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第四話

 「ゴメン、しばらく図書館に行けそうもない」

 スマホ越しにそう言うと、紗英は黙りこむ。

 沈黙が怖くて、矢継ぎ早に言葉を送り出す。

 「いや、なんかバイトが忙しくてさ! せっかくだから、夏の間に稼いでおこうと思って!」

 「紬、今日、大家君と会った?」

 いきなり核心を突く質問に私は絶句する。

 口をぱくぱくと開け閉めしたけど、声は出てこなかった。

 スマホの向こうでは、紗英も黙り込んでいる。

 会わなかったと言えばいいか? でも、嘘をつくことになる。

 それに、大家が紗英に「桑田に会った」と言ってしまえば、簡単にばれてしまうような嘘だ。

 ここで嘘を言うのはあまりにもリスキーではないか!

 「あ、会った! 会ったけど、独りで寂しそうだったかなぁ~なんて……」

 言葉が空中に消えていく。なんだろう、今日の沈黙はとても重い。例えて言うなら、砲丸投げの砲丸くらい。

 とても吹き飛ばせそうにない。

 「あ、で、でもね紗英? 別に示し合わせて待ち合わせしたんじゃないよ! 偶然! 本を借りに寄ったら、声をかけられてさ!

 いや、顔見知りがいたら、挨拶するのって礼儀じゃない?」

 スマホの向こうで、紗英はどんな顔をしてるんだろう?

 付き合い始めたばかりの彼氏が、親友と二人っきり。

 うわぁぁ、まずい、今更だけど、そのシチュはまずいでしょ!

 頭を抱えたくなるけど、本当に今更だ。

 頭を抱えてウンウンとうなっていると、感情を感じさせない紗英の声が聞こえてくる。

 「紬は、大家君ってどう?」

 どう?

 どうってなんだ!

 曖昧すぎるでしょう!

 それとも何? どう答えても大きな罠が待ってるとか? 紗英の望む回答とは?

 灰色の脳細胞をフル活動させてみるが、答えが出ない。多分だけど、私の脳細胞は灰色じゃない。

 また黙りこんでいると、今度は場違いなほど明るい笑い声が響き渡る。

 私をこんなに悩ませているくせに、自分はテレビかまんがの鑑賞中か?

