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彼の人生は逃亡の連続だった。
今回も、その一幕に過ぎない。
しかし、これは敗北ではない。
最後に勝って逆転すれば、それでいいのだ。
生きてさえいれば、他は全てかすり傷だ。
少年はヤードから脱出すると、坂を滑り降りて逃げ出していた。
連れてきたパパは訳もわからず銃を撃ち合っている。
付き合う義理も、意味もない。
「なんとか、あいつと合流できれば……」
そうすれば、立て直せる。
既に車で逃げたのだから、状況が落ち着いてから連絡すればいい。
今はとにかく、敵から逃げなくては。
「もう、いいかな……」
彼はあまり運動が得意ではない。
坂を降りるのも、正直命懸けだった。
肩で息をして、なんとか呼吸を整える。
そのせいで、気配の察知に一歩遅れた。
「くっくっく……このたびは、大変な目に遭いましたねぇ」
「だっ、誰だっ?!」
思わず顔を上げる。
そこにいたのは、黄色いタオルを首に掛けた汚いおやぢだった。
「なんだこのおっさん!?」
「おい、ガキ。他人様を捕まえといて、おっさん呼ばわりたぁ躾がなってねぇなぁ」
「なんなんだよ、お前」
「流れの鬼畜モンさ。くっくっ、く」
笑みを絶やさぬおやぢがゆっくりと距離を縮める。
その様子に、少年はただならぬ予感を察知した。
「それ以上近寄るな!」
ズボンに押し込んでいた拳銃を抜き、銃口を向ける。
その意味を知らぬほど、おやぢも甘くはない。
「くっくっく……さすがにチャカはきっついぜ」
「近づくんじゃないぞ、それ以上……」
おやぢを睨みつつ、ゆっくりと距離をとる。
その表情は武器を向けられている人間のそれではない。
底知れぬ、下卑た笑み。
自分が殺そうとしているのに、それを意に介さない様子。
少年が経験したことのない相手だった。
「差し出がましいとは存じますがぁ、そのチャカ。安全装置はお外しですかぁ?」
「……は? そんなのっ」
この銃を手に入れた時、パパから簡単な使い方を教わっていた。
握るところの底にマガジンを取り出すスイッチがあり、銃の側面には安全装置のレバー。
斜め下なら撃てて、水平なら撃てない。
焦点が銃本体に向かい、安全装置へ。
その角度は、水平。
「あっ」
「ゲッチュゥ」
即座に撃てない銃、射手の注意散漫。
二重の要素が重なっていては、勝てる戦いも勝てない。
バチリ。電流が迸る機械が少年の腹に押し当てられた。
スタンガン。電流を相手に流し、その痛みで無力化する武器。
「があああっ!」
悶絶する少年から拳銃を奪うと、タオルを口に押し込んだ。
「くっくっく……鬼畜モンの雌に唾つけようとした罪……軽くねぇぜぇ」
動く気力を奪われた少年を肩に担ぐと、おやぢは音もなくその場を去っていった。
◆ ◆ ◆
事件から一ヶ月後。
深夜の永葉県那慈見第三交番に来客があった。
ブザーを鳴らし、夜勤の警官を呼び出す。
「はいはい、今出ますから」
ウィンウィンウィン。
扉を開く前からそのような異音が聞こえていたと、警官は後に語っている。
「はいど……わっ」
「えへへっ、えへへっ」
警官はその異様な光景に、思わず息を呑んだ。
身体中を粘液で汚された、短髪の少女。
股間ではプラスチックの物体が蠢いていた。
「どうしたのっ、大丈夫?!」
「ごめんなさいぃっ。私、しっごく悪いことしましたぁ」
その言葉を肯定するように、彼女の腹にはこう書かれていた。
「私は沢山の人を殺しました。東川郷で人を溶かしたのも私です」
この警官に、その文章の意味はさっぱり理解出来なかった。
◆鬼畜からは逃げられない───




