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31.青蓮院門跡

すいません昨日更新忘れてました

 だだっ広い駐車場を抜けて門から入った。なぜか左右に道が別れているが順路は右のようなので右に曲がる。どうやら入り口(受付)はこの先のようだ。門から入り口までは家で言うところの玄関前的な位置になるのだろう。

 

(では、青蓮院門跡の玄関からお邪魔しようかな)

 

 入り口に入ると土足厳禁であることに気が付いた。靴を脱いで下駄箱に入れる形式のようだ。永観堂も似たような感じではあったものの、受付の前から靴を脱いではいない。素足であったり靴下で拝観するのは何とも日本らしい。外国人にとってはあまり馴染みのない習慣だから不思議な感覚になるのだろうか。外国人観光客がいないので聞くこともできない。

 

(外国人の京都の感想って聞いてみたいものだな。日本人である俺が海外の習慣に驚くのと似ているのではあるだろうが、少し感覚は違うので知ってみたい)

 

 俺はそんなことを思いながら靴を脱いで受付で拝観料を払う。

 

「はい、団体ね」

 

 俺の前はどうやらまた修学旅行生のようだ。だが、嵐山の時に出会った学生よりは若いことに気が付いた。こちらは中学生で嵐山の学生は高校生か。

 

(あぁ。遠くに行けないから大阪近辺の高校が近場の観光地を修学旅行先にしたんか)

 

 ご時世的に仕方ない。俺もこの話は聞いたことがある。緊急事態宣言とかで県を越えることができないから、近場で代替地を決めるというやつだ。京都は立派な観光地だから代替地になったのだと推測する。

 

「はい次の方」

 

 俺のことだ。中学生が中に入り俺の番になった。

 

「大人の方500円になります」

「はい。お願いします」

「あ、すぐそこの華頂殿以外は撮影禁止なのでお願いします」

「そうなんすね。わかりました」

 

 俺は拝観料を支払い青蓮院門跡の内部に入っていった。受付の人が言っていた通りで真っすぐ歩くと見えてくる「華頂殿」は撮影していいが、そこ以外は撮影してはいけないらしいのでここで写真映えを期待するのは違うということになる。

 

「ほれ、ここはな襖絵が沢山描かれていてな、、」

 

 ここの人なのかボランティアなのかわからないがおじさんが先ほどの学生達に境内を案内している。こういう景色もいいもので、観光地の人との繋がりを感じさせられる。

 

(やはりコミュニケーションは観光にとって大事なのだ!)

 

 俺はそう思いながら学生たちの横を通り過ぎた。そして、目の前の襖絵をまじまじと見つめた。なんとも綺麗な「青い蓮の襖絵」であろうか。なぜ青いのかは一切わからないが蓮の葉が青くなって咲き乱れている。

 

(なんて上品なんだ)

 

 そう。上品という言葉がこの襖にはピッタリ合う。襖というのは普通開け閉めするものだが、この襖は触れない。いや、触れることが許されない雰囲気を醸し出している。それほどまでにこの襖の蓮には力がある。普段我々の生活にあるものなのに異才を放たれると萎縮してしまう。恐らく脳に記憶されたこの「青い蓮の襖絵」は忘れることがない。そう言い切れる自信があった。

 

(これは写真OKだな)


 注意書きでフラッシュはダメとなっている。色褪せするからだろう。もちろんフラッシュはたかない。

 

(本当に絵みたい…絵だけども本当に)

 

 つまらない反復法を使ったところで襖を抜けた先にある畳の部屋で腰を降ろした。座ると目の前は開放的になっており、庭園が一望できる。これも素晴らしい。気分的には縁側に腰掛けている感じだ。それほどまで見晴らしがいい。そして、この素晴らしい景観に1つのスパイスが加わることになる。それは着物を着ている女性だ。

 

(おぉ、美しい)

 

