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コスプレイヤーの復讐

作者: ツキオカヒコホ

「要はさぁ、ただの復讐なわけ」




黒原渚はそう言って煙草をくわえると、「火」と言ってライターをクイッとさした。薄暗い店内の個室にはムーディーな音楽が流れており、隣に座る月野春彦は言われるがままにライターを手に取り、彼女の煙草に火をつけた。




「復讐って、君が毎日コスプレ写真をSNSにあげ続けていることが?」

「そうよ。あんなもの、復讐に決まっているじゃない。」






黒原渚は煙をもわぁと宙に吐き出した。月野春彦は思わず煙の行方を追ってしまう。浮かんだ煙は思い思いの方向に分散し、一部が月野春彦の鼻腔を刺激した。副流煙は主流煙よりも有害だ、という学校の保健の授業を思い出す。そこんとこ、どうお考えですか黒原さん。僕への復讐ですか。




黒原渚は界隈では有名なコスプレイヤーだ。なぜ月野春彦のような一般男性と彼女のような有名人がふたりで居酒屋にいるのかと言えば、それはふたりが高校時代の友人だったからに他ならず、たまたまSNSで回ってきたコスプレイヤーの写真が黒原渚その人であることに、月野春彦が偶然にも気付いて連絡をしたからに他ならない。




「黒原がコスプレをしてるなんて知らなかった」

と月野春彦が言うと、「知られてなくて良かったのよ」と黒原渚は返した。






「知り合いにバレるなんて、あってはならないことだわ。」

「今こうして、真実に気が付いた知り合いと飲んでいるわけだけど。」

「今日会わなかったら、あんた私のこと言いふらすかもしれないでしょ。口封じよ口封じ。」

「それはまた、ひどい疑われようだ。」




けどまあ、と月野春彦はハイボールを飲み干し、黒原渚に向かい合う。「あの大人しい黒原がコスプレなんて、最初は目を疑ったさ」






黒原渚は高校時代、決してにぎやかな方ではなく、かといって大人しいわけでもない、平凡で印象の薄い生徒だった。月野春彦と知り合ったきっかけも大したものではなく、席が近かったとか実験が一緒だったとか、確かそんな感じだった気がする。それでも通学路で会えば一緒に帰ったり、他愛もない話で盛り上がったり、月曜日に宿題の写しあいをする程度には仲が良かったから、これはきっと友達と呼んでも良いのだろう、などと月野春彦はぼんやりと思っていた。


しかし仲良くなってみると、黒原渚は男勝りというか、口が達者というか、オブラートに包むということを知らない女性だった。気に入らない先生の話や部活の愚痴も何度も聞いた。




「3年生が隠れて煙草吸ってんのがバレて、1か月間の部活停止だって。大会前だよ?信じられる?」

「黒原は吸ってないんだよな?」

「当たり前でしょ!」


黒原渚は制服のスカートを翻し、宣言したのだった。


「私はね、絶対に煙草なんて吸わないんだから!」








すぱーーーー。




居酒屋の店内で、黒原渚は旨そうに煙を吸った。5歳の頃からやってます、というような自然な振る舞いで、灰皿にトントンと灰を落とす。


「きっかけは、なんてこともなかったのよ。」

と黒原渚は話し始める。




「去年職場の先輩にね、『黒原ちゃんスタイルいいんだからコスプレやってみなよー』って言われたの。あ、もちろん女の先輩よ。男だったらぶっ飛ばしてるから。で、褒められたら悪い気もしないから、1回だけと思ってイベントに出ることにしたの。」


「へえ。衣装とかどうしたの?」


「先輩が貸してくれたわ。今思えばかなり露出度の高いやつだったけど、当時は初めてだから、こんなもんかーって思ってた。それでイベントに出たらね、もう、ウハウハよ。ウハウハ。」




