第七章:失われた記憶
ギルドでの戦いから数日が経ち、街は徐々に静けさを取り戻していた。空は穏やかに晴れ渡り、小鳥たちのさえずりが、まるで何事もなかったかのように朝を告げていた。だが、大樹と里香の心は、まだ落ち着いてはいなかった。
「記憶の神殿――そこに行けば、“光耀の刃”の起源を知る鍵があるかもしれない。けど……」
そう言いながら、大樹は古地図をじっと見つめていた。彼の手元には、図書館で見つけた写本が広がっている。そこには、かつて失われた記憶を映し出す魔法の存在が記されていた。そして、その記憶の封印を解くことで、剣が本当に選ぶ“主”が決まるという。
「私も行くよ。」
そう口にした里香の声は、静かで、でも揺るぎなかった。大樹が振り向くと、そこにはいつものように凛とした瞳の彼女がいた。だが、その奥には微かに怯えが混じっているのも分かった。記憶に触れるということは、自分自身の心の奥底に潜るということ。それがどんな真実を暴くのか、誰にも分からない。
神殿は、街の北東、切り立った岩山の中腹にあった。風にさらされた白い石で造られたその建物は、何百年も前の姿をそのまま保っており、ただそこに立っているだけで、時の重みが肌にのしかかってくるようだった。
「……ここが“記憶の神殿”。」
里香が小さく呟く。重い扉を大樹が開くと、内側にはまるで夢の中のような、静謐な空間が広がっていた。天井は高く、光を集めるように作られた半球のガラス窓から、柔らかな陽光が降り注いでいる。中央には丸い祭壇があり、その上には浮遊する水晶球――「記憶の核」が、淡く光を放っていた。
「……この中に、私たちの“過去”が?」
大樹が静かに頷く。そして祭壇に近づき、両手を水晶球の上に添えた。瞬間、球体が強く光を放ち、神殿の空間が大きく揺れた。光が二人を包み込む。意識が引き寄せられるように遠のいていき、次に気がついたとき――二人は、かつての自分たちの姿を見下ろしていた。
それは、まだ若く、出会ったばかりの頃の二人だった。遺跡の中で背中を預けて戦う大樹と里香。息を合わせ、互いに守り合いながら魔物と戦っている。今の自分たちよりもずっと未熟で、不器用で、でも――真っ直ぐだった。
「……こんな時も、あったんだ。」
「いや、思い出したよ。君が初めて俺に“ありがとう”って言ってくれたの、ここだった。」
大樹が懐かしそうに微笑む。里香は口元に手を当てて、記憶を辿るように目を細める。心の奥で忘れかけていた想いが、次々と浮かび上がってきた。あのとき、なぜ彼の隣にいたのか。なぜ、危険を顧みずに彼と共に進もうと決めたのか――全ては、このときに始まっていた。
やがて映像は変わり、神殿の奥に古代の神々の像が現れた。石像たちはまるで生きているかのように目を開き、二人の前に現れる。大樹が思わず剣を抜きかけるが、神々は攻撃する気配を見せない。代わりに、重々しい声が響く。
「互いを信じ、支え合う心こそが、奇跡を導く鍵となる。」
「お前たちは既に、それを持っている。」
神々の手から光が放たれ、二人に向かって降り注いだ。大樹の胸には蒼く輝く魔紋が浮かび上がり、里香の額には花のような紋章が灯る。その光は、ゆっくりと二人を包み、ふわりと空へ舞い上がっていく。
祝福――その言葉の意味が、胸に響いた。生きることも、戦うことも、誰かを信じることも、全ては“二人で在る”ことから始まる。
光がゆっくりと収まると、彼らは再び神殿の中央に戻っていた。里香はぼんやりと天井を見上げ、そして静かに、大樹の腕に寄り添った。驚いたように大樹が彼女を見ると、彼女は頬を少し赤らめながら、目を閉じて囁いた。
「今なら、ちゃんと信じられる。あなたとなら……どこまでも行けるって。」
大樹は言葉を返さなかった。ただ、その肩に自分の頬を預けてきた彼女を、そっと抱きしめる。余計な言葉はいらない。心が交わったこの瞬間が、何よりも雄弁だった。
二人の想いが、確かに今、繋がった。
──章終──