 着物を着ている女性も着物を着ている自覚を強く持っているようで、凛々しい姿を演じている。和風の佇まいに大和撫子たる「美」。これを見て美しくないという者はいない。雑誌や書籍における1ページの中に没入しているようだ。それほどまでに完成されている。

 

(景色の邪魔をしないのに、この女性を視線から消すこともできない。なんだこれは)

 

 大げさかもしれないが、ニュアンスは全くこの通りだ。観光客が少ないのもまた1つの理由だろう。人が沢山いる場所でこの姿を見ても周りのノイズでこの美しさは掠れる。

 

(これぞ日本美)

 

 日本美が果たして何を表しているか明確にはわからないが、純日本人である私たちが「日本美」であると表現すればそれはもう日本美なのだ。それほどまでに我々のアイデンティティの中に日本美は刷り込まれている。

 

(じっと見ているのは失礼だ。ちょっと席を外すか)

 

 俺はこの華頂殿から離れた。ここの他にも室内で見るべき場所はあったが、先ほどのインパクトのせいであまり印象に残らなくなってしまった。襖や仏像などがあったがそれ以上はあまり記憶に残らないまま華頂殿に戻ってしまった。

 

(もういないか)

 

 着物を着ている女性は消え、数人の観光客が代わりに華頂殿にいた。俺はこの場所にもう用はないので庭園に行くことにした。ここの目玉は庭園でもあるのだ。庭園の入り口は変わっていて、受付の横なのだ。なので、俺は受付に戻り、靴を取った。すると受付から声をかけられた。

 

「お兄さん。庭園こっちから入るからね。靴取ったらそのままこっちに来てな」

 

 俺はその案内に従い受付の横にある「庭園入り口」から外に出た。滅茶苦茶狭い橋の下をくぐって庭園に侵入した。どうやらこの庭園はとても広い。そして、静かだ。手前には池、奥には山にも見える木々の密集が景色を作っている。華頂殿の目の前に位置するこの場所にはベンチも設けられているので、華頂殿よりもこの庭園の強さを味わえる。俺はベンチに座らずにこのまま先へ進んだ。

 

(うわ、鬱蒼としてる)

 

 先へ進むとどうやら庭園で見えた山の部分を登るらしい。あんまり大きい山ではないので傾斜がきついという印象はない。面白いことに本当に山道のように自然に囲まれた道を登っていく。ある程度登ると上から青蓮院門跡を見下ろすことができた。

 

(ここなら写真大丈夫かな?)

 

 中は写真禁止だがここならいいだろう。お寺を上から眺めることでお寺の造りが一望できる。平屋だからこそ上から見ることで面白い形を見れる。ビルや現代の建物では上から見てもあまり意味はない。あえてこの山が登れるように作ってあるのもお寺を上から俯瞰させるためだろう。作った人は上から見ても美しいという自身があるのだ。

 

(うわぁい。綺麗)

 

 本当に疲れが来ているので頭が働かない。だが、休まない。若い特権で疲れが溜まっても動けるし自動回復する。そして、寝ると治る。便利な体だが高校生の時よりは明らかに体力は落ちている。

 

(休むとこないしな)

 

 中心地ではないので簡単にカフェなどは見つからない。時間のロスは避けたいが、ゆっくりしたいならば余裕を持って観光をしなければならない。

 

(はい、下山)

 

 順路をそのまま進んで下山。謎に広い道を通り、出口まで歩いていった。青蓮院門跡の大外を回ったという感じだった。

 

(出口ってこれ?)

 

 出口なのか怪しい竹の柵に「出口」とだけ書かれている。これはどうすればいいのかわからないがとりあえず押す。

 

「キィーーー」

 

 怪しい音と共に出口と思われる柵は開いた。ちゃんと出口であっていた。

 

(なんで出口だけ雑なんだ)

 

 出口から出たがどこに出たのだろうか。俺は辺りを見渡すとここは受付の近くであることに気が付いた。というか、右に歩けば受付がある。つまり、このまま真っすぐ歩けば駐車場のとこまで戻れるのだ。


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