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国道を南下し、近道のため住宅街に入る。
閑静な町では少し遅い通勤や通学を行う人々とすれ違い、時折地域の住民が知樹と視線を交わした。
「おはよう」
「うっす、おはようございます!」
いつもの老婦人に会釈し、住宅街を抜けると、今度は長い線路が横たわっている。
通学するならベストな交通機関に沿って、狭い車道を駆け抜けていく。
この線路には反対側へ渡るためのトンネルが点在している。
車道となっているものもいくつかあるが、大半は歩行者向けの狭いものだ。
「おい、出せよ」
そのうちの一つから聞こえてきた。
───止まったら、遅刻確定だぞ。
脳内で反芻するが、溢れ出る好奇心と磨かれたばかりの自信がその足を止めさせた。
引き返すうちに、会話の輪郭が形を持ち始める。
◆ ◆ ◆
「さっきおっさんからもらってただろ。出せよ」
「え〜、なんのことかなぁ?」
少年一人を、20代程度の男が三人で取り囲んでいた。
男達の背中には地域の珍走団である蘭走の標章。
彼らの愛車も付近に置いてある。
「金だよ金。札束だ!」
相対する怒声に、少年は貼り付けた嘲笑を崩さなかった。
それは、明らかに異様だった。
「あぁ。おにーさんたち、これのこと言ってたんだ」
すると、パーカーのポケットからそれを取り出した。
こんな紙切れの束ふたつを。
そう言わんばかりに、粗雑に。
誰かが唾液を飲んだ。
「おめぇその年で持ってていい訳ねえだろ。出せ」
「しょうがないなぁ。はい、あげる」
まるでトランプを手渡すかのように札束が差し出された。
彼らの脳裏に偽札の可能性がよぎったが、その時はその時だった。
女と酒とバイク。
伸ばしたその手は空を切った。
「はいっ、あーげたっ」
あまりにも古典的な悪戯。
少年の頭上で揺れる万能引換券を見て、彼らはようやく正気に戻った。
「へっ、面白いじゃん。おい」
精一杯の強がりも、声を震わせていては形なしである。
その直後に肩を押したのもよくない。
「あっ、殴った」
「うるせえっ、本当に殴るぞ」
男の一人が少年の肩を掴み、拳を振り上げた。
それが、彼に介入を決意させた。
重いものが空を切る音。
認識して反応出来たものはいなかった。
「があっ」
大きな隙を見せていた脇腹に、通学鞄がめり込んだのだ。
5キロ近くある重量物を喰らって平然と出来る人間は少ない。
攻撃をもらった男はその場にうずくまった。
「なっ、なんだあっ」
「お前は悪だな」
驚くほど鮮明に、低い声が反響した。
明るい外から、暗い中へ。不鮮明な影が敵として立ち塞がった。
「んだてめぇっ」
「待てっ、こいつは……!」
仲間をやられて黙っていられない。
勇み足で年下に歩み寄ると、素早いジャブを繰り出した。
手応えがない。視覚より早く、触覚が判断した。
長年のボクシングと喧嘩の勘が胸部を狙う。
しかし、二撃目は繰り出せなかった。
間合いに入り込んだ影は肘で顎を打ち、意識を刈り取った。
無防備になったところへさらに足払いで張り倒したのだ。
ガラ空きになった脇腹を踏みつけるのを忘れない。
「がっ、あっ、はあっ……!」
肺と横隔膜への一撃に、乱れた呼吸が響く。
残る一人は、対峙しているこの存在に心当たりがあった。
「おっ、あなたは……カス校の幕内か?」
影は否定も肯定もしない。ただ歩み寄るばかり。
それが、記憶にある凶悪な存在と結びついた。
痛い目を見ない方法。朧げな記憶を呼び起こし、行動する。
「許してくださいっ! もうしません!」
地面に顔面を擦り付け、土下座する。
それで唯一、難を逃れたという証言があった。
あとは関わらない。闇討ちなど以ての外。
歩く気配が止まった。
───助かったっ?
願望は頭部に叩きつけられた蹴りが肯定した。
「消えろ、悪め」
強烈な衝撃と痛み。しかし、他二人はこの程度で済んでいない。
一人は駆け足で、残りは這いながら。
消えていく蘭走のメンバーを見送ると、幕内知樹はそこにいた人間を見た。
「そんなもん見せびらかすなよ」
まるで先ほどの争いが画面の向こうのように。
嘲笑がそこにあった。
「おにーさん、強いんだね」
「ああ。もちろん」
自身の鞄を回収すると、知樹は通学路へ向かう。
「次は大声出せよ。大抵のチンピラは逃げる」
「えーっ」
「えーじゃねえんだよ」
暗いところから、明るいところへ。
トンネルの中を一瞥すると、嘲笑はその場から動かずに知樹を見送っていた。
「気色悪っ」
正直な感想を吐き捨てると、知樹は再び足を回し始めた。
◆ ◆ ◆
静寂。
トンネルから人の気配が絶えた。
「ねえ、アレどうだった?」
そこに甘い香りが出現した。
染色されたツインテールをなびかせ、片割れの肩にのしかかる。
「うん。パパにできたらすごく便利そう」
「じゃあ、出て行けばよかった?」
その問いにパーカーは首を振った。
「いいよ。学園は覚えたから、どうとでもできる」
「すごーい。さすがおにいちゃん」
「それに今は、おかあさんの方が先だ」
その笑みに、一筋の執着が混じった。
◆この二人、一体何なんだ?!




