08
部屋の前で立っていると多くの人が目の前を通り過ぎていく。
騎士の同僚であれば気軽に挨拶はするし、使用人でも声をかけてくる者には返事を返した。
そうしてしばらくしていると宰相ルドルフが悠然とこちらへ向かってきた。
「おや、殿下は今休憩時間ですかな」
「はい。何か御用でしたらお呼びいたしますが」
「いえいえ、君が此処に立っているいるという事はそういう事なのかと思っただけですから」
穏やかに笑う姿はまるでどこにでもいる優しいおじいちゃん、というイメージを持たせる。
その実、五十六歳にして武術の達人であり、実力は騎士団長もしくはそれ以上と噂される油断ならない人物である。
前王の友人であり、またその時代から宰相であった事から議会では一目置かれている存在でもあった。
要するにギルヴェールはこの人物が少し苦手なのだ。
底が見えないという事が即座に分かり、穏やかにしていながらその頭は知識とリアンにはない経験で政治を左右する考えが詰まっている。
歳の差でもあるがギルヴェールには目の前の男がよくわからなかった。
「申し訳ございません。突然仕事の内容が増えて驚いたでしょう」
「いえ…こなせない量ではありませんので」
「しかし、ある意味君が近衛騎士になったという事は我々の憂いが一つ無くなったという事なんですよ」
「……?」
「殿下の周りはいかに騎士が見張っていようとやはり危険なので。誰かが近くで身を守るという事はやはり安心できるのですよ」
ふうと息をついて、彼は眼鏡を押し上げる。
「ですがご存知の通り、殿下はあのような身でして。秘密の漏洩の危険性を拭いきれなかったのですよ」
「なるほど。最初から知っていれば漏れる心配もない、という事ですか」
「ええ。それに君の腕が並大抵の物ではない事は城中で噂されていますからね。そこに騎士団長のお墨付きがあるとなれば我々も信頼して殿下を任せられるというわけです」
「それは…勿体無いお言葉です」
近衛騎士をつけようとしても秘密がバレてしまえば元も子もない。
そこで現れたのがギルヴェールというわけだ。
「それに殿下がつけたがらなかったのですよ」
「え?」
「殿下、リアン様は極端に人を近づけようとせず騎士団長からの近衛騎士を付けたらどうかという進言もはぐらかすか断るかのどちらかでですね…お気持ちはわからなくはないのですが」
確かにリアンは今まで近衛騎士を付けるという動きを見せた事がなかった。
常に連れているのは護衛の騎士で、それも書類仕事ばかりの日はほとんど付けさせないのだという。
無用心だと思うが、それはリアンが心のどこかで人を信用していないのではないだろうか?
ふと浮かんだ考えに、そっと頭を振る。
自分なんかが気にかけていても仕方ない。
例えリアンが自分の事を信用していなくても仕方ないし、仕事に支障はない。
「そういえば、貴方はコンスタンスの養子だそうですね」
「ええ、そうです。六歳の時に養父の元へ引き取られました」
「六歳…随分幼かったのですね」
引き取られた当時の年齢にルドルフは僅かに目を開く。
ルドルフも騎士団長とギルヴェールがなんの血の繋がりも関係もなかった事を知っているだろう。
それを思えば確かに驚くかもしれない。
「森でがむしゃらに木の棒を振るっていたところを養父に見つかり、運よく養父の目にとまってその後引き取られたという訳です」
「不躾ですが、ご両親は?」
「養父と出会う前に住んでいた村の半分が疫病で逝きました。私の両親も彼らと共に」
「そうですか…失礼な事を聞きましたね」
「いえ」
まったく、森の中で養父と出会ったのはまさに奇跡としか言い様がない。
村の半分がいなくなった事で働き手が不足し、誰も親なし子のギルヴェールを気にかける余裕はなかった。
幸いな事は自分に少なからずも剣の才能があった事とコンスタンス家の嫡子に剣の才能がなかった事だ。
ギルヴェールが引き取られれば、義兄は嫌いな剣を振るわずに家督を継げ、ギルヴェールは新しい家を手に入れる事が出来る。
「義兄も剣を使わずに家を守れると清々した顔で言っていましたし、むしろ養父と出会ったのは幸福なのだと思っています」
「そうですか」
ルドルフは納得したのかしきりに頷き、ほっほっほと笑った。