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第五話

 電車に乗って、巨大ショッピングモール内の映画館に向かう。

 気のせいか、視線が痛い。

 私はガラスに映る自分の痛い姿から無理矢理目をそらし、ただひたすら紗英と会話を続ける。

 映画館に到着すると、紗英は招待券があると言いだし、これを普通のチケットに交換してくるので待っていてくれ、と中に入っていってしまう。

 私は小さな鞄を両手で持ち、壁際におとなしく立っていることにした。


 「ねぇねぇ、彼女ぉ。彼氏こないの? 一人?」

 スマホをいじりながら、まだ残る眠気と格闘する。映画を見るのは良いけど、見ている間に寝てしまいそうだ。

 万一そんなことになったら、きっと紗英に殺される。

 「俺と一緒に遊ばない? 俺も暇なんだ~」

 映画の予習でもしておくか。万一寝ても、あらすじさえわかってれば誤魔化せるかもしれない。

 スマホで映画のタイトルを検索してみる。あったあった。

 「感じ悪いなぁ、無視かよ? 返事くらいしろよ」

 なかなか紗英が戻ってこない。メッセージを送っても梨の礫だ。トイレにでも寄ってるのか?

 「ちょっと可愛いからって、図に乗ってんじゃねぇぞ!」

 どうも外野がうるさい。どこかでナンパ男が女の子に因縁を付けているみたいだ。かわいそうに。助けてあげるべきか。

 眉をしかめてスマホから目を上げると、因縁男は目の前にいた。

 「あれ? ……私に話してたんですか?」

 「何だよ、ほかに誰がいるんだよ!」

 怒鳴った大学生くらいのちゃらい男は、目を怒らせて私をにらんでくる。おや?

 「あの……可愛いって……」

 「あぁ? 少し可愛いだけだよ! それとも当たり前ってか! 何だよ、この勘違い女!」

 ちゃら男は腹立ち紛れに私の肩をドンと押してから去っていく。

 壁に打ち付けられた背中が痛かったが、どうということはなかった。

 私は感動していた。

 初めてのナンパ! 初めて男子に「可愛い」と言われた!

 そうか、私は可愛いのか。この格好は可愛いのか。

 思わずスマホを鞄にしまって、男が去っていった方向を拝んでみる。

 あんたのことはかけらも好きだとは思わないけど、ちょっとだけいい気分を残してくれてありがとう。二度と会わないだろうけど、ちっちゃな幸せとナンパがことごとく失敗することを祈っとく。


 その時だ。

 夏休みの込み合うショッピングモールの中、女性の「返して!」という悲痛な叫びが響く。

 とっさに声の方を見ると、老婦人が倒れて床にひざを突いていて、彼女の手を伸ばす先に、上品なハンドバックを片手で乱暴に持って走り去ろうとする若い男の姿があった。

 誰かが「ひったくりだ!」と叫ぶ。

 その瞬間、私ははじかれたように走り出していた。

 普段の靴とは違うから、全然スピードがでない。

 くそっと汚く罵り、靴を脱ぎ捨てて、改めて走る。

 もう少し、あと少し。

 スカートの裾が翻ったが気にしない。

 「く、桑田?」

 どこかで聞いたような声も聞こえたが気にしない。

 私の手の先が辛うじてハンドバックに引っかかったので、それを強く引っ張る。

 ひったくり犯はぎょっとした顔で私を振り返った。本当に若い男だ。同じ年くらいだろうか。

 よけい腹が立つ。

 「返しなさい!」

 強引に引き寄せると、バックの持ち手の部分がちぎれた。

 バックが落ちそうになるから、それを両手で受け止めて抱きしめる。

 「ふざけんな!」

 うずくまった私に、男が拳を振り上げた。


 殴られる、そう思った瞬間、スローモーションのように大きな背中が私の前に立ちはだかった。両手を大きく広げて。

 ひったくり犯の拳が、その人の頬にクリーンヒットする。

 私が悲鳴を上げたのと、近くにいたほかの男性客達がひったくり犯を取り押さえたのは、ほぼ同時だった。

 「大家!」

 何の因果か、殴られて昏倒したのは、先生の覚えもめでたい風紀委員の大家その人であった。


 ショッピングモールにも医務室があるのだと初めて知った。

 白いパイプベッドに寝かされた大家の左頬は青黒く腫れあがり、ご自慢の賢そうなメガネ(私の偏見でそう思ってるだけだけど)はツルの部分がゆがんでしまっている。

 警察からも後ほど話を聞きたいと言われていたが、それどころではなかった。

 何故、こいつがこんなところにいたのか。

 何故、いきなり割ってはいるなんてことをしたのか。

 謎は尽きない。

 店員さんからいただいた冷えピタからビニールをぺりぺりとはがし、腫れ上がった頬に張ろうと体を屈める。

 今日も喉元には銀のネックレス。

 何となくそれを眺めていると、腕がぴくりと動き、うなり声が聞こえだす。

 「大家?」

 「あ、く、ぐっ。っつぅ」

 起きようとしたものの、あまりの頬の痛さにうずくまる大家。

 私は苦笑して、冷えピタを頬に張り付けてやった。

 「さっきはありがとう。助かった」

 「その声、やっぱり桑田なんだな?」

 大家は頬を押さえながら私を凝視する。

 それもそうだろう。

 今日の私は普段とはあまりにもかけ離れている。


 ショートヘアは、焦げ茶のロングなみなみウィッグがついているし、ジャージ愛好家なのに今日着ている服はワインレッドのクラシカルなワンピースドレス膝丈。

 白黒チェック柄のニーハイソックスに、ワインレッドのエナメルの靴(さっき店員さんが届けてくれた)。

 薄く化粧が施され、服に合わせたワインレッドの口紅が色っぽさを演出している。

 真夏に着る服にしては色合いが暑苦しいかな、と思ったが、「日焼けしている人に青系統は似合わない」と紗英が主張し、こう言ったコーディネートになっていた。


 「よく、私だってわかったね」

 鏡の中の見知らぬ自分は、私自身でさえ違和感ありまくりだ。

 感心して問うと、大家は青黒い頬以外を赤く染めた。器用だな、と思った。

 「最初はその……よくわからなかった。走り出したらすぐにわかった」

 なるほど。だからあの時、校内の廊下のような場違いな声が聞こえたんだな。

 「見違えたな。すごく綺麗だ」

 はじかれたように大家を見ると、目を細めて笑っている。

 大きな衝撃が胸に来た。

 「き、綺麗って……」

 「園田の言ってたこともわかるな。信じられないくらいいつもと違うから、わからないかも、って言われたんだが。

 確かに、気づかないで通り過ぎていたかもしれない」

 私にこれだけの衝撃を与えておいて、おまえは何を普通にしゃべり続けているのか?

 問いつめたくても声がでない。

 口をぱくぱくしていると、大家は細い指を伸ばして私の頬にふれる。指先はひんやりしているのに、ふれた場所が熱い。

 「でも、いつもの格好の方が、俺は好きだな。桑田らしい」

 私は完全に固まっていた。

 「おまえが無事でよかった」

 メガネを外した大家はどこか見知らぬ男の人のようで。

 「いいか、こんな短いスカートで猛スピードで走るな。それと、足に自信があるからって、犯罪者を女一人で追うな」

 あ、いつもの大家になった。

 ホッとしたら、笑いが止まらなくなった。



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