吹きだまりと呼ばれる場所
俺とうららが商人のフランツさんたちと旅をして、7日経った。
移動して、村や街で一日商売をし、その翌日移動するという繰り返しだ。
「レリオ、済まないが怪我の治療を頼めるか?」
護衛仲間になったジェフロワが言う。
「ああ、もちろん」
はじめて会った時に護衛が少なかったのは、怪我をした奴らが馬車の中にいたかららしい。
俺は口の中で治療の為の呪文を唱える。
うららに使った銀色の薬の方が早く治るけど、あれは使いきってしまったし、新しく作るには家に戻ってからでないと無理だ。
面倒には巻き込まれたくないし、本当は回復魔法をそこらで使いたくは無いけど、仕方ない。
それほどの怪我じゃないけど、仕事には差し障る。そんな怪我をした護衛仲間のユークに、俺は治療の為の光を当てた。
「おお…!やっぱりレリオはすげぇな、ありがとうよ!」
簡単に動くようになった手を大きく動かしてユークは豪快に笑った。
「別にどうってことないよ」
気持ちいい笑い方だ。他の護衛の人たちも感じがいい人ばかりで良かったと思う。今も、村人の目に付かないよう、テントの中で治療してる。
「しかし……お前、この護衛で報酬を受け取らない約束だって本当か?」
ユークは眉をひそめた。
マジか、とジェフロワも驚いた顔をした。
「治癒魔法に武器の修理まで頼んじまって悪いな……」
「いいんだ、その分フランツさんには頼みごとをしてあるんだし」
それを聞いた途端、示し合わせたようにふたりはニヤリと笑った。
「それって……あの子の事か?」
ジェフロワが俺の肩に太い腕を乗せてきた。
「あの子とどういう関係だ?」
「どこまでいってるんだ?」
「ただの旅仲間よっ!」
気の強い声が響く。
ぷるんとした唇を尖らせて、比較的整った顔は怒りを表している。
肩幅に足を開き、両の手を腰に当てて俺達3人を睨んでいるのは、うららだ。
『ただの』か……。これは……。
小さな目眩を覚えた俺は少しの間、目を閉じた。
「レリオ、フランツさんが呼んでたよ」
うららがすぐに近くに寄ってきて、俺のマントの端ををちょっと掴んだ。
お決まりの上目遣いで。
「変な事言ってないでしょうね?」
「言ってないよ」
動揺を悟られたくない。俺は曖昧に笑った。
視界の隅ではジェフロワとユークがこそこそと逃げようとしている。
「ならいいんだけど。クラリッサも変な風にからかってくるし……ホントこういうの、めんどくさっ!」
めんどくさい、か。
少し寂しい。
俺がうららをかわいいと思うからか。それとも好きになってしまったからか。
うららは他にも手伝いがあるからと言って、シモーナさんのところへ行った。
俺はフランツさんのテントに向かう。
フランツさんたちは荷馬車がある。だから宿に泊まる事が難しい。
ただ、荷馬車があるから、荷物が多少なら増えたところで問題は無い。
フランツさん達はこうやってテントを何張りか使っている。
フランツさんのテントの前に着くと折り畳み式のテーブルがあり、ジェフロワとユークも含めた、護衛の全員とフランツさんが揃っていた。
「門は明日開くようだ」
フランツさんが言う。
思っていたよりも早い。2、3日待つかと思っていたからついている。
「俺に先頭をやらせてください」
いやしかし……とフランツさんは口ごもる。
うららとクラリッサはどこかで何かの歌を歌っている。
楽しそうな声が風に乗って聞こえてきた。多分夕飯の準備中なんだろう。
俺はテーブルにいた全員をゆっくり眺めた。
「俺は攻撃魔法も少しなら使える。旅の経験もあって、何回も渡ってる。俺が先頭に立ったほうが良いと思います」
「俺も賛成だ」
ユークが力強く頷いてくれた。
「フランツさん、レリオはここにいる誰よりも剣の腕が立つ。そのほうが良いですよ」
ここまでの旅の中で俺の腕を認めてくれたらしい、護衛の全員が同意してくれる。
それでもフランツさんの顔は浮かない。
「しかし、他の護衛をしてくれる皆の前で言いにくいんだが、先駆けは危ないだろう?
