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 孝明とは孝明の住んでいるアパートで落ち合うことになった。これが他の一般の友達であれば新宿とかの大きな街で待ち合わせてご飯でもということになると思うのだけれど、孝明はサラリーマン時代の後遺症なのか、軽度の引きこもりで、外食とか飲みに行くということができなかった。べつに行こうと思えば行けないわけではないらしいのだけれど、孝明は会社を辞めて以来、ひとがたくさん集まっている場所に出で行くことを極端に嫌っていた。


 僕はアパートを出ると、透明のビニール傘をさしてバス亭まで少し歩いた。空気はひんやりとして冷たく、微かに冬の訪れのようなものが感じられた。バス亭で十分程待っていると、バスが坂道をゆっくりと登ってくるのが見えた。普段は最寄り駅の吉祥寺駅まで自転車で向かうのだけれど、あいにく今日は雨なので、バスで向かうことにする。バスは雨のせいでいつもと比べて少し込み合っていたけれど、でも、時間帯のせいか、座れないという程ではなかった。


 バスの窓にはたくさんの雨粒がついていて、それは何故か僕に悲しみの欠片のようなものを連想させた。そんなふうに感じるのは、窓の外に見える、冷たく透き通った青色の色彩に沈んだ景色のせいなのかもしれなかった。


 やがてバスが吉祥寺に到着すると、今度は中央線に乗って、阿佐ヶ谷を目指した。孝明はサラリーマン時代に通勤に便利だからとその街に引っ越したのだけれど、それ以来ずっとそこに住み続けていた。孝明が住んでいるアパートは商店街を抜けて少し歩いた先にあった。赤いレンガ造りの、結構古い、十階建てのアパートで、孝明の部屋はそのアパートの最上階にあった。やけにゆっくりとした速度で昇るエレベーターで十階まで昇り、その階の右奥の角部屋に向かう。


 部屋のインターホンを押すと、すぐにドアが開いて、そこからパジャマ姿の孝明が顔を出した。

「思ったより早かったね」

 と、孝明は僕の顔を見ると感心したように言った。

「うん、電話のあと、すぐに出たからね」

 僕は言ってから、靴を脱いで、孝明の部屋に上がった。


「もう、注文したピザは届いてるよ」

 確かに孝明の言葉通り、部屋のなかにはピザの香ばしい匂いが漂っていた。孝明は宅配ピザを注文してくれたようだった。

「うん、美味そうな匂いがするね」

 と、僕は微笑して言った。


 孝明が一人暮らしをしている部屋は十畳くらいの広さで、そこは引きこもりのひとにしては、というより、僕の引きこもりのひとのイメージとは違ってということだけれど、綺麗に片づけられていた。孝明の部屋はいつ来ても綺麗に片づけられている。僕の部屋とは大違いだ。部屋入るとまず目に飛び込んでくるのは、大きなモニター付きのパソコンと机と椅子だ。その隣にスティールラックがあり、そこにはテレビだとか、プリンターだとか、あるいは雑貨といったものが並べられている。そしてそのスティールラックと向き合うような形で、緑色のレトロなデザインの二人掛けのソファーがあり、そのソファーとスティールラックの中間くらいの位置には木製の小さなテーブルがある。そしてそのソファーの向こうの空間には黒のパイプベッドが置かれている。壁にはゴッホのひまわりの絵のポスターが張られていた。


 僕と孝明はフローリングの床のうえに腰を下ろすと、各々に孝明が取り寄せてくれた宅配ピザを手に取って頬張った。僕がピザを咀嚼していると、孝明がコップにコーラを注いで出してくれた。

「ありがとう」

 僕はピザを咀嚼して呑み込むと礼を述べ、それからコーラを飲んだ。

「小説はどうだい?」

 と、孝明は僕の顔を見ると、からかうような笑顔で言った。孝明は僕が小説家を目指していることは知っているし、実際に読んでもらったことも何度かあった。


「さっぱりだね。なかなか思うようにいかない」

 僕は自嘲気味な笑みを浮かべて言った。

「そっか。早く次回作見せてくれよ」

 孝明は微笑んで言った。

「俺、小説のことはあんまりよくわからないけど、木下の書く小説は結構好きだよ」

 孝明は僕の小説を支持してくれる数少ない人間のうちのひとりだった。


「そんなことを言ってくれるのは孝明くらいのものだよ」

 僕は照れくさかったけれど、正直嬉しくなって言った。

「いっそ、孝明が小説の審査員だったら良いんだけどね」

「もし株で儲かったら、その審査員を買収してやろうか?」

 孝明は冗談めかして愉快そうに言った。


 僕は孝明の科白に曖昧に微笑すると、

「そんなに株って儲かるものなの?」

 と、興味を惹かれて訊ねてみた。

「もちろん、そんな連戦連勝ってわけにはいかないけど、コツをつかめばわりと儲かるよ。少なくともちゃんと勉強してリスクを回避してやれば大損はしないし、自分が生活していくぶんのくらいのお金を稼ぐのはそれほど難しいことじゃない」

 孝明はそう言うと、コーラを少し飲んだ。


「株かぁ」

 僕は嘆息するように言った。そしてまたピサを口に運んだ。

「木下も株やってみる?」

 と、孝明は僕の顔を見ると楽しそうな口調で言った。

「俺が教えてやってもいいよ。木下もアルバイトって言っても少しくらいの貯金ならあるだろ?」


「いや、株ができるほどの貯金はないよ」

 僕はいくらかひきつった笑顔で答えた。

「べつにそんな大金はいらないんだよ。今の時代は実は十万円くらいからはじめられるんだ」


 確かに今の僕にもそれくらいの貯金ならあった。けれど、それは僕のほとんど全財産と言っても良かったし、また僕にはそっちの方面の、賭け事に対する才能は全くないに等しかったから、孝明の言葉には魅力を感じると同時に、かなりの抵抗を感じた。


「考えておくよ」

 僕は曖昧な笑顔で言った。

「そっか。まあ、気が変わったらいつも言ってよ」

 孝明は僕の返答に特に気分を害したふうもなくあっさりと言った。


「ところで、今はどんな話を書いてるんだい?小説は?」

 と、僕が次のピザを頬張ろうとしていると、孝明が改まった口調で訊ねてきた。僕は孝明の顔に視線を向けた。

「一口で説明するのは難しいんだけど」

 と、僕は孝明の問いに、軽く口籠った。それから、手にしていたピザを食べた。

「今は、夢を題材して小説を書こうと試みてる」

 僕は口に入れていたピザを呑み込むと言った。孝明は僕の話の続きに耳を傾けるように僕の顔に視線を向けて黙っていた。


「最近ね、夢を見るんだ。しかも頻繁に同じ内容の夢を。そしてその夢のなかに出てくる映像の細部が妙にリアルなんだ」

 僕はそれから望にも話して聞かせた内容を孝明にも話した。青暗い暗闇のなかをひたすら階段を降りて行く夢。そして最後に出てくる開かないドア。

「ふうん。それ面白いね」

 孝明は感心したというよりは驚いたように僕の顔を見つめた。


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