04
どうしてだ。何故こうなった。
先程から似たような言葉ばかりが生まれては渦巻いて消えていく。
石畳を人目につかぬよう走りながら、リアンはただひたすらに混乱していた。
城から少し離れたところにある今は無人の屋敷。
茂みに隠された扉を開き、中へ潜り進めばまた扉に行き着く。その扉を開ければ今まで見上げていた城の一室である自室に辿りつく。
万が一の事態に備えて作られた通路をこれまで何度も通ってきたがあれほど長く感じた事はない。
見慣れた部屋。見慣れた家具。見慣れた壁紙。
大丈夫、もうここまでくれば平気だと思うと、どっと疲れが押し寄せてその場に座りこんでしまった。
「あら?リアン様、もうお戻りになられたんですか?」
声をかけてきたのは侍女のマリア。幼い頃から実の姉のように慕っている彼女を見ると安堵の温かみを感じた。
「どうしよう、マリア…」
「真っ青ですよリアン様。どうなさったんです」
「正体…バレたかもしれない」
肩に触れようとしていた手がピクリと止まり、しばしの沈黙のあと声なき悲鳴がリアンには聞こえた。
来ていたワンピースと帽子、靴はすべてマリアの手荷物に押し込み、シャツとズボンを代わりに纏って髪をリボンで緩く纏めれば先程の少女の姿からは一変する。
マリアの絶対に気づかれないというお墨付きも貰ったというのに、何故あの騎士にはバレたのか。
リアン・フェル・シルヴァレス・ヴィレットは正真正銘、女として生を受けた。
しかし、実の父である前王の意志でそれを知っているいる者はごく少数、今となっては宰相ルドルフ、侍女マリア、その母の侍女長、そして騎士団長コンスタンスとなっている。
絶対にバレてはいけない秘密。それがこうもいとも簡単に他人に気づかれてしまうとは。
目の前にカップが差し出されそこに湯気が立つ紅茶が注がれる。
視線を上げれば先程まであれほど取り乱していたマリアはすでに立ち直って、お茶の支度をしていた。
「今は次出来る事を考えましょう。起こった事は仕方ないわ」
「そうだな。私も久々に、頭が真っ白になる事を体験した。今は未来の事を考えよう」
二人きりのときに堅苦しい言葉は必要なかった。
彼女の立場が使用人でもリアンにとっては大切な友であり大好きな姉である。同じ席で同じ茶を飲み、同じ立場で話すというのはつかの間の休息にもなった。
カップから口を話したマリアが一転、後悔に顔を歪めた。
「…ごめんなさい。私があんな事、」
「マリアが謝る事じゃない。言ってただろう?起こった事は仕方ないと」
身分を隠して城下町を彷徨うあの遊びはもともとはマリアが提案したものだった。それにリアンが賛成し、髪をおろし少女の装いをして、城下町の人間と触れ合っていた。
今日もいつもと変わらなかったはずだった。
「少し、浮かれていたんだ。一ヶ月に一度の外出で、しかもお祭りのときに外に出れるなんて事なかったから。いつもは入らない場所まで足を伸ばしてしまった」
そして運悪く酔っ払いに絡まれ、そこをあの騎士に助けられた。
そのまま見逃してくれていればよかったのに人の記憶というのは時に残酷なものだ。
「そういえば彼はコンスタンスの性を名乗っていたな。長男は家督を継いでいるし、となると養子の方か」
「騎士団長閣下の身内ならなんとか事態を収める事が出来そうね。下手に貴族の息子よりは全然やりやすいじゃない」
「しかし、いきなり地方に左遷させても危ないしな。…あ」
頭を背もたれに乗せてしばしば考えていたリアンは、何か思い出したのか突然飛び起き書物机の上の乱雑な書類から一枚抜き取った。
「これならなんとかなるかもしれない」
「…なるほど。その手があったわね」
書類をさっと読んだマリアも頷く。今の状況を変えるにはこれしかないと思ったのだろう。他の案も思いつかないのならこれが最善だ。
危険な物は手元に置いておくに限る。
リアンの手に握られた書類がそれを物語っていた。
2017 7.16 加筆修正しました。