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TUONI ~闇を被った死神~  作者: 穀潰之熊
Thou shalt not commit adultery

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 少しぐらいいいだろう。五野氏(いつのし)平夫(ひらお)は慣れないマスクをずらして素顔を晒した。

 先輩から割のいいバイトがあると聞いてこの仕事を請け負ってみれば、予定外の連続。


「攫って連れてくだけじゃなかったのかよ」


 予定では女子校生ひとりを攫って、目的地で引き渡す。

 それだけだったはず。


 だというのに女には連れがいて、先輩は股間を蹴り上げられてノックアウト。

 こうして、多大なリスクを背負いながら捜索する羽目になったのだ。


「ちぇっ、やるんじゃなかった」


 後部座席には見慣れない機械が鎮座している。

 聞くところによると、これには電波を妨害する機能があり、一般的なスマホが使えなくなるのだとか。


「世の中って広ぇーなぁ」


 漫画でしか見たことのないような代物を用意する依頼人。

 そんな人物に逆らったらどうなるか。今更退くに引けない。


「んんーっ、早く終われーっ」


 狭い車内で凝った身体を伸ばす。

 その時、ミラーの隅で何かが動いた。


「あん?」


 ミラーに映るのは変わり映えのしない住宅街。

 見間違いか。進捗を確認するために、視線を落とす。


 ドアのガラスがぶち破られたのは、ほぼ同時だった。

 叫ぶ間もなく首根っこを掴まれ、割れた窓から引きずり出された。


「なっ、なっ、なああっ?!」


 飛んできた靴底に意識を奪われる。


「けっ、程度の低そうなツラしてやがる」


 幕内知樹は無力化した運転手を見下ろすと、彼の乗っていたバンに視線をやる。

 純白の商用バンに見えたが、違和感がある。

 キャビンドアのど真ん中。僅かに色味の違う長方形が浮かんでいた。


 角に爪を入れると、一気に引き剥がす。


『Run & 走』


 以前少し揉めた蘭走の別名だ。


「好きだなぁ。(クズ)(クズ)、つるむの」


 偽装用のステッカーを投げ捨てると、バンのドアミラーを殴りつけた。


◆ ◆ ◆


 喧嘩(実戦)を知らぬ武道家(素人)ほど言う。


「相手が何人いても、素人なら楽勝っすよ」


 喧嘩(実戦)を知る武道家(達人)ほど言う。


「複数は無理、逃げる」


 しかし、逃げられない状況では?

 不利を承知で戦わねばならないのだ。


「雑魚が、邪魔しやがって」


 乱暴なつま先が慶太の脇腹に突き刺さった。


「があっ」

「ケーくんっ! もうやめてください!」


 武術すらろくに知らない慶太に、複数人を相手に出来るはずがなかった。

 あっという間に囲まれ、動きを封じられ、叩きのめされた。


「お前が逃げたりしたからこうなったんだよ」

「でっ、でも……」

「慰謝料払えよ! でないと……」


 男の一人が慶太の腕に手を掛けた。

 足で腕を抑えつつ、真上に持ち上げる。


「ぐ、あっ……」

「折っちゃうよーっ!」

「やめて! ……お金なら、払いますから」

「そんなの期待してねぇし」


 人が強姦に及ぶ時。

 それは性欲を持て余した場合に限らない。


 時として人は他者の支配を欲し、征服の証として相手の肉体を欲する。

 ましてや、文華はスタイルの良い美少女。


 二つを兼ね備えた格好の戦利品(・・・)だった。


 征服者はズボンのチャックをおろし、内側に隠れたものを披露した。

 見たことのない、グロテスクな異物。

 底知れない、生理的な嫌悪感。


「ねえさんっ……!」

「お前はここで見てろ!」


 頭部を足で押さえつけられ、固定される。

 無力。無様。

 情けない自分に、慶太の目から涙が溢れた。


「あーっはッ! こいつ泣いちゃったよ〜。ごめんね、お前弱いもん」

「どうすんの? 弟くん、腕まで折れたらさらに泣いちゃうけど」


 理解できない。なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。

 何か悪いことをしたのか? 思案の答えは、目前で怒りと欲望を向ける男たちにしかなかった。


「言うことを聞けば、やめてくれるんですね……?」

「約束は守るぜぇ」


 文華は男を悦ばせる手段を知らない。

 しかし、この理不尽から脱するには、やらなければならない。


 恐る恐る、見知らぬ肉塊に触れようとした。

 その時だった。


 プーッ!

 車のクラクション。突如として響いた大音量に、七つの心臓が同時に跳ねた。


「なっ、なんだあっ」

「あいつのこと忘れてたぜ」


 近くの車道で待機させていた運転手が、業を煮やしたのだろうか?

 まったく、人騒がせな野郎だ。

 男達が安心したのも束の間。今度は唸るエンジン音が聞こえてきた。


「おいまさか……」


 ドォン! 強烈な衝撃が建物を揺らす。

 衝突を受けたシャッターは大きく歪み、隙間から夕陽が差し込んだ。


「キレ過ぎだろ……」


 まだ彼らの想定は甘かった。

 非合法な仕事をしている自覚があるのなら、そんな真似をするわけがない。

 ならば、答えはひとつ。


 第三者の介入だ。


 シャッターがぶち破られ、火花を撒き散らしながら白いバンが突入する。


「うっ、うわああああっ」


 想像だにしない事態に、男達は混乱の渦に叩き込まれた。

 なぜこんな真似をするのか? 頭がおかしくなったのか?

