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望は夜の十時少し前になると帰って行った。明日は朝から仕事があるのだと言っていた。結局、今日も僕と望がセックスすることはなかった。隙があれば、あるいは望がそうとはっきり望んでいると確信が持てれば、僕はすぐにでも彼女の身体に触れようと手を伸ばしていただろうけど、でも、ついにそんなタイミングは訪れることはなく、いや、あったけれど僕が気が付かなかっただけなのか、とにかく、僕は何もしなかった。
僕は望の身体に対する欲望を隠し、あるいは彼女に対する好意さえも曖昧に濁して、何も思っていないような態度で接して別れた。望が帰ってしまうと、僕は落胆と後悔を感じ、しかし、同時に安堵してもいた。これで良かったのだ、と、自分の欲望をむき出しにして嫌われずに済んだことに対する安心感の方が、今はどちらかというと少し勝っている気がした。
ついさっきまで望がいたせいで、部屋のなかにひとりでいると、いつもよりも奇妙に今自分がひとりきりでいるのだということが意識された。自分という存在がどんどん拡大されていくような落ち着かなさというか、心細さを感じた。
点けっぱなしになっているテレビの音声が狭い部屋のなかをゆく当てもない放浪者のように彷徨っていた。テレビに注意を向けると、ニュースの特集がやっていて、遠いどこかの国でテロがあってたくさんの外国人が亡くなったと告げていた。でも、その情報はとりたてて僕の心を動かすということはなかった。
もちろん、テロという意味はわかるし、ひとが亡くなったということは理解できるのだけれど、でも、それを実際のこととして、ごく身近な、自分に関わりのあることとして感じることができないのだ。だから、ただ情報は意識のなかを素通りしていくだけで何も思うことができない、というか、いや、それではいけない、ひとがたくさん死んでいるのだし、それは哀しい、痛ましいことで、なんとかしなくちゃいけないのだ、そして無関心が一番いけないのだと思うとするのだけれど、でも、なかなか本気でそう思うことができない、というより、それはいかにも偽善的な感じがしてしまって興ざめというか、実際、偽善でしかなくて、自分の良心というものに自信が持てなくなってくるのだった。
でも、突き詰めていくと、僕は極悪人ではないにしても、たとえばマザーテレサとか世のためひとのために尽くしたような善人ではないことは確かで、まあ、それは世間一般のひとがそうなのだろうけど、じゃあ、それでいいのかというと、そんなことはないはずで、ほんとうは、世の中にあふれている自分よりももっと苦しい思いや辛い思いをしているひとたちに対して救いの手を差し伸べるような行動を取らなければならないはずで、でもそういった行動を取っていない自分に疚しさを覚えるのだけれど、でも、そのことに気が付きながら、そういった自分を積極的に変えていこうと思うことができない自分がいて、要するに、僕は自分のことしか考えていない自分勝手な人間なのだと気が付かされるのだった。
僕は自分の現状に対する不平不満であったり、恋人が欲しいとかそういう低俗なことしか考えていない、考えられない人間なのだと思った。そしてこのことをもし望に話したら、望はなんというだろうかと思った。
望のことを考えた瞬間、思考のなかに望の顔がちらりと何かの残像みたいな感じで浮かんだ。くるりと身を翻して闇のなかに消えて行く魚の尻尾みたいな感じでそれは見えた。
僕は暗闇の色素が溶け出した冷たい水をかき分けて泳ぎ、手を伸ばしてその尻尾に触れた。触れたと思った瞬間、それはたちまち望の身体に変わっていた。それから、いつの間にか僕は望を抱きしめていた。
彼女の唇に自分の唇を重ね、首筋に口づけし、その細身の身体にしては適度なふくらみをもった桃のようにまるみを帯びたものに手を触れた。そうして僕は徐々に手を下の方へと伸ばしていった。彼女は身体を開き、女性の秘密の場所を自分で大きく広げてみせた。僕は彼女の秘密に触れ、口をつけ、それ同時に彼女の身体のなかに温かく包まれていた。僕の意識は白濁した光のようになってその暗い色素を含んだ水のなかに融解していった。