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「うわああっ!」
叫び声を聞いて、瑩は正気を取り戻した。
当然、相手は一匹だけではない。
ならば獄介が狙われる可能性は十分にあるのだ。
バックヤードから飛び出すと、獄介の姿が目に入った。
相対しているのは───普通の人々。
「殺すぅ、殺すぞハゲェッ!」
「村長の馬鹿息子、殺すしかないねぇ!」
「目玉を抉り取ってやる!」
いや、違う。
普通の人々は徒党を組んで、丸腰の一般人を追い詰めたりはしない。
その目は、まるで怨敵を見るかの如く憎悪で満ちていた。
口ではもはや理解不能な理屈で悪意をばら撒く。
彼らはどこかしらに血を滲ませ、包丁や鎌などで武装している。
憎くて仕方のない“敵”を殺すために。
「どっ、どうしちゃったんだよ皆ぁ!」
既に出入り口は村人達の集団で溢れていた。
これでは獄介はもちろん、瑩も出られない。
「腹谷さんっ、こっちへ!」
どう考えても、冗談の類ではない。
危なっかしさがあったが、瑩がやったように窓口を超える。
彼らには、透明な壁が目に入らないらしい。
拳や手に持った道具、長椅子などを使ってぶち破らんと暴れ始めた。
突破されるのは時間の問題だ。
「裏口に!」
「ああそっか!」
バックヤードには出入り口がふたつあった。
そこが裏口に違いない。
「しっ、死んで……!」
「止まらないで!」
食い殺された死体を横目に、瑩は重い扉を開く。
飛び込んできた午後の陽射しに目を細める。
空はこんなに青いのに、その下は地獄絵図と化していた。
とにかく、校舎へ戻ろう。
示し合わすまでもなく、ふたりは元来た道を戻ろうとした。
ちょうどその時、再び遠くから銃声が響いた。
「まさか、この銃声って……」
「今は気にしてる暇ないよっ! 逃げないと!」
ずっと、どこかでこの状況と戦っている人がいたのだ。
そして、その人はまだ生きている。
安堵したいところだが、同時に状況の悪化も示していた。
既に異変は離れた場所でも発生し、拡散しているということなのだから。
「どこだぁっ、見つけて殺せぇっ!」
「女は献上して、男は殺す!」
「目玉を抉り取れっ!」
郵便局には異常な人々が殺到していた。
内部から聞こえてくる破壊音からは、尋常でない様子が想起された。
捕まったら、ただでは済まない。
瑩は肝を冷やしながら坂へ向かう。
異形の存在は知識にあっても、一般人の暴徒はどうしようもない。
───どうか、誰にも会いませんように!
彼女の願いは、民家の影から出てきた男の姿で破り捨てられた。
「いたぞぉっ、いたぞおおっ!」
相手は素手ながらも、血走った目が尋常でない気配を醸し出していた。
叫びと共に先頭を走っていた瑩に詰め寄る。
「っ……!」
逡巡した。
相手は一般人、人間だ。
自身の異能を用いても、恐らく滅せない。
木刀を力一杯、急所に振り下ろせば殺せるだろう。
しかし、殺すのか?
母や同級生や、周りの人々と同じ人間を?
その迷いが、命取りだった。
苦し紛れに振り下ろされた木刀は空を切り、男は懐に飛び込んでいた。
この間合いでは、木刀は殴っても傷まない拳と大差ない。
「ガアアッ! 殺すっ、殺すゥッ!」
獣のような咆哮と共に、年老いた指が瑩の首にめり込んだ。
男の齢は60、いやもっと過ぎている。
だというのに、信じられないほど強い。
瑩の身体が押し倒され、圧迫に重力が加わった。
叩こうが、蹴ろうが、相手はびくともしない。
「わ、ああっ……」
獄介は到底役に立ちそうにない。
どうにかしなければ、しかし───
猛烈な勢いで体力と気力が奪われ、意識すら遠のく。
すると、脳内で死が囁く。
───何でこんな目に遭わなきゃいけないのか。
───きっとこれは悪い冗談。抗う必要はない。
───死ねば、苦しむことはない。
これは現実だ。死にたくない。死ぬわけにはいかない。
そう脳が認識していても、逃避の誘惑が筋肉の緊張をほぐし始める。
手のひらが緩み、男の腕がさらに首に密着した。
唸り声すら耳鳴りにかき消され、男の背後に広がる青い空が暗い闇に覆われ始めた。
───死ぬっ。
明確な恐怖だけが彼女の心を支配した。
「やめろっ!」
その時、遠くから響いた破裂音と共に視界から男の顔が消えた。
顔面に花を咲かせた身体が、力なく倒れ込んだ。
「わっ、わああっ!」
獄介の情けない叫びと、走る気配。
のし掛かった体重を押し除ける余力もなく、瑩は咳と共に呼吸という究極の自由を謳歌した。
「大丈夫か!」
死体を退けると、彼が手を差し伸べた。
覚えている。先ほど弥生を連れて来た警官だ。
「早く立って、奴らが来る!」
奴ら。この状況下で指す意味はひとつだけ。
栄輔の背後へ視線をやると、村人達の姿があった。
もちろん、普通ではない。
それぞれが身近なもので武装し、掲げた棒の先には人の首らしきものさえ伺えた。
様子がおかしいどころではない。
彼らはもう、人を殺めているのだ。
「早くっ!」
正気を取り戻した瑩はその手を取り、坂を駆け上った。
追う者と、追い立てる者。
その差は歴然としていた。
◆狂気の波が瑩達を襲う───!




