9
「孝明にもパラレワールド体験があるの?」
孝明は僕の問いに、真面目な顔つきをして短く頷いた。
「まずひとつめの体験なんだけど…断っておくけど、これはほんとうに俺の頭が可笑しくなったわけでも、ましてや記憶違いでもなんでもないんだ…俺には間違いなく、四つ年下の妹がいたんだ。でも、ある日を境に、俺には最初から妹なんていないんだっていうことになってしまった」
「どういうこと?」
僕はわけがわからなくて言った。
孝明は僕のリアクショクに、さもありなんというに感じで静かに首肯すると、話続けた。
「あれは俺が小学校六年生のときことだよ。妹は小学校二年生で。で、それでその日、ふたりで近くのスーパーまでアイスを買いに行ったんだ。そしてその近くには神社があって、それでそのときどういうわけか、アイスを買ったあと神社にちょっと寄っていこうということになったんだ。夏で暑かったから、木陰で涼んでいこうっていう話なったのかもしれないし、まあ、もともとその神社っていうのが近所の子供たちの遊び場になってたから、それでふらっと寄っただけなのか、そのあたりの記憶は曖昧なんだけど、とにかく、妹とふたりで神社に寄ったんだよ。
で、そこで買ってきたアイスを食べて、少し話したりして、そのうちに俺はトイレに行きたくなったんだ。誤解されると困るから一応言っておくけど、大じゃないよ、小さい方。それで俺は妹にちょっと待っててって声をかけてトイレに行ったんだ。そこってわりと大きな寺だから普通に綺麗なトイレもあったりして。それで用を足して妹がいたはずのところに戻ってみると、なぜか妹がいなくなってるんだ。
俺はあれ?と思った。妹が勝手にひとりで帰ったりするはずがないから変だなと思って周囲を探し回ったんだけど、やっぱり妹の姿はどこにも見当たらなくて。もちろん、そのとき俺たちは携帯なんて持ってないから連絡を取ることもできなくてさ。それで仕方がないから一旦、その神社に来るのに乗ってきた自転車が止めてある場所まで戻ったんだよ。
そしたら妹の自転車が消えてるんだ。ということは妹は先に帰ったっていうことになる。理由はわからないけど、何故か妹は俺のことをおいて先に帰ってしまったんだと思った。だって、そう考えないと妹の自転車がなくなってることに説明がつかないからね。
で、そのとき、ちょっと腹が立った。トイレに行ってくるだけなのにどうして待っていられないんだと思った。たとえばもし仮に俺がトイレに行っているあいだに友達に会って遊ぼうっていう話になったんだとしても、俺が戻ってくるまでのあいだくらい待てるだろうと思った。
それで俺はムカつきながら家に戻ったんだけど、そしたら変なんだ。そこにも妹の自転車がないんだよ。まあ、それは今友達と一緒に遊んでるところなんだって考えればまだ納得もできるんだけど、でも、奇妙なのは、家のなかから、ありとあらゆるものが消えてるんだ。妹の存在を示す痕跡、証拠みたいなものが。
その当時、俺は妹とふりたでひとつの部屋を使っていたんだけど、当然そこにあるはずの、妹の学習机とか、そういうものが全部なくなってるんだ。妹の学習机があったはずの場所にはいつの間にか母親の鏡台が置いてあるし。
うちの両親は共働きだったから、夕方になって母親が戻ってくると俺は訊ねてみた。妹の学習机はどうしちゃったのかって。それからあと妹の服とか鞄とかそういうものがなくなってるんだけど、どういうことなのかって。
そしたら、母親は俺のことぽかんとした顔で見るんだ。何を言ってるんだ?この子は?みたいな感じでさ。それから母親の言葉に、俺は自分の耳を疑ったよ。うちには最初から妹なんていなし、だから、当然妹の学習机とかそういうものは存在しないんだって言うんだ。俺は母親が俺のことをからかってるのかと思ったけど、でも、どうもそういう感じじゃないんだよ。俺が突然意味不明のことを言い出すから怒ってるような感じなんだ。わけがわからなかった。
父親に訊いてみても同じことを言うしさ。俺には最初から兄妹なんていないって言うんだ。母親と父親が言うには、俺にはもともと兄妹なんていなくて、ずっとひとり子だったってことになってるんだ。
でも、絶対にそんなはずはないんだよ。俺のなかには確かに妹と過ごした記憶が、思い出があるんだ。だから、父親と母親が言っていることが受け入れられなくて、当時の自分にできる範囲で色々確かめてみた。
おじいちゃんとおばあちゃんだったり、学校の先生とか、あと妹のクラスの子とかね。妹のことを覚えてるよね?って訊いて回ったんだ。でも、そうするとみんな変な、気持ち悪いものでも見るみたいな顔をするんだ。妹なんて知らないってみんな言うだよ。
そのうちに俺もだんだん自信がなくなってきた。俺の頭が可笑しくなってしまったのかなって思った。というか、そうやって無理矢理納得させるしかなかった。だって、みんながみんな妹なんて最初から存在してないって言うんだ。実際、妹の姿もどこにも見つからないし」
「・・・それで結局どうなったの?」
僕は孝明が話終えると、結末が気になって訊ねてみた。孝明はそのときの状況を思い出したからなのか、それともただ単に話疲れたのか、少しぐったりした顔で僕を見た。
「どうもしないよ」
孝明は軽く眼差しを伏せて心持小さな声で言った。
「あんまり俺が騒ぐものだから、心配した両親に病院につれられて、簡単な検査を受けた。でも、どこにも異常はみつからなくて、結局、俺の強烈な思い込みだっていう話になった。子供はときとしてそういった強い思い込みをするものなんだって話になって、時間が経てば解決しますよみたいな感じになって家に帰った。…それ以来、俺は妹のことは誰にも話してない。誰も俺の話なんて信じてくれないし、こんなことを言っても俺の頭が可笑しくなったって思われるだけだってわかったからね」
孝明はそこで言葉を区切ると、
「でも、これはほんとうに本当なんだ。嘘偽りなく、俺には妹がいたんだよ」
孝明は僕に訴えかけるように強い口調で言った。