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前田敦子の悲劇

作者: 蒼海颯爽

これは同姓同名の芸能人の方は全く関係ありません!

金澤藩の前田家も全く関係ありません!

これは同姓同名の芸能人の方は全く関係ありません!金澤藩の前田家も全く関係ありません!


由緒正しい前田侯爵家。

その跡取りに女児が誕生した。女児は敦子と名付けられたのだった。敦子には3歳上の姉栄子がいて2人は仲が良かった。

ところが敦子と栄子に悲劇が訪れる。何と両親は離婚してしまったのだ。敦子と栄子は実家に帰る母偕子を見送ることしか出来なかったのだ。

やがて父は再婚。分家の娘を後妻にする。しばらくして後妻は娘を産むのだった。

しばらくして栄子は14歳にして別の分家に嫁ぐ。姉が嫁いだことにより敦子は孤独になったのだ。

そんな中敦子の婚約が本人の知らないところで勝手に決まる。相手は何と戸田侯爵の跡取りだったのだ。これに父親や祖父は大喜びする。

はっきりいって家柄が家柄なので恋愛結婚は稀で大半は本人の意向を無視した閨閥結婚や政略結婚だった。なので失敗も多く意外と離婚率も高かったのだった。

敦子は戸田侯爵家を訪ねるが大歓迎の侯爵夫妻と対照的に婚約者は敦子以上に乗り気じゃなさそうだった。

ところがある日、信じられない出来事が発生する。何と戸田侯爵の嫡男が家出したと言うのだ。驚く戸田家と前田家の面々。戸田侯爵夫妻が謝罪に訪れ婚約は白紙に戻ったのだ。夫人はその後重い病になり半年もしないうちに亡くなったのだ。

その頃、後妻は結婚当初、娘を産んだものもそれっきりおめでたがなかった。

なので養子を迎える必要があり敦子に婿養子を迎えるという話になったのだ。

ところがある日、戸田侯爵が訪ねてきて新たに跡取りにした次男と婚約をしてくれないかと頼んできたのだった。

敦子の父と祖父は喜びこの話を喜んで引き受けたのだった。そして母親である夫人の一周忌が済まないうちに敦子は戸田侯爵家に輿入れしたのだった。

ちなみに前田家は栄子が夫と子供を引き連れて継ぐことになった。栄子の夫が前田氏であることが決め手になったのだ。

敦子の結婚相手である戸田忠政は何と中学生だったのだ(敦子も高校生だったが)。気楽な次男坊だったはずなのに10歳上の兄が失踪して跡継ぎになったどころか自分より年上の婚約者まで引き継がないといけなくて、おまけに母親が急死したのも相まって自分の扱いに不満だった。

そして結婚初夜、敦子は無理矢理忠政に犯されて処女を失う。一方忠政は敦子が処女なことに喜び自分が童貞じゃないことを暴露する。

自分より年下の忠政が童貞じゃないことに敦子はショックを受けるのだった。

さらに三連休なことをいいことに30時間以上も犯し続けるのだった。

そして敦子はすぐに妊娠して一年もしないうちに長女愛子を出産する。

これに戸田前田両家は大喜びするのだった。そして次は男だと言われるのだった。

そして敦子は次々と出産するのだが第二子は次女英子、第三子は三女陽子といずれも女児だった。そして第四子が生まれるも瑠璃子という女児、その翌年にも出産するも五女悦子だった。

ここまで娘ばかりだと呆れられるのだった。

一方姉の栄子も子供は全員女で、最近は妊娠すらしなくなっていた。父の最初の後妻は亡くなり家老だった家からまた後妻を迎えたのだった。

その後敦子は第六子を産むもまたしても女で佐和子と名付けられたのだ。

ところが同年、父の後妻が男児を産んだとの情報が入る。驚愕する敦子。そして栄子の夫は養子縁組を解消されるのだった。これに栄子は怒り心頭だった。

そして敦子は第七子を妊娠。そんな中夫に愛人がいることが判明する。敦子はショックを受け離婚を考えるが何としても男児を産まないといけないと思い踏みとどまったのだ。

ところが離婚した生母の偕子が急死したとの報せが入る。30年近く母に会っていなかった敦子は栄子と共に葬式に参列するのだった。

喪主は男子高校生で長男となっていた。つまり敦子と栄子の種違いの弟である。しかし再婚相手?はいないようである。もしかしたら既に死んだ?だとするとこの年で両親を亡くして可哀想と思ったのだった。ただし兄弟の情ではなく他人の子供を見ているようだった。

