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2021年5月29日17:31 永葉県大桑村『スピルバーグ』
県道32号線沿い、城下集落出入り口から見て左の方向。
そこには小さな自動車工場があった。
有名映画監督から拝借した名を持つ工場は、近隣で唯一の修理工場として住民から重宝されていた。
ここが脱出の切り札になるというのが、徹の主張だった。
「ああっ、くそ。あいつは多分無事だな」
持っていた鍵で扉を開くと、ガレージの中はがらんとしていた。
雑然と修理用の工具が置かれているが、埃が積もった様子はない。
本来、ここの主人は愛車をこの工場に置いている。
それがないという事は、どこかでエンジンをブイブイ言わせているということだ。
「……言っちゃなんだけどさ、あいつらに洗脳されてるって事は?」
「ないな。あいつの車が走ってたら、2キロ先でもわかる」
「ああ、そういうアレか」
問題住民同士、仲が良かったのだ。
とはいえ、徹は車目当てだけでここに寄ったわけではない。
工具があるということは、彼にとっては武器の素材があるのとほぼ同義だった。
ガレージの隅には、オピ・コーラのロゴが描かれた冷蔵庫があった。
目的はそれではない。その傍にある、無数の空き瓶だ。
「よし、外の給油所でこいつに油詰めてこい」
「火炎瓶か」
「見つかるなよ。砂糖を忘れるな」
「誰に言ってんだよ」
周囲にガソリンスタンドがない都合から、前村長の依頼で無鉛ガソリンとディーゼルの給油所が設けられていた。
燃料に瓶とくれば、導火線を追加するだけで火炎瓶という武器が誕生する。
工場の主人が乗る車はハイオク車だったのだが、それはまた別の話である。
知樹が外へ出て行くのを確認してから、ハルが語りかけた。
「ごめんね、テッくん。あたし、迷惑掛けちゃって」
「昔の俺の方が上だ。気にするな」
今は城下に住んでいる徹も、幼い頃はハルと同じ集落で過ごしていた。
そんな集落どころか村一番の悪ガキだった少年は、20近く年上の彼女には不思議と従っていた。
なんてことはない。いわゆる、初恋のお姉さんというやつであった。
お姉さんと呼ぶには少々開きすぎた年の差だったが、実際そうだったのだから仕方がない。
50年以上前の心など、記憶の片隅にしか存在しない。
それでもやはり、今でも思うところがあった。
その思いをいま振り返っている場合ではない。
思考を現状に戻すと、洗車用に導入されていたコードレス高圧洗浄機を手に取った。
こちらは単体では武器にならない。組み合わせが必要だ。
吸い殻の灰で真っ黒になった灰皿の傍らには、長年の喫煙歴を物語る使い捨てライターの山。
オイルが僅かに残っているものもあるが、この程度は必要としない。
肝心なのは、液体ではなかった。
工具箱から手頃なマイナスドライバーを取り出し、ライターの丸鋸のような形のヤスリを取り外す。
出てくるのは、スプリングに接続された火打ち石。
目的はこれだ。
「いま、なにやっとるの?」
「ライターからフリントを取り出してる。まあ、なんだ。火花を散らすのに使う」
ハルの質問に答えつつも、手慣れた手つきでライターが次々に分解していく。
5個ほど分解すると、次の作業に移った。
「さぁて……やるぞ」
今まで背負ってきた上下二連の散弾銃。
自分がこの村の猟師になった際、先代から譲られた散弾銃だ。
年季の入った木製の、30インチあるふたつの長い銃身。
最近は鳥撃ちやトラップ射撃に用いていたが、実戦となるとこの利点がマイナスに働いた。
木製の銃床と先台は、現代的なプラスチック製部品と比べて重い。
走り回って、撃って、逃げる。
この繰り返しの戦いの中で、抱える獲物はなるべく軽い方がいい。
長い銃身には猟や競技なら散弾をまとめ、弾の運動エネルギーを遠くまで届ける役目がある。
しかしその役目は小銃で十分すぎる。銃身が長ければ、狭い屋内での戦闘では壁や柱に引っかかりかねない。
一分一秒を争う殺し合いに、そのヘマは致命的だ。
いま欲しいのは狭い屋内でも扱いやすく、かつ散弾の破壊力を持つ銃。
上下二連は生まれ変わるのに最適な、シンプルな構造をしているのだ。
万力で銃本体を固定し、糸鋸をフォアエンドの少し先にあてる。
一度始めたら、半端で止めるわけにはいかない。
やるなら、徹底的に。
「よし」
息を吐くと、徹はのこぎりを力強く。
かつ、慎重に引いた。
これは美術品をエゴで傷つけるようなものだ。
職人達が丁寧に仕上げたこの美しい銃身を、真っ二つにするのだ。
───申し訳ない、申し訳ないっ。
心中で念じていると、やがてカランと音が響いた。
短縮化散弾銃の完成だ。
修正第二条という法で武装の自由が許されているアメリカでも、中々許されない改造である。
「テッくん。汗出とるよ、大丈夫け?」
「ちょっと罪悪感が湧いただけだ。問題ない」
取り回しは犯罪レベルで改善されたが、まだ重い。
今度は芸術品のような美しさを持つ銃床に手を掛けなければならないのだ。
ちょうど銃床を切り落としたタイミングで知樹が扉を開いた。
「このケース終わりっ」
レギュラー・ガソリンが詰まったコーラ瓶を置くと、彼は高圧洗浄機の存在に気付いた。
「次は砂糖入れない方がいい? 多分、増粘剤入れたら不具合起きる」
「そうだな。それで頼む」
この手の知識が皆無なハルには、ふたりの言っていることは半分も理解できていない。
しかしそれでも、一般的にはろくでもない。
一方で、今の状況では恐ろしいほど頼りになる。
そんなことを話していることは把握できた。
◆便利な道具も、一手間で武器になる───




