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TUONI ~闇を被った死神~  作者: 穀潰之熊
At Doom's Gate

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20

2021年5月29日10:11 永葉県大桑村城下中心地


 彼女は、この家に踏み込んだ経験はない。

 しかしそれでも、このしんと静まり返った静寂に異質さを感じた。


「田作さーん? おらんの?」


 玄関に上がり込むと、ひたひたと水音を捉えた。

 蛇口から水が滴っているのだ。


「おらっせるの?」


 音のする台所は廊下の先、暖簾で区切られた向こうにある。

 天井から垂れる布。その手前で、強烈な生臭さを感じた。


「田作さん?」


 台所。そこには、ふたりいた。

 ひとりはその場で佇み。

 もうひとりは、床で仰向けに倒れていた。


「なに、しとるの?」


 猛烈に嫌な予感していた。

 しかし、凝り固まった理性が現実から逃避させた。


───きっと、何か誤解してる。きっと、しょうもない話だ。


 そう信じて、声を掛けたのだ。

 この家の主人は、呼び掛けに応じて顔を向けた。


 怒り。

 曇りのない感情が、その顔面に浮かんでいた。


「なんでだぁっ」

「へ?」

「なんでぇっ、なんだあっ!」


 まるで獣のように歯を剥き出しにした男が、彼女に飛びかかった。


「あわっ」


 反応は出来ていないも同然だった。

 飛び退く事も、迎え打つ事もできず。

 ただ後ずさって、その場で尻餅をつくだけ。


 害意を剥き出しにした相手に、優位を与えたばかりだった。


「があああっ! がああっ!」


 口から唾液を撒き散らしながら、男は老婆の上に跨った。

 そして、その両手を突き出した。


「はっ、うっ」


 なんとか、それだけは掴んで押し留めた。

 しかし、相手の力は恐ろしく強い。

 ビキビキと、どこからともなく骨の軋む音が響いた。


「だっ、誰かあっ」


 老婆の視界が赤く濡れそぼった指で覆われた。

 この家の主人は、眼球を押し潰そうとしているのだ。

 腕が痛み、腰が痛み。そして、目に不可逆的な痛みを与えようとしている。


「目をぉっ、潰すゥ……!」


 間もなく、指が眼球に触れる。

 反射的に瞼を閉ざした。


「おいっ!」


 重量物が動く風圧。

 それを眼前で感じた。


 自身を覆っていた重圧が消え、続いて破壊音が響いた。

 そっと、世界を見る。


 仰向けになったこの家の主人が、壊れた食卓の上にいた。

 そこに、大股で歩く知樹が。


「どういうつもりだ」


 手には背負っていたリュックがあった。

 あの重そうな荷物で殴ったのだ。


「答えろ! どういうつもりだ!」


 返答はなく、ピクピクと痙攣するばかり。

 やがて、その痙攣も止んだ。


「……死んだか」


 脈は完全に停止していた。

 知樹はもうひとつの亡骸を一瞥すると、老婆に手を差し伸べた。


「怪我は? 立てる?」

「なんとか……」


 酷い倒れ方をしたが、幸運にも骨折はなさそうだった。

 動かなくなった男を見ると、顔面が陥没していたが間違いなく見覚えのある顔だった。


「……殺したの?」

「ああ」


 老婆は、何も言えなかった。

 非難? そんなこと、出来るはずがない。

 自分の目───そして恐らく、命を救ってくれたのだから。


 では称賛するか?

 それも、出来なかった。

 救ってくれたとはいえ、その手を血で汚したのだ。

 守るためとはいえ、自分よりずっと若い者に重い罪を背負わせてしまったのだ。


「駐在さん、呼ばんと……」

「そうっすね」


 混乱する頭の中で、染みついた価値観が身体を動かした。

 何か手に負えない事があったら、とりあえず警察。

 電話機は廊下にあった。おぼつかない足取りで向かう。


 古臭い黒電話。

 円形のダイヤルを回して番号を入力するものだ。


「さっき、パトカー出てったんで、110番に」

「あぁ、そう」


 ならば、駐在所に直接掛けても無駄だ。

 1-1-0。警察の通信指令室に繋がる番号へ。


「はい。事故ですか、事件ですか?」


 女の声。

 自分が直面している事態とあまりにもかけ離れすぎていて。

 老婆の舌が、うまく回らなくなった。


「ええっと、これってぇ……」

「事件に決まってるじゃん」

「事件、事件です。さっき、男の人に襲われてぇ……」


 ズドン。そんな音がどこからか聞こえてきた。

 知樹が素早く外に飛び出すが、老婆は動かなかった。


「そちらはいま、どちらにいらっしゃいますか?」

「ここは……大桑村の城下です」


 ぷつん。不意に受話器から異音が流れた。


「もしもし? もしもしっ!」


 信じたくない。この電話が通じなくなったなど。

 しかし、いくら叫んでも返事は来ない。

 ふと、ツーという音すらしていないのに気付いた。


「くそっ、あいつらっ!」


 外から聞こえた知樹の叫びが、この事実を再認識させた。

 何者かの手によって、電話線が断ち切られたのだ。

◆外部との連絡が───!

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