今時「ウハウハ」なんて言葉おっさんでも使わないぞ、という月野春彦のツッコミを無視して、黒原渚は続けた。






「数え切れないほどの男たちが私に群がってきたわ。あれはそうね…今思い出しても、」

「思い出しても?」

「気持ち悪かった。」

「でしょうね。」


群がる男たちの姿が目に浮かぶ。露出の多い新人コスプレイヤーなんて、格好の注目の的だろうからな。


「イベントが終わった後、先輩はすごく褒めてくれた。あなた才能あるわ、初回でこんなに人が集まるなんて、信じられないことよ、って。」

「さっきから出てくるその先輩は、一体何者なんだ?」

「何者かと言われればそうね…」




犯罪者、かしら。と黒原渚は言う。






「先輩はね、私の写真を売っていたの。」


黒原渚は目を伏せた。「売っていたのよ、職場の人に。1枚5,000円とかで。」


その値段が高いのか低いのかは分からないが、月野春彦は静かに目の奥が熱くなるのを感じていた。「最初から、金儲けが目的だったのか!」


「そうよ。私がそれに気づいたのは、部長から呼び出されたあとだったわ。」


黒原渚は部長から呼び出され、君の卑猥な写真が社内に出回っている、ただ出どころが分からず、売買を食い止められずに困ってるんだ、と相談を受けたという。犯人が分かれば苦労しないのだがねぇ…という部長に、黒原渚は解決を見出すことはできなかった。


「なぜだ?」月野春彦は疑問を口にする。「正直に言えばよかったじゃないか。犯人はその先輩です、って。」


「言ったわ。でもダメだった。」

「どうして」


「だってその先輩、部長の奥さんだったから。」


侮辱罪で訴えてやる、ってすごい剣幕だったわ、と呟く黒原渚を、月野春彦は黙って見つめることしかできない。




「結局、私は会社を辞めたわ。そして後悔した。なんであんな先輩の言うこと聞いちゃったんだろうって。」

「黒原はとことん先輩運がないな…。」

「その先輩は隠れて煙草吸ってはなかったけどね」


黒原渚は弱く笑った。それは懐かしむような、しかしどこか達観したような顔で、不謹慎かもしれないが、綺麗な人だ、と月野春彦は思った。




「それでね、私は復讐してやろうと決めたの。」


え?と月野春彦は聞き返す。…復讐?


「それはまた物騒な。」


「復讐くらいするわよ!」


黒原渚はガタンとテーブルを叩く。

「だってあいつ、私の人生を棒に振ったのよ?」

私の人生、先輩に壊されてばかり、と黒原渚は新しい煙草を取り出す。君の人生を壊しているのはその白い棒切れも同罪だ、と月野春彦は思ったが、言わない。


「火」

「はい」

すぱーーーー。


…。




「…復讐って、具体的に何を?」

「え?そんなの決まってるじゃない。」

「まさか犯罪に手を染めて…」

「違う違う!私って意外と常識あるのよ。知ってるでしょう?」


常識人は自分で自分を常識人とは言わないんだ、と月野春彦は思ったが、言わない。




すぱーーーー。


もう一度煙を吸ってから、黒原渚は口を開いた。




「コスプレよ。」




「コスプレ?」


「そう、コスプレで大成功してやろうと決めたの。」


つまりは見返してやろうってことね。黒原渚は月野春彦の方を向き、ウインクを決めた。不覚にも照れてしまう。不意に訪れた胸の高まりを、副流煙で押し流す。さすが一流コスプレイヤーのウインクは、一味違う。









「コスプレは気持ち悪いんじゃなかったのか?」




月野春彦は黒原渚に問いかける。そうだ、黒原渚は初めてのイベントで、男たちの視線が嫌だったと言っていたではないか。

そう言われた黒原渚は煙草の灰をトントンと落とし、フッ、と哀愁を漂わせた。


「気付いちゃったのよ。」

「気づいた?」

「イベントでね、私、鏡で自分の姿を見たときすごくテンションがあがったの。ほら、私って、高校まで冴えないキャラだったでしょ?お洒落な服も着たことなかったし、化粧だってしたことなかった。」

「そうだな」

「そうだなじゃないわよ」

「ごめん」

「だからね、」

「はい」




「だからコスプレしている私は、人生で一番綺麗だと思ったの。」




さながら生まれ変わったようにね、と黒原渚は笑った。




男たちの視線が嫌だっただけで、コスプレは嫌ではなかったことに気づいた黒原渚は、すぐさま行動に出た。


簡単だ。コスプレは好きで生の視線は嫌なら、生の視線が集まらない場所でコスプレをすればいい。




「それでSNSでの発信を始めたってわけか。」

「そう。毎日欠かさず投稿したわ。そして今や、『SNS時代を代表するコスプレイヤー』とまで言われるようになった、ってわけ。」

「自分で言う?」

「世間が言ってるのよ。」




ほら、と黒原渚はニュースアプリを開き、記事を月野春彦に見せる。なるほど確かに、彼女のコスプレイヤーとしての名前をトップに、『SNS時代を代表するコスプレイヤー』という謳い文句が書かれていた。