万が一の事があれば……その……なんだ、あの子は……」
「大丈夫ですよ。俺はそんなに弱くない。
荷馬車を一人で守りきれる位まで強くないけど、吹きだまりを一人で通り抜けられる程度には強いって自信があります」
実際に俺は何回も旅をしてる。
何回も吹きだまりを通った経験がある。
正直、吹きだまりを脅威だとは感じていない。
そこから簡単な打合せや荷馬車の手入れをした。
フランツさんだけじゃない。
この街に集まる旅人全員が緊張していた。
××××××××
早朝。
俺は薄暗い中で剣の練習をしていた。
冷たく、湿り気のある空気が心地よい。
かさり、と人の足音がした。
「レリオ……もう起きてるの?」
「おはよう。珍しいね、こんなに早起きなんて」
うららの身支度は終わっているようだった。
「ねぇ、今日は昼間に出発って聞いたんだけど……」
普段のうららと比べたら別人みたいだ。ずいぶん、頼りなげな声音だ。
「どうして昼間なの?いつも朝に出発なのに」
「今日は『吹きだまり』を通るからね」
俺は汗を拭いて、剣を鞘に収めた。
汗臭い……とか思われない、よな?
門は街道に繋がっている。
街道には弱いとはいえ、モンスターが出る。
そのモンスターが人の住む場所に入らないように区切るシステム、それが門だ。
俺たちは門に向かって歩く。
うららは俺の服を軽くつまんで着いてくる。
うららのこういうところがわからない。
こうやって俺の事に関心があるみたいなのに、『ただの旅仲間』ってどういう事なんだ?
そもそもなんで俺に着いて来たがったんだ?
「『吹きだまり』てなに?」
うららの質問に俺は門の外を示した。
さっきよりは少し明るい。
朝焼け前のほの暗さの中、モンスターが数体確認できた。
「今日はここを走って突っ切る」
「ここしか通れないの?ほかの場所を、ぐるっと回るとか」
俺は首を横に振った。
「『吹きだまり』を避けることは出来ない」
吹きだまりを避ける街道の試みは、過去に何回も行われている。
そうすると今度はなぜか、吹きだまりがずれる。
ずれた吹きだまりにはより強いモンスターが現れる。
結局、安全性が高いと言って、もとのルートを選ぶようになってしまう。
「シモーナさんがね」
俺の服をつまむ手に、力が込められていた。
怯えた顔で俺を見上げるうららを、抱きしめたいと思ったら負けだ。我慢しろ俺。
言いにくい事なのか、ずいぶんと間が空いた。
「吹きだまりを通る時には死ぬ人もいるから、レリオとちゃんとお別れしておけって言うの」
俺は笑った。
俺が吹きだまり程度の事で死ぬ?