 「ちょっと紗英! からかったの?」

 「違うわ。ゴメン、なんか緊張が高まると、笑いたくなることってあるでしょう? それよ」

 断定的に言われると否定しづらい。そういうこともあるかなって思ってしまう。

 途端に落ち着いて、紗英はゆっくりと問う。

 「ねぇ、私達、親友かしら?」

 ちょっとびっくりな質問だ。

 今日はどうしちゃったんだろう。

 思い込みかもしれないけど、紗英はそういう重い表現を避けると思ってた。

 いつも軽やかに、誰にも真意を見せずにいる紗英。私もいつも茶化されて、紗英の心は推し量ることしかできない。

 でも、多分、それを聞きたいのは私の方だ。

 聞ければいろいろ、私の中で答えが出る気がする。

 それでも、紗英が私の口から聞きたいというなら、あえて応えようと思う。

 私は唇を湿らせて、一言づつ区切って伝える。

 「そうだね、……紗英がなんと言っても、紗英は私にとって一番大事な、一番近いところにいる他人だよ。

 血がつながってないのに、こんなに近くにいた人、今までいなかった」

 そう。大家のことで心がざわめくのも、相手が紗英だからだ。

 大家が別の女の子を好きだったら、こんなに悩まなかった。ちょっとした胸の痛みを誤魔化しつつ、直に忘れていたと思う。

 でも、紗英とは別れられない。見なかったことにもできない。二人を、紗英を、直視し続けるしかない。

 そこは逃げられる檻の中。私があえて選んだ場所。

 紗英の返答を待っていると、たっぷりとした間をおいて、紗英の声が聞こえた。

 「紬って本当に、嫌になるくらい真っ直ぐね。

 でも、…………ありがとう。私も紬が大好きよ。

 誰にも取られたくないくらい」


 僅かに揺れる、湿り気を含んだ声。

 スマホの向こうで降る雨を、私は想う。

 意地っ張りな親友を、想う。


 紗英の中でも、何かの答えが出ようとしているのだろう、とわかる。


 たった一年とちょっと。

 それが私達の付き合い。

 お昼ごはんを一緒に食べて、休日に一緒に遊んだり勉強したり。

 こうやって長電話したり。

 高校時代なんて一瞬だ。あっという間に駆け抜けていく。

 後で思い返せば、こんなふうに悩むのも、胸が痛くて言葉が出なくなるのも、全部が全部、一瞬のことなんだろう。

 でも、渦中にいる私にその全体の短さはかけらもわからない。

 一瞬一瞬が永遠みたいに永い。


 「ねぇ、紬?」

 「なぁに?」

 「ついでにいくつかの質問に答えてもらってもいいかしら?」


 少し明るさが戻った声がそう言うから、私も笑って答えた。


 「いいよ」


 ふふふっ、と紗英も笑う。


 「私のどういうところが可愛い?」

 「自信過剰に見えて、ちょっぴり自信のないところ。大丈夫、紗英はそのままで何もかも可愛い」

 「私の嫌なところは?」

 「私を頼ってくれないところ。辛い時は、私にくらいは辛いって言ってほしい」

 「今とても辛いわ。紬は何をしてくれる?」

 「いちご屋の特大パフェを二人で食べに行って、頭をよしよししてあげる」

 「それ、ステキね。膝枕付きでお願いするわ」

 「筋肉が硬すぎるって前に言われたけど?」

 「部活やめて、少しは柔らかくなってるかもしれないわ。要確認案件ね」


 紗英の質問が止めどなく続いていく。

 途中、スマホの電池がなくなったけど、コンセントに繋いで、まだおしゃべりを続ける。

 いつの間にか日付をまたぎ、丑三つ刻も華麗にスルーして、早起きのカラスの鳴き声を窓の外に聞いた。


 次第に意識が朦朧としていく。

 「ねぇ、紬、起きてる?」

 「うん……起きてる」

 「明日、ううん、もう今日ね。昼から空いてるかしら?」

 「うん……うん。空いてる。だから……」

 いつまででも話していられるよ、と答えたつもりだけど、このあたりから何を話したのか、正直言って覚えていない。

 紗英の質問はまだ続いて、私はほとんど脊髄反射的に答えて、夢の中で、紗英が優しく笑った気がした。

 それが本当に珍しいことで、私まで嬉しくなってにひゃにひゃ笑った。


 「紬! あんたったら! もう!」

 母の怒鳴り声で起きる昼。

 私はベッドの上で片手にスマホを握りしめたまま倒れていたようだった。

 熟睡していた、とも言う。

 ともかく、窓を閉め切った室内の温度は真夏の更衣室なみにもわっとしていて、私自身も汗だくでもわっとしていた。

 起こされなかったら、脱水症状で死んでいたかもしれない。

 ベッドの上でぼーっとしていると、階下から母の話し声が聞こえる。

 「ごめんなさいね。休みだからってぐーたらで。どうぞ、上がっていって」

 「お邪魔します」

 私は目を瞬いた。

 「あれ……紗英?」

 軽い足音を響かせて階段を上り、扉を開いた逆光の人影にそう問いかける。

 その人物はまっすぐに部屋を横切ると、勢いよくカーテンと窓を開けた。

 やっぱり、まごうことなき、我が親友殿がそこにはいた。

 「あれ? 紗英……ドコでもドア?」

 「んなわけないでしょ! 約束したじゃない! やっぱり忘れていたのね」

 紗英はやたら大きな紙袋をベッドの脇に置いて、私に近寄るといきなりにおいをかぎ始める。

 「ちょっと、汗くさい! すぐにシャワーを浴びてきてちょうだい。出かける準備、するんだから」

 「は? どこに?」

 「約束したでしょ! 映画を見に行くのよ。気合い入れておめかしするんだから。

 紬がいいよ、って言ったんだからね? ほら、さっさと浴びてきてちょうだい!」

 まだ頭の中にハテナを飛ばし続ける私は、首をひねりながらもシャワーを浴びる。

 その間に紗英は、母が出しただろうカルピスを飲みながら、ベッドの上にこれでもか、というほどのアクセサリーやら何やらを広げてくださっていた。

 戻ってきてもハテナは消えないままだ。

 「ほら、脱いで。それとも、脱がせてほしい?」

 「ちょ、やめ! 自分でできるから!」

 「ダメよ、強制下着も持ってきたんだから。着せるのは私がします。覚悟なさい、紬」

 悪の秘密結社にいるマッドサイエンティストのように、紗英は無理矢理私を剥くとおもむろに何やらかにやらつけ、あっちのお肉やこっちのお肉を一点に集中させ出す。

 悲鳴を上げてもやめてくれない。

 いや、悲鳴を上げると母が怒鳴り込んでくるのであげられない。


 一時間ほどかかって、ようやく紗英は額の汗を拭い、やり遂げた感満載の笑みで私を見つめた。

 「会心の出来よ!」

 それはどんな必殺技だ。

 そんなことを思った私は、何もしていなかったのに疲れ切ってげっそりしている。

 こんな格好でこれから出かけるだなんて、冗談じゃない。

 「ねぇ、苦しい。辛い。暑い。外に行きたくない」

 紗英の笑みが黒く染まる、

 「紬が約束したのよ。一緒にお出かけする。私の言うことを聞くって。

 それとも、……私の一時間をあなたはどぶに捨てるのかしら?」

 心なしか、室温がどっと下がった気がする。

 冷や汗が背中を伝った気がした。

 「い、いいえ。喜んで出かけさせていただきます、紗英様」

 「よろしい」

 紗英はいつものふわふわ綿菓子のような笑顔に戻って、自信満々に頷いたのであった。

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