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2021年5月29日16:12 永葉県大桑村鎮竜神社
カサンディの大きな鎌が振り上げられる。
その鋭さだけでなく、重量も脅威だ。
たとえ斬れなくとも、叩きつけられればひとたまりもない。
首を狙った一撃を前転でかわし、振り向きざまに発砲。
発射薬の爆圧によって散弾が放たれ、黄色の血飛沫と共にカサンディの頭部を抉った。
「があああっ! 鬱陶しいっ!」
気取った態度を崩してしまうほどの激痛。
しかし、戦闘不能や致命傷には至らない。
彼女の頭部にある器官は、複眼なのだ。
人と同じく眼球は脆いが、代わりが複数存在する。
残る全ての視覚が、ひとりの人間に集中した。
「なぜ簡単に死なないィッ! 虫けら風情がっ!」
「こっちのセリフだ、ムシ女!」
挑発し、怒りと意識を向けさせる。
とにかく、あの巨体を社務所近くに寄せてはいけない。
あそこにはハルが身を隠しているのだから。
巨大な気配を背後に背負いつつ、参道へ。
この状況を考えれば、カサンディは何の疑いもなく逃げると判断するだろう。
その分、あの神社が安全になる。
「逃すかっ」
高度を稼ぎ、消費することで速度を得る。
物理法則の怪しい化物にもこの原則は適用される。
一旦加速をやめて上昇すると、降下と同時に急加速した。
その姿はさながら、針を突き刺さんとする蜂のように。
尾部を突き出しながら突貫した。
人の腕ほどある大きな針が、正門をくぐらんとする知樹の背中に迫る。
「シャアッ」
勝利を確信し、口から歓喜の息が漏れる。
ズシン。
大きな物音と共に、門が揺れた。
「ぐ、あっ……」
もし一歩走り出すのが遅ければ、カサンディの腹が門にハマってしまう事はなかっただろう。
知樹の目前には、巨大な針と臓器のような腹部が広がっていた。
「やめろぉっ、下等生物が、私のお腹を見るなぁっ!」
これは偶然と計算、その半々の結果だった。
敵の第一陣に対して、知樹は門の天井でやり過ごすことで背後を取った。
その際に門の内側の寸法を測り、カサンディは通れないと判断していたのだ。
───でもまさか、すっぽりハマるとは。
相手が不可能と見て手を止めるか、あるいは激突するだけと見ていた。
結果としては上々だ。その見てもらいたくない部分を撃てば、どうなるか。
それをやすやすと試せるほど、相手も甘くない。
「カサンディ様ぁっ!」
暴徒は消え去ったわけではない。村中に蔓延っている。
生き残るためには、彼らの対処も忘れてはならないのだ。
「お前達っ、早く私を助けろっ」
知樹は最大の脅威をカサンディから暴徒達に切り替えた。
数は5、散弾銃の残弾は2。
一射一殺としても、正面から3人を倒すのは危険だった。
どうするか。やることは決まっていた。
爆発的な銃声が轟く。
「があああっ!」
柔らかい腹は見事に柔らかかった。
容易く散弾が貫通して血が吹き出し、いくつもの傷を穿った。
「許さんぞっ、虫けらァッ!」
しかし、それだけ。
あまりに体積が大きすぎる為、シカや人間を想定した弾の一発では致命傷に追い込めないのだ。
それでも、殺れる。知樹は確信した。
「傷つけるな、カサンディ様ァ!」
鍬が振り下ろされる前に、脱兎の如く駆け出す。
追い掛けられる。それでどう逃げるか?
今までの傾向で、洗脳された暴徒は判断力が著しく低下しているのがわかっている。
「あ、あっ……どっち……?」
「何をしてるっ、あいつを追いかけろ!」
「でも、助けないと……」
敵を追うか、主人を救うか。
指示されなければ、その判断すらままならないのだ。
「もう少し考えて動けぇっ、半分が行けばいいだろうっ!」
「誰が、半分?」
カサンディの金切り声が森に響き渡る。
鼓膜が破れんばかりの絶叫を背に受けつつ、角を曲がる。
相手の視界から逃れると、知樹は壁を越えた。
◆血が出るのなら───