 この期に及んで、都合のいい想像で脳内が停止していた。


 とにかく、危険から逃れたい。

 その一心で暴漢達の誰かがガレージの隅へ逃げたのを皮切りに一箇所に集まった。


 襲撃者にとっては、願ったりな愚行に違いない。

 ハンドルが切られ、バンが肉団子に向かって直行する。


「こっち来るぞっ」


 迷いなく向かってくるバン。

 その運転手に、表情はなかった。


 激突。彼らに回避する猶予は与えられていたが、完全ではなかった。


「ぎえええっ」

「いっ、いてえよぉっ」


 一人はタイヤに足を巻き込まれ。

 もう一人は肩が車体と接触した。


 残るは三人。

 バンの歪んだドアが蹴り破られた。


「なっ、なんだがっ!?」


 襲撃者は躍り出ると同時に、男の一人に跳び膝蹴りを喰らわせた。

 バンが邪魔で、残りの二人には反対側で起きた事態に気付けていなかった。


 しかし一人だけ、彼の姿を見た者がいた。


「本当に……」


 安心感に包まれ、慶太は意識を手放した。


 残り二人。

 差し込む夕陽が明暗差を生み、舞い上がった埃が黄昏の光を乱反射する。

 人間の目にとって、よろしくない環境が生まれていた。


「なんなんだよっ、どこにいるっ! おい!」


 生き残った相方の位置どころか、相手の人数すら定かではない。

 万が一のために用意したナイフをポケットから引き出し、虚空へ向ける。

 気配が近づいてきた。


「にっ、逃げようっ」

「どこへ逃げるんだよっ、車はここにあるんだぞ?!」

「走って逃げるんだよぉっ!」


 気配が走り出した。

 愚かなことだ。恐慌した人間にも察知出来る気配を、この状況を生み出した者に捉えられないわけがない。


「ギャッ」


 暗いところで倒れる気配。きっと、やられたのだろう。


───もう、俺一人なのか?!


 顔から血の気が引き、呼吸が乱れる。

 奴にやられたらどうなるのか。

 足元でうめく連中と同じようになるのか?

 あるいは倒れた後、それ以上に酷い目に遭わされるのではないのか。


「なんでっ、俺がこんな目にィッ」


 先ほどの仲間が倒されて以降、気配を一切感じられない。

 しかし、動くのだ。夕陽と暗闇の間で、何かが動いている。


「くっ、来るなっ」


 どうにかしなければ。この状況を脱しなければ。

 ぐちゃぐちゃな頭の中で思考し、一つの手段に辿り着いた。


 壁に背中を預け、偶然その気配を掴んだ。


「おら立てっ!」

「ひっ」


 女。目的の女。

 相手の目的は定かではないが、このタイミングで来たのなら、どうせこいつ絡みだろう。

 襟を掴んで立ち上がらせる。


「俺に近づくなっ! そうしたら、刺すぞ!」

「く、ううっ……」


 ナイフの切先が、文華の頬に小さな傷を穿った。

 血が滴り、男の手に落ちる。


「みっともねぇ」


 聞き覚えのない声が響く。

 間違いない、自分達を襲う何者かの声だ。


「理不尽に襲っといて、都合が悪くなったら人質? そりゃないんじゃねーの?」


 言葉の内容をまともに理解出来ないほど彼は恐慌していたが、それでも本能が反論させた。


「うるせえっ、バーカ! お前が悪いんだよっ! アホーっ!」


 全く意味を成していない、反論という体の罵声。

 負けっぱなしではいられないというプライドが、この愚行を続けさせた。


「来るなよっ! 来たらブッスリだぞ!」


 怒声がアドレナリンを分泌させ、手に持つ武器(・・)が万能感を与える。

 そうだ、こいつがあるから奴は手出しできないんだ。

 なら、返り討ちにしてやる。来ないなら、このまま逃げてやる。

 ジリジリと震える足で移動する。


 つま先が橙色に染まった。

 その時、背後で何かが落ちた。


「がああっ!」


 やられる! そう錯覚した時、人質に手を掛けられる人間は稀だ。

 まずは、自分の身を守る。彼も例に漏れず、文華を捨てると背後に向けて刃物を振り回した。


 そこにはなにもいない。

 落ちていたのは、仲間が掛けていたサングラス。

 そんなものが落ちた音すら、彼にとっては脅威に思えていた。


「どっ、どこにっ」


 正気に戻った直後。右の手首を、何かが貫いた。

 鋭い形の、光り輝く何か。


───なんでっ、ミラー(・・・)が俺の腕にィッ?!


 自分以外の血に濡れたそれは、手首の血管と神経を巻き込みつつ屈筋腱(くっきんけん)を寸断した。

 筋肉を動かす手段を失った手から力が抜け、ナイフが滑り落ちた。


「がっ、ちっ、血がっ」


 言い終える前に、膝裏を蹴られてその場に倒される。

 そこで初めて、彼は襲撃者の姿を見た。


「だっ、誰なんだよお前はああっ!」


 その返答は、靴底で行われた。

◆成敗───

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