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恐ろしい轟音。
恐ろしい絶叫。
恐ろしい暴力。
少女はひとり、車で震えていた。
こんな時に頼れる兄は、その渦中にいるのだから。
「おにいちゃん……おにいちゃん……」
恐怖を運んでくるスマホの通話は切れない。
いつどこで、彼が無事を伝えてくれるか。
それがわからない限り、繋がった糸を切ることはできない。
恐れから逃れるため、現実逃避のために窓から外を見た。
既に空は白み、スモーク越しにも外の景色が窺える。
ふと、気付いた。
少し離れた場所で、鮮血を浴びた闇が立っている。
闇は人型をして、顔は骸骨。
彼女は確信した。
あれが、この状況を生み出した“元凶”なのだと。
「おにいちゃん……おにいちゃん! あいつっ、あいつがいるっ!」
咄嗟にマイクに向けて叫ぶ。
すると、助手席と運転席に座るパパもその存在に気付いた。
「うわっ」
ほぼ同時に、衝撃が車内に襲いかかった。
防弾ガラスでなければ、窓を貫通して彼らは弾を受けていただろう。
「逃げろっ!」
その言葉と同時に、車が発進した。
急アクセルにもエンジンは完璧に応え、あっという間に車道を走り出した。
これでもう安泰。彼女は確信して息を吐いた。
その時、強い破裂音と金属の摩擦音。
銃声とは違う。これは一体?
「うわっ、ハンドルがっ」
疑問が解消する頃には、フロントガラスの向こうに昇ってきた朝日とガードレールが広がっていた。
◆ ◆ ◆
彼女がまだ息をしていたのは、奇跡としか言いようがない。
後席とはいえシートベルトなしで正面から崖下に転落したのだ。
前に座っていた2人は木に体を貫かれ1人は即死。
もう1人も息はしていたが、手の施しようがない状態だった。
彼女も無傷ではない。
全身を強く打ち、中でも右腕が庇った衝撃で折れ曲がっていた。
「くっ、ううっ……」
動くほどの気力はない。
痛みからくる倦怠感が活力を奪っていた。
ふと、窓の外の景色に視線をやるまでは。
鬱蒼とした森の中で動く影。
時折差し込む朝日が、その影の存在を確信させた。
あの骸骨が、追いかけて来たのだ。
「い、やあぁっ……」
死に対する恐怖がアドレナリンを分泌させた。
右腕を庇いつつ、開かない扉を蹴り破る。
宙吊りになった車から、意を決して飛び降りた。
ゴキリ。着地と同時に嫌な音が鳴った。
左足に強い痛みを覚え、力が入らなくなった。
いっぽ、頼むから一歩。左腕だけでも、なんとか這って進む。
そこで、タイムオーバーだった。
「捕まえたぞ」
大きな手が彼女の首根っこを掴むと、乱暴に仰向けに倒した。
かつてないほど、骸骨との距離が縮む。
奥の手を使うなら、今しかなかった。
「ねぇ……助けて」
彼女は、自身の能力を制御出来ない。
しかしそれは抑えるという意味だ。
意図して増幅させることは出来る。
常人には理解出来ない器官を濡らし、拡げ、漂わせる。
情緒のカケラもない森に、甘美な香りが広がった。
「ひーっ、ひーっ、ははっ、ああぅっ」
その香りは、死の淵にいた助手席の男でさえ興奮を隠せない。
それだけの魔力があった。
───これで、パパになるっ。助かるっ。
事実、骸骨の動きも止まった。
頻繁にまばたきし、目の焦点が狂い、顔を振る。
そう、最初は皆そうやって戸惑うのだ。
「33-33-74……33-44-93……」
何を言っているのか。
訳のわからない数字の羅列が、骸骨の唇からこぼれ落ちた。
しかし言葉が溢れるたび、所作から迷いが消えていく。
やがて、与えられた狂気が塗り潰された。
理外の理という、また別の狂気に。
「これがお前らの力か。驚いたよ」
「なっ、なんでっ? 効いてたはずなのに……こんな時に限って、おとうさんが……っ!?」
暴力の象徴。ひれ伏すしかない脅威。
なぜよりによって、今現れるのか。
生ぬるい体液が土を濡らした。
「おい、質問に答えろ。さもないと殺す」
「……くぅっ」
鋭いストレートが頬に叩きつけられた。
「はな、しますっ……」
「指示役は誰だ?」
「いないっ……全部おにいちゃんとやってました……」
「嘘だな」
極めて強い断定。しかし、彼女にその意図はなかった。
「うっ、うそじゃないっ。本当にっ」
「外宇宙人なんだろう?」
この一言には、完全に虚を突かれた。
外宇宙人。一体、何を言っているのか。
あまりに奇想天外な言葉の登場に、彼女は思わず聞き返してしまった。
「……な、に?」
「外宇宙人だっ、そうだろう? お前らダーク・ステートのムシどもはアメリカ、その背後にいる奴らの指示で動いてる! その力で人々を扇動し、洗脳し、地球を支配しようと企んでいる!」
ダークステート。
彼女も名前だけは聞いたことがあった。
頭のおかしい陰謀論者が信じている組織だ。
