10月15日 王子と王の事情(2.4k)
ユグドラシル王国首都中心部にある王城区画内。城の塔の上層階にある小部屋にて、二人の男が激論を交わしていた。
国王:フォール・キル・ユグドラシル
王子:クリーク・ウォー・ユグドラシル
「最近の父上のやり方は滅茶苦茶です! 議会の意見を尊重してください!」
「クリークよ。【民意】を反映する議会の意見を尊重するのは大事だが、必要ならそれに逆らってでも国を守るのが【王】の役割だぞ」
ユグドラシル王国とエスタンシア帝国の政治体制は行政、司法、立法の三権分立を基本とした議会制民主主義。
しかし、ユグドラシル王国には三権分立の上位に【国王】が配置されており、議会や行政の決定を【国王】の【専決処分】で覆すことが可能となっている。
この【専決処分】は建国時に決められた規定であるが、長年行使されることは無かった。
しかし、8年前に発生した害虫大発生による小麦の不作への対策実施を皮切りに近年乱用されており、【民意】を反故にする決定の乱発で国民の不満が高まっていた。
「窓の外をご覧ください。王城外側をデモ隊が囲んでいます。全部父上のやり方への抗議ですよ」
「批判を恐れては国は守れんよ。現実を見たまえ」
「【豊作1号】の乱用でエスタンシア帝国が飢えているのは知っています。そのために、ユグドラシル王国から麦を送るのも分かります。でも、父上の対応はどう考えてもおかしいです」
エスタンシア帝国で開発された殺虫剤【豊作1号】は優れた効果を持っていたが、その分解生成物が強力な植物毒性を持つ欠点があった。
害虫が大量発生した年のみの使用であれば問題は顕在化しないが、連用すると残留性の高い毒性成分が土壌に蓄積し、植物が生育できなくなる。
開発者はその危険性を認識しており、連用を避けるよう注意喚起をしていた。
しかし、その注意喚起は【民意】により反故にされた。
発売元のエスタンシア製薬は【豊作1号】を発売した年に売り上げが前年度の6倍に達した。
規定に従い莫大な利益を株主に配当として分配したところ、それに味を占めた多数の大口株主が結託し、エスタンシア帝国政府にロビー活動を展開。
同時に、新聞社や出版社を買収し、【殺虫剤を使わない農家は周辺に害虫をばらまく危険性がある】というデマをばらまいて、殺虫剤の危険性を訴える技術者や使用を敬遠する農家を黙らせた。
大口株主から帝国議員に多額の【裏金】が渡ったこともあり、エスタンシア帝国政府は国内の農園での【豊作1号】の使用を義務化。
大富豪へと成り上がった株主達は、その資金力でエスタンシア帝国政府を支配するだけでなく、ユグドラシル王国の政治にも干渉する力を手に入れた。
結果として、【豊作1号】を連用したエスタンシア帝国北部平野の穀倉地帯は収穫量が年々低下。2年前にはほとんど収穫ができなくなった。
【豊作1号】による利権を手放したくない利害関係者達の意向により、不作そのものを国家ぐるみで隠蔽。
不足する食料は長年蓄えた国家備蓄を放出して賄っていたが、それが尽きかけた時にユグドラシル王国に外交圧力で協力を要請。
「我が国がエスタンシア帝国に対して強く出ることができない事情は分かります。だけど、元はと言えばエスタンシア帝国の自業自得なんですから、何もかも隠蔽しなくても、情報を開示して国民に理解を求めてはいけないのでしょうか」
「国民がエスタンシア帝国に怒りの矛先を向ける事態だけは避けねばならん。食べ物の怨みというのは恐ろしいからな」
「しかし、それでは国王や王族が叩かれるばかりです。国の象徴である王が国民に嫌われるのでは本末転倒では無いですか!」
「それで良いのだ。政治では誰もを幸せにすることはできん。王というのは、民の不満の矛先の受け皿となるためにあるのだ」
「私はそうは思いません! 王あっての民、民あっての王。共に尊重し合っての国でありましょう」
「平時であればな。有事の際にはそうも言ってはおられん。両立ができないなら、民の命を何よりも優先するのが王の義務だ」
「有事の原因は【豊作1号】でしょう。あれは導入すべきでは無かったのでは?」
「そうだな。当時は影響がここまで大きいとは思わなかった」
「薬害の影響がですか?」
「いや、我が国の議会がエスタンシア製薬からの【裏金】にここまで汚染されているとは思わんかった。儂の認識が甘かった」
エスタンシア帝国からの【豊作1号】の輸入と購買長期契約の締結を決定したのは議会だった。
国王はこの時【専決処分】で決定を覆すこともできたが、国王の独断でエスタンシア帝国に敵対するのは得策ではないと見送った。
しかし、【豊作1号】の使用義務化を議会が可決した時には、議会の反対を押し切って【専決処分】で覆した。
結果的にその決断が両国を飢餓から救っていたのだが、それは評価されることは無かった。
「エスタンシア帝国の【民意】にも困ったものだ。【豊作1号】を超える利権を与えんと奴らは飢えても止まらんらしい」
「国内では【昆虫食】の普及で飢餓はなんとか回避できています。しかし、【暴露本】が出版されてしまったようで、国民が真相に気付くのも時間の問題かと」
「まぁ、策はある。儂は明日から中央ヴァルハラ市に行く。クリークよ、しばらく留守を頼むぞ」
「どうするつもりですか?」
「事態が収束したら【国民に虫を食わせた歴代最低の国王】として、民の前で儂の首を落とせ。そして、お前が即位しろ。【民意】を尊重できる王としてな」
「父上! 何を言っているのです!」
「【民意】が【戦争】を望む事態だけは死んでも避けろということだ」
そう言い残して、王は退室した。
部屋に残った王子は、窓から王城外側に集まるデモ隊を見た。
国王の退陣と王子の即位を求めている。
今や、【民意】は国王に向いていない。
そして、民の前で自らの首を落とせと酔狂なことまで言い出した。
「老いたな、父上……」
●オマケ解説●
国王も王子も身長176cm程度で小太りな普通の男。欧米人チックなオッサンと若造。
世襲で継いではいるけれど、優秀な血筋で高度な教育を受けている、れっきとした王族です。
決して、暴君とアホ王子ではありません。
そして、【民意】に従った政治が民主主義の基本ではあるけど、言うほど簡単な物じゃない。
誰もが損をしたくない。
だれもが豊かになりたい。
だれもが楽をしたい。
全部叶えることはできません。
どこかに必ずしわ寄せが行きます。
それによる格差が国内で完結するならマシだけど、外国を巻き込んでなお【民意】を通そうとしたらどんな結末が待っているやら。