確かにあそこに出るモンスターの数は多い。けど、俺には弱いモンスターとしか感じられない。
「大丈夫だよ。そんな心配を俺にするなんてムダだから」
「でも……」
うららをやたらと不安にさせているのは、この村に漂うピリピリした空気のせいかもしれない。
「心配いらないって」
軽くトン、とうららの肩を叩いた。
「そんな心配よりもさ、この街を昼の出発まで見て行こうよ」
「……うん」
それから二人で朝焼けを眺めた。
街をぶらぶら歩き、いくつかの店先を覗いた。
昼が近くなったころにはうららの不安は軽くなったみたいで、大分元気になっていた。
「じゃ。後で」
シモーナさんの荷馬車に乗り込んだうららに向かって、軽く手を振る。
もうすぐ、昼。
門の前には、フランツさんの荷馬車の他にも数台の馬車や荷馬車がいた。そしてその周りに歩きの旅人たち。
吹きだまり前の門は何日かに1回開く。
向こうの街とこちらの街で示し合わせた日の正午に、集まった旅人で一斉に渡る事になってる。
フランツさんの荷馬車は先頭だった。
開門前に多くの人が門に祈りを捧げる。
この『祈り』がモンスターをはね除ける力になっていた。
俺も祈った。
だんだんと辺りが静かになっていく。
渡る人々の緊張が高まっているのを感じる。
弱いとはいえ、モンスターがウジャウジャいる中を通るんだからな。
空砲が鳴る。
門が開かれた。
俺は唱えて準備しておいた攻撃魔法を門の外に放つ。
コントロールが悪く、威力制御も上手くない。
ただ、威力だけはある。
俺の魔法で、かなりのモンスターが消え失せた。それを合図に、門の前にいた全員が、一斉に走り出す。
俺の他にも魔法使いがいるらしい。攻撃魔法が向こうからも放たれたのが音でわかった。
剣を抜いてとにかく走る。
狼型のモンスターが飛びかかってくるのを切り捨てた。
雄叫びをあげているのはユークか。
俺はひたすら切って、走る。
人のいない方向に向かって攻撃魔法を撃つ。
ほら、たいした距離じゃない。
たいした強さのモンスターじゃない。
俺の口角が上がる。
俺は攻撃魔法が苦手だ。
必要とされるよりもどうしても威力が大きくなるし、コントロールが悪い。そのせいで、思ったところに当たってくれない。
だけど、吹きだまりではそんな気遣いは関係無かった。
「とにかく蹴散らせ!」
遠くで言ったのは、誰だろう。
反対側の門に着いた。
打合せ通り、フランツさんの荷馬車達が門に入って行ったのを見送る。
見知らぬ旅人たちも、どんどん門に入って行く。
俺は門の外側で、まだ終わらない渡りを支援するべく、剣を振るった。
俺の他にも何人かはそういう奴がいた。
勿論、一目散に門の中に駆け込む奴もいる。
残れる余裕も、腕前も無いならそうしてくれた方が助かる。
「門を閉めろ!」
俺は最後に盛大な攻撃魔法を放った。
硬質な音を立てて、見渡す限りうじゃうじゃといたモンスターが消えていく。
支援するために残っていた奴らが全員門に入ったのを確認してから、俺も門の隙間に潜り込んだ。
ほら、みんな心配しすぎなんだよ。
渡りなんて一瞬だ。
ひたすら走ればそれだけで損害はほとんど出ない。
俺は大きく息を吐いた。
フランツさんたちはどこだろう。
俺にとっては簡単な渡りでも、他の奴らにはそうじゃないらしいのはいつも通りだ。少なくない怪我人が出ていた。
俺も治療を手伝ったほうが良いかも知れないな。
でも、荷馬車の護衛の奴らの怪我を確認するのが先だ。
キョロキョロしていると、フランツさんの荷馬車を見つけた。
「……!れりお!」
うららの声がした。
「あ、うららちゃん。怪我人とかはいる?」
うららが俺に向かって駆けてくる。
誰か、ひどい怪我人でも出たのか?
その顔色は真っ青だった。
予想外だったのは、
「良かった……!」
うららが、
「先頭に行った筈なのに、全然帰って来ないから…!」
泣きながら、
「ねぇ、怪我とかない?」
俺に抱きついてきた。
「あの……あ……えっと……うん、俺に怪我は無い」
小柄な身体。
涙で潤んだ瞳。
ふわふわした髪。
俺にしがみつく細い腕。
「み……みんなは?」
動揺しすぎだろ俺。
良い香りがする。うららの温もりが伝わる。
「みんな大丈夫……でもレリオがあんまり遅いから……っ!」
ああ、もう我慢できない。震えるうららを俺もそっと抱きしめる。
柔らかい髪が俺の首をくすぐった。
「レリオが無事で良かった……」
それからうららの顔をもう一度見た。
いいよな?大丈夫だよな?
心臓がばくばくいっている。
そのぷるんとした柔らかい唇にキスをした。
途端、うららの身体が強ばるのがわかった。
唇を離せば、驚いたように目を見開いている。
レリオ……と形の良い唇が俺の名前の形に動く。
そして俺は、
地獄を見た。