12月 1日 王子と政府の事情(2.8k)
ユグドラシル王国首都中心部にある王城区画内。臨時立法会議が終わって静まり返った議事堂で、一人の男が頭を抱えてしゃがみこんでいた。
国王より全権委任を受けて留守を任されていたクリーク王子である。
「マズイ、マズイぞ。今日の議会、完全に失敗だ」
臨時立法会議開催の要請があったのが7日前。この時期に開催を求められるのは珍しいが、今日までには国王は帰っているはずだったのもあり承認して予定を組んだ。
しかし、4日前のヴァルハラ鉄道での置石による脱線事故で鉄道が不通に。警備の問題もあるので国王の帰還を延期。
そして今日。国王不在のまま臨時立法会議を開催。
最近は【ユグドラシル愛国党】のカミヤリィ議員が鋭い質問の連発で会議を荒らしてはいたものの、過半数を占める与党の力で政権は安定運営されていた。
先月の定例議会の答弁で農業省の薬剤部が【豊作1号】の薬害を認めたのは予定外で、その対応のためにバタバタしたのはあるが、大きな不安要因は無かった。
だが、今日の議会は与野党揃って事前連絡の無かった法案を次々採決、可決成立させた。
その中には過去に国王が【専決処分】で覆したものまで、名前と体裁を変えて含まれていた。
「全部【民意】に従った法案と言っていたが、一体何を可決したんだ?」
王子は議会のペースについていけていなかった。
当然、王族として幼少の頃から議論の訓練は受けていた。父親である国王から日常的に厳しい指導も受けており、国政業務の中での実戦経験も豊富だ。
しかし、老獪で百戦錬磨の議員達と事前準備無しで戦うには、僅かに経験が足りなかった。
国王の【専決処分】乱用の影響で、議会運営部が王族への不信感を高めていたことも災いし、議会は王子だけを置き去りにした形で進行して閉会してしまった。
机に積まれた法案を確認して、王子は言葉を失った。
【薬害情報公開法】
【薬剤輸入取締法】
【薬害救済基金法】
【食品輸出規制法】
【エネルギー資源監督法】
「これは、どれもエスタンシア帝国と取引に関連する物じゃないか! いくら【民意】と言っても、相手国の同意なしで施行していいものじゃない」
8年前に害虫が大量発生した時に、全国の農家からエスタンシア製薬製の【豊作1号】の緊急確保を求められた。
当初は製造能力の不足を理由に供給を渋られたが、どんな条件でも【豊作1号】を確保することが【民意】であるという議会側の強い圧力により、エスタンシア製薬が突きつけた条件を全部受け入れることで契約を成立させた。
契約に含まれる条件は、
・契約内容は永久非公開とすること。
・必要有無にかかわらず40年間は最低数量の購入を続けること。
・有害事象が発生した場合はそれを公開しないこと。
・使用結果に関する責任や賠償をエスタンシア製薬に求めないこと。
・購入単価はエスタンシア製薬の提示に無条件に従うこと。
等々、一方的なものばかりだった。
平時であればとても受け入れられない内容であるが、害虫大量発生への対応を優先するという理由で議会はこの契約の締結を承認。
その際国王は【専決処分】で議会の決定を覆すことも考えたが、それをすると国内の【民意】とエスタンシア帝国の【外交圧力】両方を敵に回すことになるため、経済的負担の増加だけなら許容範囲内という判断で容認した。
「【豊作1号】の購入契約は幾度となく内容変更の交渉を申し入れてきたが、相手にされなかった。どうやって交渉すればいいのか模索しているところだというのに」
国内で契約不履行が発生し、当事者間で話がまとまらなかった場合は、裁判所が仲介して最終的な解決を行う。
しかし、今回の契約相手は外国企業。国内法を適用できないし、国の裁判所で裁くことはできない。公平に仲介できる第三者が存在しない。
「こんな状況で今日可決した法案を施行したら確実に【契約違反】だ。特に秘密保持に関する契約違反は取り返しがつかないぞ。一度公開した情報は取り消せない。議会も分かっているはずだ」
今まで議会は契約を守ることを重視してきた。
契約に定められた最低数量の【豊作1号】の大半が廃棄処分となっても、度重なる単価の値上げにより、購入費用が国家予算を圧迫するようになっても、契約を守ることを主張していた。
そのために、増税もした。大型の国家プロジェクトも幾つか中止した。
カミヤリィ議員とそのメンバーが有害事象の公開という【契約違反】を侵すのを止めるため、若干非合法的な手段を取ることを国王も議会も黙認していた。
「一体何なんだ。今までやってきたことを全否定するような法案が、何故事前連絡も無しに採決されるんだ?」
議会全体がまとまっての手の平返し。全く想定していなかった状況に王子は混乱した。
王子は大局を見るにも経験不足であった。
「【豊作1号】の契約とは無関係だけど、【食品輸出規制法】もマズイ。食糧難に陥っているエスタンシア帝国への小麦の輸出を止めたら、大変な事になるぞ」
国の安全を守るためには、この法案の施行は止めなくてはいけない。
【専決処分】は議会招集無しでも発動できる。
国王から全権委任を受けている今の王子にはそれをする権限がある。
国王が帰ってくるまで施行期日を伸ばすだけなら、【民意】の反発も最小限に抑えられる。
そう考えて議事堂を出ようとしたら、男が一人入ってきた。
カミヤリィ議員だ。
「王子。ここに居ましたか」
「カミヤリィ議員か。珍しいな。議会後は【街頭演説】じゃないのか?」
立場が異なるため主張が重なることは無いが、二人とも国民の為に働くという使命感は共有していた。
そして、王子はカミヤリィ議員の滑舌の良い演説が密かに好きだった。
「法の施行に伴う情報公開の手続きが完了しました。各新聞社と出版社に【官報】として【豊作1号】に関する情報をまとめた資料が送られたところです」
「なんだと! まさか、事前に準備をしていたのか! 今日の議会も全部仕込みか!」
「これで多くの農家が救われます。長年国民を苦しめ続けた【豊作1号】と決別する記念すべき日です。今日の議会は王子の功績として歴史に残るでしょう」
「カミヤリィ議員、国民の生活を守るという使命感は認める。だがこれは、明確な【契約違反】だぞ。こんなことをして無事で済むと思っているのか?」
「国民の生活を第一に考えるのが政治家の義務です。国富を外国に垂れ流すことしかできないのは【政治家】ではなく【売国奴】です。与党議員もようやくそれを理解してくれました」
「エスタンシア帝国との関係はどうするつもりだ」
「わが国は【属国】ではありません。国益を守るためには、時には戦うことも必要でありましょう」
「戦う? カミヤリィ議員。その意味を本当に理解してるか?」
「…………えっ?」
●オマケ解説●
契約というのは相手ありきの事。【民意】は常に一枚岩ではない。国家間の約束事は中立で仲介できる組織が無い。
そんな状況下で国際的に契約を成立させて維持するのは実はすごく大変な事。
国家を超える約束事を【民意】で反故にしたのなら、その国民は連帯責任で報いを受けなければならない。
当初から反対していたという少数派も連帯責任。不条理だけど民主主義ってそんなもん。
どうなることやら。




