35
2021年5月29日17:06 永葉県大桑村城下東部
「カサンディ様ァァァッッ!!」
そんな叫びを聞いたのは、数分前。
知樹がカサンディの死体をスマホで撮影している最中だった。
絶叫した彼らは主人と慕う存在の死を、どうにかして感知したのだろうか。
では、これから怒り狂った集団が押し寄せてくるのだろうか。
彼らの懸念は、完全に杞憂だった。
「こいつも死んでる……」
神社から棚田に戻る道中、暴徒達の死体を発見した。
行きでは見なかったのだから、間違いなく追手だ。
知樹が脈を測ると、誰一人として生命反応はなかった。
「どうなってる? まさか、自殺か?」
「外傷っぽいの見当たらない。毒でも飲んだか……」
あるいは心臓麻痺。そう判断するしかなかった。
どのような経緯で死亡したのか定かではないが、かつての隣人を嬉々として殺すように変えられるのだ。
後を追って自殺をするようになっても、不思議ではない。
「貴族の副葬品か? ……連中め、人間を徹底的に奴隷扱いか」
心を操り、残虐行為を強い、その生死すら弄ぶ。
この上ない人権の蹂躙。
連中は、ここまでするのか。
恐怖と共に、怒りも込み上げた。
「ううっ、ううっ……」
「ハルさん、大丈夫か」
「大丈夫なわけあれせんわっ。なんで生きとるだけでこんな目に遭わされなかんのっ。酷すぎるっ!」
その問いの答えは、当事者に聞いたところで分かりきっている。
それでも、口にせずにはいられなかった。
「情けないっ、情けなくてかん……」
知樹と徹の分も、彼女の目から涙が溢れた。
泣きなくなるのは当然。しかし、それでも歩かなくてはならない。
「ハルさん。もし……連中が無力化出来たなら、今が最高の機会だ。急ごう」
「うん……わかっとる。わかっとるよ。はよ、行こまい」
もしここで絶望し、動けなくなるのなら。
彼女はそもそもこの場にいないだろう。
棚田沿いの道を素早く進み、坂をくだる。
「この先が県道だ……待てっ、こっちだ」
先導する徹が集落の出口で足を止めると、90度旋回して納屋の陰に誘導した。
その理由は、間もなく理解出来た。
尋常でない数の足音。
知樹は耳を澄ませてその分析に努めた。
ゴム底の───長靴か───足音が大多数。
その中に、異質な足音が混じっている。
───裸足? でも、なんだこれ?
人の素足とは明らかに違う。
肉が少なく、骨がぶつかるような振動。それも、恐らく子供のような軽さ。
聞いたことのない足音だった。
やがて集団が納屋の反対側に迫り、知樹達が来た道へ向かっていく。
そこにいたのは、想像通り大多数がかつての村人。
しかし、先導していた存在は完全に想定外。
───そりゃ、一匹じゃねえんだもんなぁ。
赤く、毛のない皮膚に小さい痩躯。
カサンディに続くひと目で化け物とわかる異形が2体。
暴徒達の集団を先導していたのだ。
友人のハンナマリが貸してくれた漫画がある。それに出てきたゴブリンの赤い版。
背後から見た限り、そんな感じの異形だった。
集団は一度も振り返ることなく、赤ゴブリンはつまらなさそうに。
暴徒は呆然と前を見ながら消えていった。
間違いなく、あれは偵察部隊だ。
カサンディが消えた事に気付き、調べに向かっていたのだ。
暴徒が彼女と連動して死んだのだから、何らかの知る術があると見るべきだろう。
もし移動が遅れていたら、棚田辺りで鉢合わせしていた可能性が高い。
そうなれば、正面衝突は不可避だ。
「危なかった」
「ああ。流石にあの規模と真正面からやり合うのは無理だ」
残弾は間違いなく減っている。
これ以上減らせば、カサンディ級───彼女の言葉を借りれば、中級魔将軍か───の相手と戦う際に、弾がなくなりかねない。
「急ごう。第二梯団が控えていたら厄介だ」
3人が頷き、歩き出す。
ふと、知樹の視線が谷の反対側に向かった。
そこは路沿という集落の上にある、かつての学校。研修センターだ。
この施設の一室に、照明の灯りが見えたのだ。
「なあっ、研修センター。あそこ、電気点いてるっ」
「なに? ……ちょっと待て」
徹の目も、昔と比べるとすっかり衰えていた。
なんとか小銃のスコープを覗き、観察することで知樹と同じ違和感にたどり着いた。
「あそこには太陽パネルがある。多分今でも電気が使えるんだろう」
「連中がさ、わざわざ電気点けると思うか?」
暴徒は明らかに知能が低下していたが、それでも自動車を扱う程度には残っている。
とはいえ、彼らは多少の怪我や返り血は全く気にしていない。
日中に照明を使って何をしているのか? まさか、読書などしないだろう。
ならば。
研修センターに、自分たちと同じ生存者がいる。
推測としては、強い説得力があった。
「言いたい事はわかった」
「だろ?」
「だが、今は脱出が最優先だ。わかるな?」
知樹の意識が背後のハルに向かった。
少なくとも、彼女は戦う術を持たない善き人だ。
足手纏い云々は置いておいて、守らなくてはならない。
それが今の、自分の使命だと確信する知樹は素直に頷いた。
「行こう」
生き延びなくては。
そのための脱出口へ───
◆運命がつながり始める───




