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2021年5月29日21:43 永葉県大桑村腹谷家
裏庭の畑を超えた先に建つ、高い塀と二階建ての母屋。
隣には農作業機械を収めるための大きな倉庫も佇んでいる。
これが大桑村前村長の邸宅であり、獄介の実家でもあった。
「倉庫にうちの車が3台ある。持ち出されてなければ、鍵は離れにあるよ」
「家族の安否は確認したか?」
「いや。でも父さんは隠居してから、母さんはずっと家にいる。ひとつ上の兄さんは役所にいたかもだけど……」
腹谷家周辺に人の気配はなく、化け物がいる様子もない。
奇妙なのは、荒らされた気配すらないという点だ。
化け物や暴徒達が、村を見下ろせるこの家だけを見落とした。
そう考えるのは、やや無理がある。
徹が一切手をつけずに知樹の合流を待ったのには、そういう理由があった。
「嫌な予感がする」
「ああ。綺麗すぎる」
知樹も徹の判断に賛同した。
家探しをしてまで生存者を狩っている連中が、分岐ひとつに人員を過剰に集中させるとは考え難い。
きっとこの家には、何かがあるのだ。
「なっ、なにもないって。本当に」
ふたりの視線を受けた獄介は首を振った。
彼は麻薬の密造人だが、化け物達と通じているわけではない。
恐らく真実だろう。そう判断すると、瑩が徹に告げた。
「私も行きます」
「ダメだ。あの中にいるのが……元人間なら、君はただの人だ」
化け物の一撃は致命的になりうる。
そんな中で一太刀が致命傷となる彼女の存在は、強力なカウンターになるのは明らかだ。
しかしわかっていても、非戦闘員の少女を戦わせるのは気が引ける。
「でも、幕内さんはいいんですか?」
「こいつはいいんだ……本当はよくないが」
「言わんとしてることはわかるぜ、じいさん」
知樹は現状で背中を任せるには最高の人選だ。
その辺の一般自衛官より優秀とまで考えているほどだ。
後輩から身体と技術を仕込まれた息子、という点も後押ししていた。
一方で瑩は、特殊な出自と能力を持つ単なる一般人だ。
異形に対しては優位を持つが、人間にはない。
暴徒が大多数を占める敵に対して、同行させるのは賢明とは言い難い。
「でも言ってる場合じゃない。使える武器を渡して、この人達を守ってもらった方がいい」
彼の言うことはごもっともである。
瑩は同行させるのは危険であり、倫理的な問題もある。
しかし、綺麗事を言っている場合ではない。彼女の能力は魅力的だ。
ならば中間の選択をするべきだ。
切迫した状況に出された妥協案に、流石の徹も折れた。
「いいか、これは非常用だ。相手がなんであろうと、可能な限りやり過ごすんだ」
「わかってます」
ナタを手渡された瑩は力強く頷いた。
彼女自身も複数の人間に囲まれた際の無力を痛感している。
多数の暴徒に狙われたら、逃げるしかない。
瑩に3人を任せ、納屋の陰からそっと出ると、知樹と徹のふたりは母屋へと向かった。
ここまででもやはり人の気配はなく、遠くの狂った喧騒以外は静まり返っている。
裏の勝手口から迫り、扉の脇で知樹がノブを捻る。
カチャリ。この村で施錠する人間は少ない。
短縮化した散弾銃を構えつつ、徹が静かに侵入した。
真っ暗な屋内では後ろの知樹がライトで照らしていた。
ここはダイニングルーム。昼食辺りの洗い物が流しに放置され、椅子が横倒しになっている。
この痕跡を辿ると、冷蔵庫が半開きのまま。中身は撒き散らされていた。
どうやら、綺麗なのは外ばかり。
既に何者かに踏み込まれた後だったようだ。
「進め」
目的地は南側の離れ。
車のキーはこの部屋に集められているとのことだった。
離れはダイニングを抜けた先の、正面玄関の脇。
扉を開き通路に出ると、異臭を感じた。
血と肉、それが腐敗した臭いだ。この家には似つかわしくない。
一歩床を軋ませるごとに、本能が拒絶する臭いが強まる。
角を曲がると正面玄関。そこでは、血の痕跡が外へと続いていた。
「これは、出てったって感じだな」
「油断するな」
人ひとり分の足跡があったところで、安全というわけではない。
血の跡を辿り、腐敗臭に不似合いな戸に手を掛け、そっと開け放った。
そこにあったのは、人ではなかった。
赤黒い丸まった、細切れ肉と呼ぶべき物体が部屋の片隅に積まれていた。
乱雑に突き立てられた指のような物体が、この肉団子がかつての人間であると主張していた。
「くそっ、イカれてやがる」
知樹が思わず言葉を漏らした。
今まででも大概な光景を目の当たりにしてきたが、これは尋常ではない。
犯人の殺意と破壊衝動がこれでもかというほどに表れている。
「……急いで鍵を探すぞ」
もしこれをやった者が近くにいるとすれば。
カサンディのような、巨大な異形か。
それともデミノのような巨漢か。
なんにせよ、現状の戦力で遭遇するには危険過ぎる。
互いにこれ以上の会話をせず、家探しを始めた。
離れには床の間があり、そこには時代を感じる掛け軸と一振りの打刀が飾られていた。
気掛かりなのは、鎧櫃と飾り台が剥き出しのまま置かれていた点だ。
飾り台は文字通り鎧具足を自立させるための台。鎧櫃は収納する箱であり、飾る際には土台となる。
───誰かが身を守るために、具足を身につけたのか?
推測通りならば、貧弱な現代人にとっては愚策の極みである。
この家に住む最も若い住民が中年であることを加味すれば、なおのこと。
それ以上の考察は現状では無駄だった。
「こいつか。あったぞ」
徹が遂に小箱の中から引き当てた。
リモコンキーふたつと、直接挿し込むしかない古い鍵がひとつ。
「これで脱出させられる」
「途中までな」
村から出るための県道は恐らく両方が封じられている。
しかしそれでも、徒歩での脱出よりは安全なはずだ。
徹は頷くと、鍵をポケットに収めた。
◆脱出に一歩前進───




