3月10日 王子と鼻血の事情(2.1k)
ユグドラシル王国首都中心部にある王城区画内。王城地下牢の独房で二人の男が対峙していた。
クリーク王子とカミヤリィ議員である。
「お、落ち着けカミヤリィ議員。これは、不敬では済まんぞ」
「上等ですよ。国民の痛みを思い知ってください」
クリーク王子は鼻血を噴いている。
独房に入室するなり、カミヤリィ議員に顔面を殴られたのだ。
「多くの犠牲が出たことは理解している。だが、長期的に考えてこれが最適解と判断したのだ」
「ラグーンシティを壊滅させて、民間人にまで多数死傷者を出して、停電で首都の生活を崩壊させて、これのどこが最適解ですか! 魔法を戦場に投入するのは禁忌だと、分かっていたでしょう!」
ラグーンシティ壊滅による難民大量発生と、送電網の破壊による停電は首都の生活を一変させた。
停電の影響で浄水場と排水処理施設の稼働が停止し、都市内の生活環境は悪化。同時に治安も悪化し、綺麗な街だった首都は外周部からスラム化が進んでいる。
「与党議員達と戦後処理を含めて【降伏勧告】への対応を話し合ったんだ。彼等も彼等なりに状況を分析していて、降伏することの問題点を教えてくれた」
「そりゃぁ、降伏したら【利権】は無くなるでしょう。王子まで利権組織に丸め込まれたんですか?」
「問題はそこじゃない。戦争で負けて何かを奪われたという歴史が残ること自体が、未来に禍根を残すことになる」
「実際に負けたんだから、そこは受け入れるべきでしょう」
「カミヤリィ議員。よく考えてくれ。そんな歴史を持った状態で、我が国民が将来【戦争に勝てる力】を手に入れてしまったら、どうなる?」
「……再び、戦争に? まさか……。いや、誰かが扇動したら、高確率でそうなりますね」
カミヤリィ議員は新聞の投稿コーナーにあった小さな記事を思い出した。
【魔力応用兵器の開発に目途、出資者求む。ロクリッジ】
「【魔力発電】に関与した技術者が、魔力応用兵器の見通しを立ててしまった。今回の戦争で魔法の力を封印して降伏した場合、近い将来、次の戦争が起きてしまう危険性が高い」
「それで、あえて多くの国民を巻き込むような形で戦争を継続したんですか」
「そうだ。戦争の危険性や悲惨さを多くの国民が身をもって知ることで、今後何があっても戦争を望むことが無いように、あえて、多くの国民を苦しめる形で戦争を継続した」
「理解はできますが、納得はできません。政治家は、国民を殺すようなことをしちゃいかんと思うのです」
「カミヤリィ議員は、政治家に向いてないな。【100人を生かすためなら、1人を殺す】のが政治家だ。その業を背負えないなら、転職したほうがいい」
「……そうですね。私は議員を辞職します」
「辞職して、どうするつもりだ」
「教員になります。次世代の国民達に、戦争の悲惨さ、国の守り方、社会の在り方を伝えて、平和な社会の礎を作ります」
「そうか。それは頼もしい。戦争が終わったら、【教育委員会】に推薦状を書こう」
「それで、終戦の見通しは立っているんですか?」
「ああ、中央ヴァルハラ市に居る父上と連絡が付いた。父上は開戦以来ずっと、エスタンシア帝国政府と終戦協定の交渉をしていたそうだ。不本意ではあったが、こちらが魔法の力を戦場に持ち込んだことで、【対等】に近い条件での終戦交渉に見通しが立った」
「では、【降伏】では無いんですね」
「そうだ。しかし、同時に非常に厄介な問題を、子供達に押し付けることになってしまった……」
ユグドラシル王国は、魔法の力を戦場に持ち込んだ。
エスタンシア帝国もそれに対抗するため、魔法で応戦した。
二つの国が、世界を滅ぼしかねない力を持って対峙してしまった。
大火力魔法は、一瞬で都市を消滅させる威力を持つだけに、先制攻撃をした方が圧倒的優位。攻撃を受けた側は、即座に反撃をしないと確実に全滅する。
つまり、どちらかが先制攻撃をしてしまったら、止められない応酬につながり、双方に壊滅的な被害が発生する。
そして、【魔力発電】の技術者が見通しを立てた魔力応用兵器も、この大火力魔法に近い性質を持っていた。
終戦協定が成立しても、両国は世界を滅ぼす力と共存しなくてはいけない。
「戦争を経験した世代、戦争を起こしてしまった当事者として、子孫代々、しっかりと伝えていきましょう。平和を守るための考え方という物を」
「そうだな。過去と同じ過ちを繰り返さないためにな」
「繰り返す? 王子、どういうことです? また何か隠してますか?」
「機密だがな、やっぱりこれもカミヤリィ議員だけには伝えておくべきだな。我々の祖先がここに入植する前の歴史を」
「王子。話の前にそろそろ鼻血を止めましょう。なんか、申し訳なくなってきました」
かつて、外洋人達は、世界を滅ぼす力との共存に失敗し、故郷を失った。
そして、流れ着いたこの地で、再び瀬戸際まで追い込まれてしまった。
今この時が、まさに瀬戸際。
中央ヴァルハラ市に双方の代表者が集まって、終戦交渉を詰めているが、その周辺では双方の大火力魔法の戦力が一触即発の緊張感で対峙している。
この終戦交渉に、世界の命運がかかっている。
●オマケ解説●
一度創り出した技術は消すことはできない。それを望む人が居る限り。
この世界の人達は、世界を滅ぼす危険な力と本当に共存できるのか。
国境線沿いで瀬戸際の緊張感で対峙しつつも、国土東側では両国の交流は続いていたりする。
この状況で食料生産拠点に被害が出ると共倒れになるので、東側の【昆虫食】生産拠点周辺を不戦区域にするのが暗黙の了解になっていた。
そういう配慮はできるのに、何故か戦争してしまう。
これも人間らしさ故。




