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9.ハルノサイド



「じゃカラオケね。他んとこにも行きたいから一時間で」


「うん。あ、あとごめん、化粧品も見たい」


「いいよーあたしも見たいし。ファンデなくなったから」


「そういやあれどうだった?先週買ったパウダー」


「まじでよかったよ。肌がマシュマロみたいな。

ふわっふわ…」


「えーあたしも買おうかな…」



放課後、会話が途切れないままに駅に到着した。

この時間帯は他校の生徒や近隣の大学生と被って車内が混み合うこともあり、我が校の生徒は一本見送って乗るという者も少なくない。しかし今日の私達は少しでも長く遊びたい。自由に過ごす放課後はなぜか短く感じるのだ。かくして、わたし達はやや混んでいる帰りの電車に乗り込んだのだった。

共に乗り込んだカナはというと、引き続き化粧品の話題で頭がいっぱいのようだった。ドアが閉まるなり、憧れと諦めの入り混じったトーンで再び話し始めた。


「安いので充分だけどさ。使ってみたいよね、デパコス」


「あたしも欲しいけどねー、高校生には手が届かないわ」


「お小遣い全部ぶち込みでもしない限り当分無理じゃんね…ハルちゃん買って?」


明らかに冗談と分かる表情と声色でたかられた。カナは始終こんなノリなのでもやもやしていてもすぐに気分を変えてくれる。思わず笑ってしまったわたしは肘で彼女の脇腹を軽く突き、やだよと答えた。


「まーあたしも欲しいのあるけど。リップだけで4000円もするからきっつい…」


と、そこで言葉尻が思わず立ち消えてしまった。急に黙り込んだわたしにカナが不思議そうな表情をしていたが、わたしの関心は別のところにあった。

わたしの目の前にはカナが立っている。彼女のさらに後ろ、車両の隅の方に40代半ばくらいの男が背を向けて立っていた。その男の前にポニーテールの女の子が同じく背を向けて立っている。制服は膝丈の黒いセーラーワンピース。


(星南女子の子だ)


キスをした件の子と同じ高校の生徒らしい。数日前のわたしならばそちらの方に気をとられていただろう。

しかし、わたしの視線は別のところに注がれていた。男は自分のカバンに手を入れ、何かを取り出した。スマートフォンか何かという可能性もあったが、予感のようなものを感じて見ていたわたしの目に、一瞬だか確かに映ったのだ。

男が取り出したものがスマートフォンよりもかなり細く、そして鈍く銀色に光っていたのを。

男はそのまま銀色の『何か』を素早く自分の体で死角になるよう反対側の手に持ち替え、もぞりと動かした。

そして。


「何してんの?おっさん」


男が手を動かした瞬間、静かに近寄っていたわたしは彼の肩に手を掛けた。男はこれ以上ない程動揺し、わたしの方に振り返った。


「はっ?何って、なにがですか…」


蚊の鳴くような声で男が答える。電車内で咎められるというこのシチュエーションだけでなく、もしかしたらわたしの外見が攻撃的だからということもあったのかも知れない。

実を言うと、わたしは口喧嘩もあまり経験がない。ましてや暴力を伴うものなどとんと縁がないレベルだ。大抵見た目でその手の経験は豊富だと判断されてしまうのだが。

この男もわたしをそのように判断したようで、怯えきった目で二の句が継げないでいる様子だった。今ばかりはその勘違いに乗じて、わたしは内心わずかに震えながら口を開いた。


「ちょっと手ぇ見せてね」


そのまま男の腕を掴み、持ち上げた。無理矢理掲げられた男の手には小ぶりのはさみが握られていた。周りにいた乗客がざわつく。


「何これ。何で電車ん中ではさみ握ってんの?ねえ」


男は押し黙ったまま答えない。

と、その瞬間車両がガクンと揺れた。油断していたわたしは思わず体勢を崩してしまう。電車が駅に入ったようだった。男は突然弾かれたように走り出し、車両同士をつなぐ通路の方向へ走っていった。男の意図は明らかだった。

逃走。もちろんそれしかないだろう。


「あっ!逃げんな!!」


傍らにいたカナが叫び、男の頭目がけて自分のカバンを投げつけた。カバンはそのまま男に命中したものの、それで止まることなく乗客を何名か押しのけながら隣の車両へ逃げ込んでいった。

車両が完全に停まり、ドアが開いた。男はもちろん逃げた先の車両から逃げたのだろう。我にかえった大学生くらいの乗客達が怒鳴りながら男を追いかけてホームへ駆け降りていった。

わたしはといえば威勢がよかったのは最初だけで、完全に出遅れてしまい落胆していた。


(結局わたし何もできなかった…

おっさんも逃げていなくなっちゃって…あ)


男は逃げてしまったが、わたしはその場にまだ残っていたある人物に目を向けた。今から男を追いかけて捕まえるのは難しいけれど、まだできることはある。


「大丈夫だった?

大丈夫だよ、他のお客さんが追いかけてってくれてるから」


わたしはまだその場に残っていたポニーテールの少女に声をかけた。いつもはこんな風に見知らぬ人に積極的に話しかけられないが、先程の男にしても、この少女にしても例外ということでなけなしの勇気を振り絞って話しかけているのだ。

しかし、まだ怯えているのか彼女はスマートフォンを握り締めたまま顔を上げない。空振りしたようで少し気恥ずかしさを覚えながらも、肩に手をかけながら再び声をかけた。


「ねえ、大丈夫?」


「…!」


触れられるのは予想外だったのか、彼女は驚いたように肩を震わせた。その拍子に手にしていたスマートフォンを落としてしまった。固まっているとっさに手を伸ばしたがキャッチすることができず、床にカタンと音を立てて落ちた。一拍遅れて付いていたストラップが床にぶつかり、鈴に似た風変わりな音が響いた。


「!」


今度はその音を聞いたわたしが驚くことになった。何しろその音は先週、早退して乗った帰り、あの時聞いた音と一緒だったのだから。


(ってことは、もしかしてこの子…)


うつむいていた彼女がすっと顔を上げた。

今はポニーテールにまとめられているものの、黒く豊かな黒髪。大きな瞳。長く濃いまつ毛がその周りを縁取っている。唇は薄く、色も薄いピンク。

先程の出来事に怯えているためか少し青ざめているものの、彼女の顔を見たその瞬間だけは他の一切のことを忘れた。

ただとてもきれいだと思った。



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