Epilogue
狭いバンの荷台の中。
幕内知樹は3人の男と、1人の女に囲まれていた。
現場から離れておよそ5分ほど。
対面に座る寡黙な男が、知樹に化粧落としとタオルを手渡した。
「落とせるだけ落としとけ。外でドーランは目立つ」
「うす」
液体を泡立たせ、顔全体に馴染ませ、適当な頃合いを見て拭き取る。
本当は水で洗い流すべきだが、このアメリカ製バンにそんな設備はない。
「いくつか聞いてもいいっすか?」
知樹が聞いても、対する相手は一瞥しただけで反応を見せない。
否定ではないと受け取った彼は続けた。
「ハンナ……俺が助けた子、フィンランド人の女の子なんですけど。無事っすか?」
今回の行動に出た原因のひとり。
ハンナマリ・ヒルヴィサロ。
フィンランドの生まれで、日本に留学。
日本発の文化を好み、下手な日本人よりも知識を持つ。
かつて誘拐されかけ、知樹に救われ───
また救われた不幸な少女。
これは独断で話していいのか判断に困ったのだろう。
寡黙な男は助手席に視線を送った。
目線の先で男が口を開いた。
「病院で検査を受けたそうだ。心身ともに衰弱していたが、無事の範疇だ」
彼女は知樹の想像できないような仕打ちを受けていたが───
それでも、心底安堵した。
「そうか……」
深く息を吐き、天井を仰ぐ。
───少なくとも、俺の戦いは報われた。
バンにしては高い天井を眺めながら、知樹は笑みを浮かべた。
視線を落とすと、次の質問を繰り出した。
「で、俺。今度こそ、ムショ送りになりますか?」
今回の騒動で、何人殺しただろう。
直接ならば鎧通で7人、銃で1人殺している。
計8人。間接的なものを含めればもっと増える。
前例を鑑みれば、行き着く先は刑務所ではなく拘置所だろう。
大多数が過剰防衛すら超えた、殺人罪なのだから。
覚悟はしていた。
正義のためとはいえ、人を殺めたのは事実。
ダークステート兄妹の片割れを逃したのは惜しいが、それでもやれるだけはやった。
「お前、わかって聞いてるだろ?」
目元しか見えない男の表情が明らかに険しくなった。
落とした視線の先は、手錠さえない自由な知樹の手首。
流石に武器の類は没収されていたが、それでもこの待遇は通常考えられない。
明らかに異常なことが、決定者の間で起こっていた。
「やっぱり……警察の間でも、ダーク・ステートの脅威は共有されているっ」
絶対的な悪、彼でいうならダークステート。
この脅威を前に、法律だの言っていられない。
悪を誅するためならば、この殺人は必要悪なのだ。
天誅を下すには、心と腕のある人間がいる。
そのための些事は見て見ぬふりをしなくてはならない。
警察は理解している。父の言っていた通りだ。
───親父の戦いも無駄じゃなかった!
父の妄想が肯定されたと確信し、知樹は心躍らせた。
寡黙な男が握る拳なぞ、気にも留めずに。
◆ ◆ ◆
2021年5月25日
名気屋駅。
あの時と全く同じ場所で、彼らは待ち合わせた。
「ごめーん、遅くなっちゃった」
「気にすんなよ。そっちは部活あんだからさ」
知樹が待つ黄金時計広場に、ハンナがやって来た。
以前と違って休日ではなく、単なる放課後だ。
行き先も春日谷のモールではなく、駅の喫茶店。
挨拶もそこそこに、ふたりは歩き出した。
「悪かったな。お見舞いとか行けなくてさ」
「いいのよ。どうせ、悪いところなんかなかったんだから」
「そっか」
これはハンナの強がりでもなんでもなく、事実だった。
極限状態の持続と彼らから受けた仕打ちによって、衰弱と多少の傷は受けた。
しかし、それ以上はなかった。奇跡とも呼べる状態だった。
もちろん拘束があと1日、いや半日続けば、それ以上の傷を残しただろう。
これは彼女が日々積んでいた鍛錬の副産物だったが、それはまた別の機会に。
「あいつらも来ればよかったのになぁ」
「え? あー、うん。そうね」
知樹は文華と慶太が来ると聞いて誘いに乗ったが、直前になってふたりはキャンセルとなった。
曰く、
「ごめん。うちの父さんが急に帰ってくることになってさ」
「私もケーくんのお父さんに挨拶しなきゃいけないから……」
父と会える喜びをよく知っている人間が、不満を抱くはずもない。
というわけで、参加者は知樹とハンナのふたりとなった。
「……朴念仁」
「うん? なんてった?」
「別に」
駅の喧騒が、彼の耳から独り言を滑り落とした。
駅ビル2階の喫茶店で席に着くと、程なくしてハンナが切り出した。
「ねぇ。あのあと、何があったの?」
「別に。大したことなかったぜ」
もちろん大嘘である。
あの事件は表向き、大きな事件と小さな事件に分離された。
加賀津谷小作は多くの女性を脅迫・強姦した異常性欲者の凶悪犯。