「本物の有名人じゃねえか…。」

「本物の有名人なんだってば。」




だから個室居酒屋なのか、と月野春彦は察する。おそらく顔を出して街を歩けば、何人かは気付いてしまうのだろう。SNSでまわってきた彼女の素顔に、月野春彦が気づいたように。




「おかげで煙草も落ち着いて吸えやしないわ。世間は私に、煙草のイメージないでしょうからね。」




今日も煙がうめえや、と彼女は幸せそうな顔をする。自分の前ではいいのか、と月野春彦は少しドキッとしたが、なるほど既に自分には身バレしているため、今さら隠すものなど何もないのだろう。


ちょっと残念だな、と月野春彦は思ったが、すぐにその感情を副流煙で打ち消した。




「じゃあさ、復讐は成し遂げたってことでいいのか?」




月野春彦は黒原渚に問いかけた。売買先輩に教わったコスプレで界隈を制し、『SNS時代を代表するコスプレイヤー』にまでなったのだから、既に目的は果たされたかのように思われた。




「そうね。復讐は済んだわ。」


黒原渚はあっさりと認めた。




「だったら」月野春彦は言う。

「だったらもう、コスプレをする必要はないんじゃないか?毎日投稿なんてしなくても、もう充分目的は果たせただろうしさ。」


そうだとも、もはや彼女にコスプレをする必要は残っていないはずだ。そんな月野春彦の考えを、黒原渚は意外にもあっさりと”肯定”した。




「私だってそう思うわよ。」




黒原渚の声のトーンが、ひとつ上がったように感じた。


「でもね」

「でも?」

「私は『SNS時代を代表するコスプレイヤー』よ。」

「だからもう、ゴールじゃないか。」

「違うわ。ゴールじゃない。」


いい?と黒原渚は月野春彦を見つめてくる。




「『SNS時代を代表するコスプレイヤー』はね、1日たりとも更新を止めることは許されないの。1日でも更新を止めたら、私は女王の称号を剥奪されてしまうの。」




黒原渚は続ける。まるで熱にうなされているように。




「一度頂点に昇りつめた者は、頂点に居続けなければならない。転落は恐怖よ。転落すれば叩かれる。そうすれば、先輩は私のことを笑うでしょうね。ほら、あの娘も所詮は一発屋だったのよ、って。最初から自分はこの結末を予想してましたみたいな顔して、私の事を叩くの。しかも今度は匿名でね。どの書き込みがその先輩のものかもわからないから、こっちは反論すらできないの。向こうは私が見えてるのに、私は向こうが見えない。不公平で気持ち悪いわ。最悪の結末よね。そうならないために、私にできることはひとつ。」




息継ぎが無かった。目も逸らさなかった。飛んだ唾にも彼女は気づかない。






「私は女王で居続けなければならない。だから、コスプレの毎日投稿は一生続くのよ。」








居酒屋を出た後、月野春彦は『SNS時代を代表するコスプレイヤー』のSNSを覗いてみた。


猟奇的ともいえるおびただしい画像の数と、そのすべてに何千と着いたコメントを見て、月野春彦は駅のホームでずっと動けなかった。




黒川、君はこんな数の群衆と戦っているのか。




賞賛のコメント、卑劣なコメント、まったく関係ないコメント、ビジネスの宣伝や無意味な喧嘩。コメント欄には、彼女と無関係の誰かさんたちが集まり、好き勝手に発言していた。魑魅魍魎とはこのことか…月野春彦は呆れ、SNSを閉じようとしたそのとき、


ひとつのコメントを見つけた。








『こいつ、〇〇会社にいた黒原渚じゃね?エロ写真売って辞めさせられたやつ』








黒原、


お前はこの場所で、幸せになれるのか?








ふいに月野春彦は、高校生の頃の彼女を思い出した。




「3年生がみんなで煙草吸ってんのがバレて、1か月間の部活停止だって。大会前だよ?信じられる?」

「黒原は吸ってないんだよな?」

「当たり前でしょ!私はね、絶対に煙草なんて吸わないんだから!」








すぱーーーー。






月野春彦は器用に指を動かし、そのコメントに「あなたの名前は何ですか?」と投稿した。返信はない。

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