3.ハルノサイド
わたしとカナは特段部活に入っている訳ではない。その日最後の授業が終わって間もなく、わたし達二人は連れ立って最寄り駅に向かって歩いていた。
「本人に聞くったってさ、どうやって?」
「え?だって帰りの電車一緒だった訳じゃん。フツーに電車乗れば会えるっしょ」
何を聞いているんだという顔でカナが答える。その様子だとどうやらあることを忘れているようだ。
「や、あたし昨日早退したじゃん。お腹痛くてさ。
だからその子と乗り合わせたのたまたまなんだよ。だからどうやって会うつもりなのかと思った、んだけど…」
『どうやって』と言ったあたりでカナが見るからに『そういえばそうだった』という顔でぴたりと足を止めてこっちを見た。そんな気はしていたが、やはりその予想は当たっていたようだ。
「だと思ったよ!」
「だった!だよね!ごめごめ、ハルが早退したのは覚えてたんだよ?ただそれと昨日あったことが頭ん中で繋がってなかったっていうか」
「ノープラン」
「や、待って待って。いったん考えよ?」
カナはなぜかわたしの両肩をつかみ、ガクガクと揺さぶる。肩にかけたカバンがガサガサと揺れ、ファスナーに付けているお守りの鈴がちりちりと鳴った。
わたしの両肩を掴んで揺さぶるカナを呆れながら見つめる。
「分かった。分かったから人揺さぶんのやめな。カバン揺れて肩痛い…」
そう言うとカナがごめんと言いながら慌ててわたしの肩を離した。カバンの揺れが収まり、ファスナーに付いているお守りの鈴の音も止んだ。
「あ。鈴の音…」
思わず口をついて出た。
「鈴?ハルのカバンのお守りでしょ?」
「ああ、そうじゃなくて昨日の例の…その子が走って降りた時も鈴っぽい音がしたんだよ。電車の中でさ」
「へえ。昨日のその子もお守りか何か持ってたのかな。でも鈴なんかどこにでも付いてるもんね」
「うーん、鈴だと思ったけど…なんか少し変わった感じの音だったかも」
考えているうちに最寄り駅に着いた。
何の手がかりもなくなってしまったが、とりあえず乗り込んだ電車が二つ目の駅に止まった時に乗客の中に彼女の後ろ姿を探してみた。しかし、そもそも後ろ姿しか分からないのだ。彼女がいたとしても分かるはずもなかった。結局その日はカナと別れ、帰宅した。
「ただいま」
玄関のドアを開けながら声をかけたが、誰もいないようだった。弟はまだ部活が終わっていない時間だ。母は買い物か何かだろう。
「…」
玄関のドアを後ろ手で閉め、その場に立ち止まる。
カナと電車で話している時から帰る道すがら、ずっと考えていた。
あの子は誰なんだろう。
なんでわたしにあんなことをしたんだろう。
キスは好きな相手としかしないものだと私は思う、というか夢見ている。
なら、あの子は私のことを好きなんだろうか?
分からない。
中学の頃はとにかく自由になりたくて今の高校に入ることばかり考えていて、高校生になったら外見は磨いても友達と遊んでばかりだった。恋なんて顔の良い先輩を遠くから見てはしゃぐくらいしか知らない。
あの時、呼吸ができなくなったせいか鼓動が早くなったような感覚を覚えた。そんなに長く唇を塞がれていた訳ではないのに不思議な感覚だった。
思わず唇に触れてその熱を思い出す。
(そういやあれが初めてじゃん…)
胸がざわついて仕方がない。また鼓動が早くなる。
ふと自分の体温が上がったような感覚を覚えた。昨日から柄にもなく考え込んでしまったから、知恵熱というやつかも知れない。
「ハル姉、どいて。通れん」
「っ!?」
後ろを見ると部活用のエナメルバッグを提げた弟の夏希が疲れた表情で立っていた。
外を見るともう空が暗くなり始めていた。それにしても、いつの間に弟が帰ってくる時間になったのだろう。
玄関の隅に寄り履いたままだった靴を脱ぎながら返事をした。
「な、夏希。ごめんごめん、お帰り」
「ただいま。うわ顔やば」
「あ?なに帰るなり失礼な」
夏希はわたしを無視して横を通り過ぎ、脱衣所のドアを開けて脱いだシャツや靴下をぽいぽいと洗濯機に放り込み始めた。
どうやら夏希にはわたしの様子は特に不審には思われていないようだった。ほっとしつつ平静を装ってようやく脱いだ靴を揃えた。夏希が脱ぎ散らかしたスニーカーもついでに揃えてやった。
脱衣所に消えようとしていた夏希は振り返り、玄関から上がったわたしを見て怪訝そうな顔で答えた。
「いやハル姉ほんとに顔色やばいよ。熱あんじゃない」
「へ?」
夏希に向けていた顔を思わず背けると、目の前に玄関にいつもある姿見があった。そこに映るわたしの顔は…
「めちゃくちゃ顔赤いから早く涼めば?」
夏希はそう言い、脱衣所へ消えていった。