特に文華とハンナを気に入った彼は、闇バイトを用いて誘拐を画策。
片方に失敗した結果、警察に糸を辿られた。
潜伏中のラブホで警察の突入に驚き、窓から全裸で脱出を試みた。
しかし愚かにもその後の対策は考えておらず、腰から落ちて半身不随の重傷を負った。
彼の顛末はそんな面白お笑いニュースとして消費されていった。
「あの加賀津谷とかいうやつ、間抜けなことになってたな」
「ふんっ、いい気味よ」
隣県、羅宮凪県東川湖ほとりの別荘で発生した事件。
乱交パーティーの真下で不都合な人間の肉を溶かし、湖に流していたという事件。
関係者の多くは小張県を拠点とする極道、七ツ谷組によるものとされた。
組長をはじめとする多くの組員が逮捕されるも、多くが薬物中毒によって意味不明な供述をしている。
世間を震撼させたニュースも、今や日本の異常性に興味がある者以外忘れ去っていた。
「そういえば、別荘で人が溶かされてたって事件……」
「あったな。あれがどうかしたのか?」
「……ううん、なんでもない。関係があるような気がしちゃって。ちょっとお手洗い行ってくるね」
そして、知樹がヤードで繰り広げた戦い。
あの事件の首謀者とされた“兄妹”の存在。
これらは、一週間経った現在でも報道さえされていない。
あの場で死んだ人間と兄妹は、その存在を抹消されたのだろう。
『ISILにシータグループの影!』
目に入ったプロパガンダニュースを跳ね除けると、ハンナのコーヒーとプリンがやってきた。
彼女の消えた先を視線で追う。
兄妹の片割れは、その後の行方が知れない。
聞いていなかっただけで、あの時臨場していた部隊が拘束または射殺したかもしれない。
しかし、まさか、もしかしたら。
心の中に不安が湧き上がり始めた。
その時、白銀の長髪が視界に入った。
「あっ、来ちゃってた」
「今来たばっかだぜ」
ハンナが注文したコーヒーは浅煎り。
酸味の強さが特徴だ。
「ここ、豆で注文出来るのがいいのよね」
「へぇ」
知樹はコーヒーに興味がない。
ジャムを舐め、紅茶を口に含む。
「マック。言っても、いいかな」
「おう」
そう尋ねておいて、彼女は少しだけ逡巡した様子を見せた。
視線を伏せて、瞼を閉ざし───開く。
「ありがとう。私のために……頑張ってくれて」
これは正確な表現ではない。
彼女の伝えたい言葉を表すならば───
『命懸けで、危ない橋を渡ってくれて感謝します』
となる。
知樹が人を殺したのは確定的な状況。
なのに、過剰防衛にすら問われず外を歩いている。
何も知らないハンナにも、特殊な事情があると察するのは容易だった。
「気にすんなよ。正しいことをしたまでだって」
「でも普通、ここまで出来ないよ」
「だろうな。でも俺は普通じゃないし」
尋常でない事態にも恐れず、毅然と立ち向かう姿。
ただ震える以外、何も出来なかったハンナにとって心強く感じた。
だからこそ、手放したくなかった。
「そっか。ところで話は変わるけど、今度の日曜日空いてる?」
「無理だな。毎月のトレーニングの日だ」
「一緒に、行ってもいい?」
少々強引にでも距離を縮めんと、食い下がった。
一連の事件で、ハンナは自身の弱さを実感した。
この男のように、もっと強くなれれば。
もっと近づけるのではないか。あんな事態に遭っても、なんとか出来るのではないか。
年相応の短絡的な発想をしていた。
「普段だったらいいんだけどさ。今回ちょっと、挑戦したくてさ」
「挑戦?」
「……俺さ。もっと上手く出来たと思うんだよ。もっと強くならなきゃなんない」
その時、彼女は気づいた。
幕内知樹の目が、普段と違う。
あの夜見た、闇を被った死神のそれだ。
「他人に気を遣う余裕ないと思う。だから悪いけど、次の日曜はダメだ。その次は?」
「えーっと、6月からはコンクールの練習が始まっちゃうから……」
そんな目に対して、これ以上逆らえるはずがない。
今月では最後の機会だったが、少なくとも今の彼女には“次”がある。
多少の間隔は問題ない。
「なんか、ごめんね。無理言っちゃって」
「Ala huoli.Ehka ensi kerralla」
思いがけない言葉に、ハンナは一瞬、知樹の言葉を理解出来なかった。
やや間をおいて、それが母国の言葉と気付く。
「えっ、フィンランドの言葉出来たの?」
「Tutkimus.Se on loistava tilaisuus」
「すごい。文法はちょっと不自然だけど、発音は完璧。向こうでも通じると思う」
「昔から外国語の文と発音聞けば、大体理解出来んだ。でも、5日間じゃこんなもんか」
「私、日本語一ヶ月でもそこまで出来なかったわよ」
「メンドクセー言葉だからな」
珍しく、ハンナに合わせて知樹も笑みを浮かべた。
◆異常少年は止まれない───




