第十二章:守るべきもの
夜が明けると同時に、世界は静かに息を吹き返していた。闇の霧が完全に消えた後の大地は、まるで長い眠りから目覚めたように、光に満ちていた。澄んだ空、鳥のさえずり、遠くから響く川の音。どこを見渡しても、命の気配がそこかしこに宿っている。
その朝、大樹と里香は光の都を離れ、城の東に広がる丘陵地帯へと足を運んだ。丘の上には白い花が咲く小道が続き、風が吹くたびに花びらが空に舞う。そこには、彼らのために新しく建てられた“新居”があった。
窓が大きく、陽光がたっぷりと注ぐ家。屋根には風見鶏が立ち、庭には小さな泉がある。泉のそばには、翼を持つ獣――かつてドラゴンが託した卵から生まれた小さな生き物が、羽をばたつかせながら遊んでいた。光沢のある羽と愛らしい鳴き声。その子はまるで二人の未来の象徴のように、元気に庭を駆け回っている。
里香は玄関先のベンチに座り、風に髪をなびかせながら、広がる景色を眺めていた。まるで夢のような時間。けれど、それが現実であることを、肌に触れる風がそっと教えてくれる。
そのとき、背後から優しい足音が近づいた。大樹だった。彼は手に小さな箱を持ち、少しだけ照れくさそうに、それでもどこか誇らしげな表情で、彼女の前に立った。
「ちょっとだけ、時間いい?」
「えっ……なに? どうしたの?」
「渡したいものがあるんだ。」
そう言って差し出された小箱。開けると、中には銀色のペンダントが収められていた。中央には淡く青く光る宝石がはめ込まれており、それはまるで静かな夜の湖のように深く、美しかった。
「これ、“魔法のペンダント”。君のために作った。」
「え……魔法、なの?」
「このペンダントを握ると、俺の声が聞こえるようにしてある。“大丈夫だよ”とか、“焦らなくていい”とか、君を励ます言葉をいくつか込めておいた。いつでも、どこでも、君が一人じゃないって思えるように。」
その言葉に、里香の胸がふわっと熱を帯びる。静かにペンダントを手に取り、そっと握る。瞬間、耳元で彼の声が、確かに響いた。
『大丈夫だよ。君は、ひとりじゃない。』
その声に、頬がじんわりと熱くなる。少し涙が滲んだのをごまかすように、彼女は笑いながら言った。
「……ずるいな、こういうの。」
「そっちが言う前に、もうひとつ。」
大樹はもうひとつ、今度は小さな木箱を差し出した。開けると、中にはシンプルな指輪が一つ。中央に小さなルーン文字が刻まれており、ふたつのイニシャルが重なり合っている。
「これは……」
「君のための指輪。俺の名前の“D”と、君の“R”を組み合わせて彫った。意味は、“守る”。君がこの世界のどこにいても、俺の魔力が君を守り続けるように。」
その言葉に、胸がいっぱいになった。言葉が出ない。ただ、目の前の人が、自分のためにこれだけの魔法を込めてくれている。それだけで、世界の全てが優しくなった気がした。
「ありがとう……ほんとに、ありがとう。」
「指にはめてもいい?」
「……うん。」
大樹はそっと、彼女の左手の薬指に指輪をはめた。その動作があまりにも丁寧で、優しくて、思わず目を逸らしたくなるほどに――胸が高鳴った。嵐のような冒険の果てに、こんな静かな時間が訪れるなんて。過去の自分には想像すらできなかった。
その日の夜、里香はベッドに入りながら、そっとペンダントを握った。部屋の窓からは星が見えていて、小さな羽の獣が丸くなって眠っていた。静かで、穏やかで、魔法のような夜。
握ったペンダントから、大樹の声が聞こえた。
『おやすみ。君の夢が、あたたかいものでありますように。』
その声に、静かに涙がこぼれる。幸せすぎて、胸がいっぱいになって。まぶたを閉じれば、浮かぶのは彼の笑顔。
「……ねえ、大樹。私、この幸せがずっと続けばいいなって思ってる。ずっと、あなたの隣で笑っていたいの。」
誰も聞いていないと思って、そう呟いたそのとき、ペンダントがふわっと光を放った。そして、優しい彼の声が、再び耳元に届く。
『おとぎ話みたいに、叶えてあげるよ。』
まるで、本当に魔法のように――世界が、そっと光に包まれた。
──章終──




