと顔を見合わせてしまった。
そして最後の一枚には、くらい赤紫色の花。
それを見た緋崎さんは微笑んで僕に教えてくれた。
「これは翁草というんだ。以前山内に言われたよ。俺と三咲の恋には翁草が良く似合うってね」
「え…どういう意味です?」
「『裏切り者の恋』、背徳的で俺たちにはぴったりだろう?
だけど…裏切り者の恋が結ばれないなんて道理がなくてよかったよ」
非生産的な恋愛は社会への裏切りなのだろうか。
背徳的、というフレーズは妙に神秘的だ。
きっと緋崎さんのいう「裏切り」には本当はもっと色んなものがあるとは思う。だって「次」を期待されていた人だから。
それでも、緋崎さんのいうように僕ら「裏切り者」でも結ばれることが出来ることに感謝したい。
本当は、きっとこの世界にいる全ての人が何らかのものに対する「裏切り者」なんだろうけれども僕らがマイノリティに属しているからと言う理由だけで引き裂かれることも多々あるのだから。
翁草はこの世界に生きる僕ら皆へのメッセージなのかもしれない。
優しい腕に抱きしめられて、ぼんやりと思った。
お読みくださりありがとうございました。
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