世界を裏で支配しているだの、支配しようとしているだの、規模も能力もハッキリしない組織。
どこにでもいる、というか解釈次第でどんな存在にも貼れるレッテルに過ぎない。
過去のパパに信者がいたが、あまりにも馬鹿で気持ち悪すぎたのでゴミ捨て場送りにした。
そんなのと同類の存在が、今自分をここまで追い詰めているのだ。
恐怖が一周回って、怒りに変換された。
「こんなっ、こんな気狂いにぃっ!」
怒りがかえって思考を鮮明にさせ、腰にあった武器を思い起こさせた。
衣装に隠されたナイフ。それを引き抜き、目前の脅威に叩きつけた。
それが通用するのなら、彼はこの場にいない。
掴まれた左手から流れるように刃物が奪われ、真っ直ぐ彼女の肩口に突き刺さった。
「がっ、ああっ!」
「DSのムシ風情が、正義たる俺をキチガイ呼ばわりとはな」
「フーッ、フーッ……私が正しいんだ、お前みたいな奴と違って」
二度目の殴打が実行された。
「立場を弁えろ。お前に人権はない」
「……」
怒りの炎は、すっかり鎮火してしまった。
そう、忘れていた。
自分とおとうさんの関係はずっとそうだったのだ。
不満があれば殴られ、口を出せば殴られ、そこにいれば殴られる。
だから、ずっとおとうさんは殺してきた。
奴隷に出来ないのなら、殺せないのなら、自分が従わなければならないのだ。
震えと涙が止まらない。
恐怖と屈辱がとめどなく溢れ出す。
「おい。悪が泣くな。俺が悪いみたいだろ」
「はい、ごめんなさぃっ……」
そう、こんなやりとりも昔あった。
殴られて、非を認めさせられて、また殴られる。
同じだった。
「そうですっ、私は……ダークステートに言われましたぁ」
「やはりな」
相手の求める答えを出せば、たまに殴られない。
殴られるにしても、少し手加減してくれる。
今回はどうなるか。その答えは、輝きのない刃だった。
刃物、死、終わり。
恐怖の対象が、救済に見えた。
「殺すな!」
大きな質量が少女の真横を過ぎり、耳をわずかに裂いた。
少年に凶行を止めさせた男達の手には、短機関銃が握られている。
言外に、「従わなければ撃つぞ」と告げていた。
「なぜ? こいつは多くの人々を洗脳し、誘拐して……」
「こいつは羅宮凪島以外でも活動していた。東京、神奈川……間にある静岡や愛知もあり得る」
知樹は初めて、自分を止めた男達に視線をやった。
バラクラバで素顔を隠し、日本の警察とは違うOD色のハイカット防弾ヘルメット。
顔は見えずとも、体格とその目に覚えがあった。
「あんた、昨日の午後会ったな」
「影響下から逃れても、後遺症で苦しんでいる人々も多い。その全てを把握するためにも、そいつの身柄が要る」
質問には答えず、目的とその正義を語る。
知樹は正確に理解したが、乗り気ではなかった。
「で、面倒事は俺に押し付けて、おたくらはいいとこだけペロリ?」
もし、彼らに武力と権限があるなら。
知樹に出る幕はなかったはず。
なのに今の今まで姿を見せなかった、ということは───
とどのつまり、そういうことになる。
「命令が出たなら……」
「いや、そういう理解で構わない」
今まで沈黙していた寡黙な男を、片割れが制する。
どんな事情があろうとも、知樹に手を汚させたのは事実なのだから。
「じゃ、好きにすりゃいいっすよ。ダーク・ステートに苦しめられてる人達がいるなら、少ない方がいい」
鎧通を鞘に納め、少女をうつ伏せにして両手を拘束する。
伏せられた顔から、嘲笑が漏れた。
安全と勝利を確信した笑みだった。
「うふふっ、どうして捕まえるの?」
「お前は多くの人々を洗脳して……」
「どうしてそう言えるの? 何か証拠でもあるの?」
彼女は知っていた。
自分の力が現代科学では解明出来ない類のものであると。
「どうやって私のやった事って証明するの? あなたの感想なんじゃないの?」
それを、どうやって実証するのか?
実証出来ないもので罪に問うことは出来るのか?
たとえ、ゴミ捨て場を反証として出されても彼女は言うだろう。
自分達ではない大人のやった事だ、と。
そのために年老いたジジババをパパママにしたのだから。
暴力から逃れられた。
今は法が守護ってくれる。
「私は正しい事をしただけ。罪にはならない」
「そうだな」
知樹と代わった男が、少女の言葉を肯定した。
少なくとも異能の実在が周知されていない現状、法改正など気配さえない。
法がなければ、裁きようがない。
「お前を裁判に掛けられないし、ムショにも送れない」
「ふふっ」
「俺達が警察ならな」
「……えっ?」
自分達を追うなら、当然警察だと思っていた。
警官ではない? ならば、なんだと言うのか。
これは思わせぶりのハッタリだ。
そう断言するのは簡単だ。
しかし、しかし───
連行される最中、彼女は一切笑みを崩さなかった。
一方その内心では、歩みを進めるごとに暗い不安が力を増していった。
◆ただでは済まされない───




