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連続投稿です。
やっぱりちょっと文が長いです。
パタリと隣の扉からマリアが出てくる。
小さなため息をつく彼女に声をかけるといつものように露骨に嫌そうな顔はせず、どこか少し柔らかい。
「殿下はどうしたんだ」
「今日はもう寝るそうよ。あの様子なら仕事を持ち込んでる、なんてこともないでしょう。あなたも今日は早めに切り上げていいそうよ」
「そうは言ってもな…」
せめて規定時間までは警備をしていたい。
何が起こるかわからないし、何より途中で仕事をなくすとその残った中途半端な時間の使いように困る。
最初からギルヴェールの反応を予想していたのか、マリアは呆れ顔だ。
「…ちょうどいいわ。ちょっと話に付き合いなさい、ここでいいから」
「いいのか?」
「いいわよ、どうせここは夜間警備の人間しか来ないしその警備も今はあなたがいるから回ってこないでしょ」
壁に背中を預け腕を組む。
婦人がする体勢には少々品が欠けるが気取らない方が彼女らしい。
マリアがなにか話す時はおおよそリアンのことに関してだ。
ギルヴェールも扉に身をあずけ、話を聞く姿勢をとる。
「…初めに言っておくけど、これは私があなたを不本意ながら信頼して話す事よ。リアンはあなたを信頼している。だからこそ、彼女を傷つけないために知っておいてほしいの」
不本意ながら、と言った点はともかくとしてマリアが信頼してくれていることに素直に驚く。
元々あまり好かれていないとは思っていたが、いつの間にやらリアンの評価からそう判断されていたらしい。
「リアンのお父上…前王様とリアンの過去のことよ」
「…それは」
本当に自分が聞いていい話なのだろうか。
リアンの今までのことを見ていても彼女は過去をただの記録とし、あまり触れようとはしてこなかったことだ。
それを、本人からではないとはいえ昔から知るマリアから自分が聞いてもいいのだろうか。
「私もリアンの口からいうのがいいと思ったのだけれど、きっとリアンは自分から話そうとはしないわ。でもあなたも気づいているでしょう。あの子が心の底から私やルドルフ様を信じているわけじゃないって」
「…ああ」
随分前から知って、いや感じていたことだ。
出会ったばかりのギルヴェールでもわかったのだ。聡い二人がわからないはずがない。
「リアンは生まれたその瞬間から王女ではなく、王子として育てられていた。服も持ち物も調度品も言葉遣いも全部、男趣味でなければならなかった。幼い頃は本当に少人数の…私とお母様、それにあと一人の侍女だけで過ごしていたわ」
ただ言われるがままに服を着させられ、言葉遣いを練習させられ剣を習わされ、帝王学その他多くの勉学を詰め込まされた。
あの子の世界はすべて『させられる』ものだったの。
私は、リアンのお目付け役兼世話係となった。たかだか九歳の私は戸惑ったけれど、あの子は反抗することもなく、ただなすがまま言われることをしていた。
あの子が周りに反抗しないには、理由があった。
『頑張って立派な“王子”になれば、お父上も褒めてくださいますよ』
笑っちゃうでしょう?あの子がなにも言わずに受け入れていたのは国のためとかじゃなく、ただ父親に褒められたかったからなの。
まだ五歳にもならない、やっとまともな言葉を覚えた子供が、過酷すぎる教育に一生懸命しがみついていたのは父親に見てもらいたくて、頭を撫でてもらいたかったからなのよ。
それでも、リアンがどれほど背伸びをしても前王様はあの子を見ようとはしなかった。
それが実の娘に一生の嘘を背負わせてしまった罪悪感か、亡き妻を思い出したくないからなのかはわからない。それほどあの子の瞳は王妃様に似ていた。
前王様がリアンと話す時はいつだって『父と子』ではなく『王と跡継ぎの王子』だった。
あの子が五歳くらいになったある時、私にこう問いかけてきたの。
「どうしてぼくっていわなきゃいけないの?どうしてぬいぐるみがすきじゃいけないの?どうしておとうさまはあたまをなでてくれないの?どうして」
おとこのこじゃないといけないの。
きっと純粋な気持ちだった。
今まで持つことのない疑問が物心がついて、純粋に溢れ出てきただけだったんだと思う。
でも、その時の私は言葉に詰まってしまった。そして、一番最低な答えを言ってしまった。
「きっと、頑張ればお父様はあなたを褒めてくれるわ。だから頑張りましょ?」
今でも思い出すたびに、自分の喉を潰したくなる。それほどまでに私の言葉は彼女の心を押さえ込んでしまった。
誰もが言う言葉。執事も教育係も家庭教師も庭師もメイドも侍女も宰相も、そして私も言ったそれはあの子の心を冷たい檻の中へ追いやってしまった。
多分あの子は覚えていないかもしれないけれど、私は許されない罪を犯した。
だから、罪滅ぼしのように私の前では女の子らしく振る舞えるようにしたの。全部、私のくだらない保身のために。
「最低よ。私はあの子ためって言いながら結局自分のことしか考えてなかった」
そして、時は流れてあの子は立派な“王子”となった。
幼い頃から吸収した知識、偏見を持たない見識、誰もが目を留める容姿、そして王子という自覚。多くの人があの子を立派な王子だともてはやしたわ。
けれど親子の仲は相変わらずだった。
その頃にはリアンも、前王様に父親を求めることはせずただ尊敬する国王として接していた。
前王様が亡くなるその前日の夜。あの子は部屋に呼ばれた。
二人っきりの部屋で何を告げられたかはわからない。
でも前王様が亡くなって、あの子が国の君主となった時。
あの子は変わってしまった。
『させられる』世界が『自らする』世界になっていた。
「そんなリアンが、唯一自分からあなたに心を開いた」
「開いた、と言えるほどじゃない。俺は殿下にまだ全幅の信頼を持ってもらっている確信はない。それこそこの話も人伝てに聞かなければいけないほどには」
「それでもよ。私にとって、あなたは希望なの。リアンを檻の中から連れ出してくれるただ一つの」
「それは―」
そのあとの言葉は音として形を成せずに終わった。
扉向こうから異様な気配を感じる。
先ほどまでは感じられなかったものだ。ぞくぞくと走る悪寒は嫌な予感を掻き立てた。
「どうしたの?」
マリアの問いには答えずにギルヴェールは勢いよく扉を蹴った。