そして敦子はついに長男豊一を出産する。結婚から実に16年が経過していたのだ。これに戸田前田両家は大喜びするのだった。

その後も敦子は七女奈々子、次男豊紘を出産するのだった。しかし夫婦の溝は大きくなるばかり。

そんなある日塩原侯爵家に嫁いだ長女愛子が実家に戻ってくる。何と愛子は離婚前提で家出してきたのだった。子供はどうしたのかと聞くと姑に奪われて私なんてただの産んだ女と嘆くのだった。

そして愛子本人が塩原家に戻らないまま正式に離婚が決定するのだった。

そんなある日、ある女性を家政婦として雇うことになった。その女性は家政婦なのに余り家事が出来なくて敦子や古参の家政婦が疑問に思っていると何とその女性は夫の愛人だった(前述の愛人とは別)。そしてその愛人に注意をした家政婦は何と解雇されてしまったのだ。恐怖に怯える敦子と家政婦。

そして実家から娘を連れてきたのだが娘の父の名前は戸田忠政、何と敦子の夫だったのだ。やがて家政婦のお腹が大きくなる。その後家政婦は男児を出産するのだった。

その出来事に敦子は絶望する。そして敦子は離婚を通告されるのだった。

しばらくして敦子は粗大ゴミの如く戸田家から追い出されるのだった。

前田家に戻ったものも後妻と後妻の実家である旧家老一族が前田家を支配していた。敦子は耐えられなくなり栄子のもとに身を寄せたのだった。栄子は夫が亡くなり娘も嫁に行き、細々とパートで生活していたのだ。娘からの援助もあったものも侯爵令嬢とは思えないほどの質素な生活を送っていた。その頃長女の愛子は生活のためにホステスになっていたのだ。

そして敦子もパートに出たのだった。

そんなある日、父親である前田侯爵が死亡。それだけなら驚く話ではないが何と敦子と栄子、最初の後妻の娘は殆ど遺産を相続できなかったのだ。それも二度目の後妻のせいだった。

異母妹は夫がいたため遺産がないのは痛かったが生活するには特に問題がなかった。

しかし敦子と栄子は遺産を当てにしていたので死活問題だった。やがて敦子と栄子は揃って重い病になり栄子は死亡。敦子も回復するが働けなくなってしまう。

敦子は愛子の世話になることになった。

その頃には次女英子、四女瑠璃子までもが離婚していた。やがて六女佐和子まで離婚してしまう。

それから何年か経った頃驚くニュースが入る。それは長男豊一が何と帝の女一宮と婚約したというニュースだった。驚く敦子。

聞くところによると中宮の同級生である愛子はその立場を利用して自分の弟と中宮の長女である女一宮を近づけて二人を結びつけるのに成功したのだったのだという。

だが敦子がその結婚式に参列することは許されなかった。敦子に謝る娘たち。戸田家はすっかり愛人に支配されて敦子を新郎の母扱い出来なかったのだ。その後娘たちの計らいで中宮と女一宮と会うことになったのだが。

数年後敦子は異母妹に看取られて亡くなる。享年62。侯爵令嬢にしては余りにも寂しい死だった。

ところが娘たちは葬式に参列することを許されなかった。唯一末っ子の次男が参列したのだが当時大阪の大学に通っておりまさか大阪まで死の報せが入らないだろうと放置されていたのだ。

次男はこのとき生まれて初めて母親の家を訪ねたのだが余りにも質素だったので驚愕したのだった。

そして前田家の墓に入ることも許されず骨壺は30年以上も寺に置かれて後妻が死んでようやく墓が建立されることになったのだ。

戸田家の系図も一時抹消されていたが後妻の死によりようやく復活したのだった(それまで敦子の子供の生母欄は某女となっていた)。ただそれは戸田家内であり、前田家の系図や世間一般に出回っている系図には敦子の名前がちゃんとあったのだった。

その時既に長男は亡くなっており女一宮が産んだ孫が戸田侯爵になっていたのだった。

このとき生きていたのは下の子供である七女と次男だけだった。

これは同姓同名の芸能人の方は全く関係ありません!

金澤藩の前田家も全く関係ありません!

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